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中途半端に(失礼)敬語を使われてやんわりと中傷されましたね。
当方の人生は、社会学系の大学一年さんのものでは、もちろんありません。
これはご理解いただけますね。
当方があなたに何を言おうが、そんなのには関係なく、あなたはあなたの生き方を貫きますよね。
ご理解頂けますね。
では、同じように当方も、あなたに何を言われようとも己の生き方を貫きます。
これがご理解頂けますでしょうか。
あなたが教科書に書かれている考え方を自分のものとすること。これは自由です。
これは宜しいですね。
では、当方が教科書に書かれていない独自の考え方を自分のものとすること。これも自由である。
ここも宜しいでしょうか。
世の中には教科書で習っていない出来事に突然出会うこともあります。
でも、教科書で勉強しなかったからといって、対処しない訳にはいきませんね。
ジェンダーフリーをちゃんと勉強していないからといって、ジェンダーフリーに係わる自分の人生を捨てる訳にはいかないのです。
これはご理解頂けますでしょうか。
世の中には、勉強していないことが一杯です。
勉強してからなんて言っても、世の中は待ってはくれません。
これ、宜しいですかね。
あなたが思ったことを自由に書いているように、当方も思ったことを書くだけです。
ここまで、ご理解頂けますか。
文中、失礼な表現もしてしまうかも分かりませんが、「Q&Aという形で皆さんへ還元している」という独り善がり、エセ社会貢献、要するにそういう屁理屈によってお許し下さい、と言わせて下さいね。
凝り固まってしまった思考を破壊するには、それなりのエネルギーのこもった言い方になってしまいます。
当方は別に、あなたの親でもなく、学校での先生でもなく、会社の上司でもないんだから、嫌なものを無理矢理聞く必要はありませんよ。聞かないという選択は自由です。
でも、お考えください。あなたの周りで、あなたの固定されてしまった価値観を揺さぶる、そんなことを言ってくれる友達、一人でも居ますか。
居ないなら、あなたの価値再構築への、これは滅多にないチャンスです。
※エセ=見た目は同じようでも、実体は本物に全て劣ること。
さて、あなたのご疑念です。
社会学さえ勉強していない無学者が書くジェンダーフリーについての意見なんか、誰もサポートしないし説得性もないと、あなたは言いたいようですね。
先程、「あなたはあなたの思ったことを書く、当方は当方の思ったことを自由に書く」ということを確認して頂いたと思ったのですが、当方は自由に思ったことを書いてはいけないのでしょうか。
社会学を勉強していない者は、ジェンダーフリーについて書くなと、あなたはおっしゃる。
当方の意見には誰もサポートしていないし説得性もないと、あなたはおっしゃる。
正確には、「当方に書くな」とストレートには言わずに、「認識ください」と遠回しにおっしゃっる。
ここであなたに素朴な質問です。
人は、勉強していないことをしゃべってはいけないのでしょうか?
人は、誰かのサポートのない場合や、他人から認められない場合は、自分の意見を言ってはいけないのでしょうか?
それでは、人生の中の、自分の不勉強の事に関する部分については、自分らしく生きられないということですか。
自分の意見を持てないとおっしゃるのですから。
人が十人居れば十通りの意見がございます。
あなたは、その中の考え方の内、教科書に載っていないようなものに対しては、「あなたの意見は誰もサポートしていないし、文献にも載っていない」と言っているのです。
自分の言っていることが、一体何を言っているのかをご認識下さい。
だいたい、あなたの言い方は他人をダシに使って遠回しです。
誰もサポートしないんじゃない。あなたがサポートしないだけです。
他人がしないように書いていますが、他人がサポートするかしないかなんて、あなたが知る訳がない。
説得性もないんじゃない。
あなたが納得できないだけです。
他人が納得するかしないかなんて、あなたが知る訳がない。
どうせなら、このようにもっと素直に分かり易く、そしてストレートにズバッとお書き下さい。
ストレートに書けない理由?あなたはお気付きではないでしょうが、当方は知っています。
当方は自分の意見を書いています。
あなたは書いていない。
理由はこれです。
当方に有るのは、己が確立した自分独自の意見、だからこうして、確定的に、そして断定的に書けるのです。
自分独自の意見に、バックなど必要ありません。
応援団やスポンサーなんて必要ありません。
サポートなんて必要ありません。
文献になんかに載る必要もありません。
一方、あなたには自分独自の意見がありません。
教科書から他人の考え方を借りているだけです。
当方の意見を測るにも、他人の意見や教科書や、文献に載っているか載っていないか等で判断しています。
あなた自身では判断していないのです。
>大変理解に苦しみました
って、人の考え方なんて理解できなければ、それはそれで放っておけばいいのです。
他人の考え方を理解するのが人生じゃありません。
そんな余分な時間は我々にはありません。
自分の考え方を構築することが人生です。
人の頭の中身は、教科書じゃありません。
世界には、あなたを除けば、約60億通りの独自の考えが存在します。(大誇張!)
そんな膨大な数の考え方を理解する必要なんてないでしょ。
「じゃー、人に理解を得ないものを何故、わざわざとホームページに載せているんですか」って、言われそうですね。
人の理解を得られないものは、人には言っちゃいけないし、人には言えないような恥ずかしいものなんですね。
じゃー、一生日陰に隠れて、貝のように口を閉じて陰鬱(いんうつ)に暮らせってか。
言ってくれますね。
それじゃーあなたも同類ですね。自分の考え方が無いのなら、表通りは歩くなってね。
恐らく、あなたと話すれば、文献と話しているような感覚に陥ることでしょう。
「あなたは、社会学の勉強をしていないようだ。」
「世の中にはunpaidworkという仕事の形態もあるんだよ。」
ってな具合に注意されそうです。
あなたは誰もが支持する正解側に付きたいのでしょう。
でも、人生には正解はありません。
己なりの答(解)なら出すことはできますが。
「正解はないが解なら有る」と言えば、ジェンダーフリーには正解が有ると言い張る人も出ようってもんですが、社会学とやらを勉強していなくては答を出せないようなものなら、この世にはジェンダーフリーを語れる者など居ないのですよ。
「人生には正解は無いが解なら有る。」
これは例えれば、「ジェンダーフリーについての正解は無いが、自分自身の考え方なら持てる」っていうことなのです。
諸説がいくつか有って、数学のように「これが正解です」とはならないが、自分の考え方なら確立できる、っていうことなのです。
その考え方が他人に迷惑を掛けないものであれば、それはそれでいいじゃないですか、っていうことなのです。
ご理解できますか。
中国の「三国志」中の劉備、曹操、孫権らの英雄。
彼らの下には多くの軍師や将軍が集まってきました。
こんな大袈裟な話じゃないけれど。
さて、あなたの下にも友達が集まっているかと思います。その中に、「人生には正解は無いが解なら有る」なんてことを、今までの人生で言ってくれる人は一人も居なかったのでしょうか。
あなたの魅力に惹かれて集まってきた友達です。あなたの「不徳の致すところ」というところ?ですか。
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