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男女共同参画社会・ジェンダーフリー

男女共同参画社会ですって!ジェンダーフリーですって!ズバリ言って「生き活きとした人生を送ることが出来る社会」を実現したいのであれば、そのようなものは現在お住まいの社会には、存在しないのではないでしょうか。

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男女共同参画社会・ジェンダーフリー


男女共同参画社会
ジェンダーフリー


生物学的な機能の違いではなく、社会において継続的に醸成された概念による性別を、いつの間にかジェンダーと呼んでいるらしい。




「男らしくしなさい」
「男のくせにメソメソするな」

「男だったら、もっとしっかりしろ」
「男は仕事」




「女らしくしなさい」
「女のくせに出しゃばるな」

「女だったら、もっとおしとやかにしなさい」
「女は家事と育児と介護」




これらは、長年に渡って熟成された男女の概念の成せる業です。

今や、この概念を壊そうとする活動が盛んとなり、男女共同参画社会、男女平等参画社会、ジェンダーフリーといった新しい言葉となって、我々の目に触れてきている。

セクシャル・ハラスメントなどは、少し前までは全く影も形もなかった言葉ですが、今や知らない人が居ないくらいに、その考え方は広く一般に浸透している程なのです。




これらは、勇気を出して立ち上がり、地道に声を出してきた、女性達が勝ち取って来た成果だと言うことも出来ます。

男も女も、何の分け隔ても無く、互いの個性を尊重し、生き活きと男女が共生することが出来、ジェンダーという呪縛から解放された社会、それは、男女が、社会を構成するイコールパートナーとして、自らの意思と選択によって、社会の様々な分野において活躍する機会が確保、保障され、共に責任を等しく負うべき社会、今や我々は、ジェンダーフリーを目指し、そして、実現しようとしているのです。




しかし、2001年の労働力人口総数に占める女性の割合を見れば、約40%、正規職員や従業員の割合は更にその内の約50%となり、このような数値は、どう見ても男女共同参画社会には程遠いということを示していて、「女性が社会進出をする時代」と言われて久しいけれど、一向に女性の時代じゃない、という現実が横たわっているのです。




女性には、家事や育児、介護における恒常的な負担が重くのしかかり、逆に、男性には、家事や育児、介護への参加を、良しとしない傾向が伝統的に残っているなど、「男性は仕事、女性は家事と育児と介護」という、長年に渡って固定化された男女の役割分担が、潜在意識にまで刷り込まれているかのようなのです。

それでも、「女性の時代」という言葉が世の中を賑わしているのは、以前に比べて女性がより多く、社会に進出している様を表しているのだろうか、また、その意気込みの現れなのだろうか。




さて、女性が進出しようとしている、その社会とは、一体どのようなものなのでしょうか。

通常は、共同生活を営む人々の集団のことを指すので良いと思うのですが、女性も男性と同様に元々から、その集団の一員なのですから、改めて参画する必要はないのです。




従って、「女性の社会進出」という場合の「社会」は、お金を分配するシステムのことを指し示し、そこに男と女は、五分と五分で参画しようじゃないか、という意味合いになるのです。

何故なら、お金を稼いでいないと、社会へ参加したことにはならないと思われており、また、家庭に居て、無収入である内は、社会に参画しているとは、決して誰も言ってくれないからです。




結局、お金を機軸とした価値観を持った人々の言う社会が社会であって、要するにその正体は、お金を分配するシステムのことだったのです。

男女共同参画社会とは、男も女も共にお金儲けができる社会への参画と言い、そうすれば生き活きとした人生が送られる、との意味合いだったのです。

言い方を変えれば、「彼らは、お金は人間を生き活きとさせると思っていた」となるのです。

そうでなければ、社会へ参画したところで、生き活きと出来るかどうか分からないことに、また、出来ないならば、参画する必要が無いということに、気が付く筈ですから。




家庭では、いくら働いてもお金は貰えません。

会社などの外の世界では、お金を儲けるシステムに乗れば、お金を稼ぐことは可能です。




それでは、ここに、年間500万円を稼ぎ出す女性が家庭に居たとして、誰がこの人を、社会に参画していない人と言うことが出来るでしょうか。

誰が、彼女を外の世界へ引っ張り出そうとするでしょうか。

おそらく、誰も居ない筈です。




お金の軸だけで、物事を考えれば、家庭では収入を得られない、だから社会へ参画しなければならない、などの変な話になってしまうのでしょうかね。

このまま放っておけば、女性がお金を稼がない間は、いつまで経っても「男女平等」や「男女共同参画社会」、「ジェンダーフリー」などの掛け声が止むことはありません。




彼らに、社会に参画しろと言わさないためには、女性がお金儲けをするしかありません。

男女を問わず、お金を稼いでいれば、家庭に居ようが会社に居ようが、誰からも何にも言われません。

このように考えている内に、「男女共同参画社会」という言葉のメッキは剥げ落ち、どこかへ吹っ飛んでしまいそうなほど、薄っぺらで意味の無い存在に見えてきそうです。




それはさておき、男女共同参画社会には、「参画社会」の実現に加えて、「男女が生き活きと共生する」ことも唱われています。

そのような、個人の価値に属する意識の成就までも、ひっくるめて男女共同参画社会を実現しようとしているのですから、社会全体の「男女が生き活きと共生する」ことの実現は、相当な時間を要し、実現困難だろうと思われますが、個人レベルでの実現になると、自分自身をコントロールするだけですから、簡単に出来そうです。




お金儲けをする上に、「生き活きとした人生」を付け加えたいのであれば、「好きな」仕事でお金儲けをすれば良いのです。

これで、個人レベルでの男女共同参画社会は実現完了です。

あなたの人生一代、生きている内に、男女が生き活きと共生出来ることを実現しようとするならば、それしかありません。




個人レベルではなく、国全体で本当に、実現しようとするならば、大変な話になります。

生物学的性差を理由に、差別してきた大昔から、男は社会を支配してきたのですから、それを是正するには相当の時間が掛かるのだろうと、予想するに難くありません。

男はお金を分配するシステムを、男の有利なように営々と構築し、女性の社会進出の著しい現在でも、男が圧倒的に優位に支配し、その地位や名誉や権益を守り通す策を弄し、お金を牛耳り、言い換えれば、女性をコントロールしてきたのです。




女性が、その社会への入り口となる会社へ入ろうとすれば、男性の場合よりも、遥か以前に始まった超氷河期と称される就職性差が待ち受けており、例え就職出来たとしても、男性より賃金は安く叩かれ、仕事は単純作業を繰り返すルーチンワーク(決まりきった仕事)ばかりを課せられ、頑張って男性と同じ程度の成績を残しても、評価されず、出世せず、ようやく脂が乗ってきたと思ったところで、結婚や出産などで一時リタイアせざるを得ず、子供が手を離れた頃に、やっとパートとして再就職できる、といった煩(わずら)わしさ。




女性の稼ぎなんて、家計をほんの少し助ける程度にしか見られず、パートの年収がある程度以上にならないように、社会参加を制限させてきた扶養者控除などの制度もあり、要するに、国自体が性差を助長させるように誘導してきた、と言うこともできるのです。




外国には、女性の育児からの開放と社会進出のため、保育所を数多く作り、政策決定の場には、一定以上の割合で女性が参画していなければならないなどの縛りを設けたり、男性の育児休業や休業中の給与保障を推し進めているところもあるというのに。

とは言え、日本も、男女共同参画社会の実現のために、多くの施策を打ち出して来たことは、皆さま既にご存知のとおりです。




さて、様々な男女性差を是正しようとする動きですが、先行者である男性の常識の中で実現しようとしてしまっているから、国会議員の女性の比率は何%とか、社長の女性の比率は何%とかになってしまうのですかね。

国会議員、社長・・・、すべての分野において、男女の比率が半々になれば良いとの考えなのですが、そんなもの、是正しようとする人の、例え百回分の人生をそのことだけに捧げたとしても、これもまた、実現できるかどうか、疑わしいものがあります。




五十歩譲って、まったく男女の比率が半々の社会が、例えば、10年後に実現したとしましょう。

自分達の会社や国会議員の構成が、半々になったと想像すれば良いのですから、簡単なこと、さて、そうなれば何がどう変わるのでしょうか、ご想像ください。

そもそも、男女が社会を半々で構成できれば、「生き活きと出来る」と、言っていること自体も、果たして、そのとおりなのでしょうか。




とにかく、半分の女性が会社に居るのですから、半分の男性が家事や育児、介護を担っていたりするのでしょう。

性差を無くす制度が、次々と整備されていくのでしょう。

さてさて、そこでは皆さんご自身は、生き活きとされているでしょうか、想像できましたか。




そうです。

お気付きのとおり、生き活きと出来るかどうかは、社会が男女半々で構成されることとは、まったく関係がないのです。

現在の社会で男も女も生き活きとしていないのに、男女半々で社会を構成したところで、同じことなのです。

それとも、現在の男と女が生き活き出来ない理由を、社会が男女半々で構成されていないことに求めてしまいますか。




自分が、生き活きと出来ない責任を、社会に転嫁してみますか。

社会が半々で構成されると生き活きと出来るから、社会を半々に構成しようとしている、との論理構成に無理は感じませんか。

自分自身が、生き活きと出来るかどうかは、個人の考え方や才覚の問題であって、余程抑圧されていない限りは、社会の形態には何ら関係がないことではないでしょうか。




と言ってしまえば、「男女不平等参画社会より男女平等参画社会の方が、良いに決まっているじゃないか」と、即反論されそうですね。

政策において、社会にあるバリアをフリーにすることや、男女が半々で占める社会の実現を、別に否定している訳ではありません。

人生を賭して、やりたいのであれば、やれば良いと思うし、人生を掛けなくても、仕事として取り組む場合でも、どうぞ、仕事としてお遣りください、大学や研究所の専門家であるのなら、どうぞ研究をして、社会に成果を発表し、啓発してください。




人間には、一度きりの人生しかありません、それぞれが、やりたいと思うことを納得できるまでやろうじゃありませんか。

「それじゃー、困る。ひとりひとりの意識で、男女共同参画社会が実現できるのだ。協力してくれなければ。」

と、またまた言われそうですね。

こちらの意識は、とっくの昔から、男女共同参画社会を飛び越えて、男も女も無い、「人間としての幸せとは何か」を探しているモードに入っているのです。




自分 男女共同参画社会 幸せ


彼らが考えているパターンの中抜きをして、直接的に自らの幸せを探っているのです。




自分 幸せ 男女共同参画社会


幸せになるための結果として、必要であるならば、男女共同参画社会は形作られるのです。




私達は、「幸せになるため」をモノサシとして、自らの行動を決めます。

男女共同参画社会の実現も、何故そうするかは、「幸せになるため」なのです。
その筈だと思うのですが。




では、「幸せ」はどこにありますか。
ほとんどの方は、「家庭にある」と答えるのではないでしょうか。

仕事や会社、はたまた社会に幸せがある、と答える人はほとんど居ないのではないでしょうか。

男達の姿を見てください。




お金のために、嫌いな仕事も我慢、我慢、ひたすら我慢をしている様を。

そして、我慢の反動で、遊びや趣味などでストレスを発散しながら、家族と幸せな時間を過ごしています。




幸せは家庭にある、不幸せは社会にある、とほとんどの人が思っているのに、わざわざその社会に女性を半分進出させて、生き活きとした人生が送られるとは、一体どういう了見でしょうか。

不幸せな社会に、何故出掛けていく必要があるのですか。

幸せな家庭に、元々居るものを。




人々が実現しようとしている、男女共同参画社会をイメージすれば、上部を男性、下部を女性が占めるピラミッド型となります。

社会とは、元々このようなピラミッド型であることには、誰も異論が無いと思うのですが。

もしかすると、世界のどこにも存在しない、共産主義社会や社会主義社会のような四角形だと、言われる方が居るかもしれません。




共産主義社会や社会主義社会も、ピラミッド型を形成しているのだと思うのですが、まあ、これは余談です。

さて、ピラミッドの上の方には、政策決定をしている人や政治家、経営者、お金持ちなどが居ます。

下の方には、社会に出ず、家庭に居る、生き活きと出来ないと思われている、女性が居ます。

このピラミッドでは、上部へ行けば行くほど、生き活きと出来ると思われています。









男女共同参画社会は、下部を占める女性が、生き活き出来ないということで、ピラミッドを縦に二つに割って、左右それぞれを男女が占めることを目指しているのです。









彼らの論理からすると、縦に二つに割ったピラミッド社会は、生き活きとした人生を送れるとのことなのですが、下部を占める女性が、ただ単に、下部を占める女性と男性に入れ換わっただけじゃないですか。




ここに、社会に出ないと生き活きとした人生を送ることが出来ないとする論理や、共同参画に生き活きとした人生を無理やり関連付ける論理の破綻が、目に見える形となって現れました。




次に、「お金」を軸にするのではなく、「幸せ」を軸に置いて社会を考えてみます。

幸せの在り処は、家庭ですから、社会は逆ピラミッドの形になります。









上部は、幸せな家庭に居る女性が、ほとんどを占めています。

不幸せな社会には男性が居て、下部を占めています。

このように、逆さまにひっくり返してみると、男達は何故、自ら自身を、不幸な社会へ縛り続けてきたのだろうかと、不思議ですね。




社会を、逆さまにひっくり返してみるという発想を、何故誰もしなかったのだろうかと、思ったりもします。

勇気を出して立ち上がり、そして声を出して来た人達は、女性達にとって、幸せそうに見える逆ピラミッド型を、縦にバッサリ二つに割って、左右それぞれを男と女が占めることを目指しているのです。









家族と一緒に居られる幸せな状態であるのに、子供を保育園に預け、会社へ行こうとしているのです。

男女共同参画社会の実現の暁に、苦労して勝ち取った「幸せの配当」は、誰にも配られないようです。




さて、家庭でお金を稼ぐことについてですが、そんなに簡単に言われても、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんね。

それでは、男女共同参画社会を実現することと、会社勤めが家庭で出来るようになるのでは、一体どちらが現実的な選択で、可能性があり、早く実現できる道だと思いますか。

会社勤めが在宅勤務の時代になったり、自らがネットワークを駆使して事業を立ち上げる方が、実現不可能な男女共同参画社会の到来を待つよりは、早いと思うのですが。




少なくとも、自分の命が果てるまでに、実現できそうなものは、家庭でのお金儲けの方じゃないでしょうか。

人のネットワークやインターネットがあれば、いずれ会社という箱は、全てとは言いませんが、必要なくなるような気がします。

男の常識である、何時から何時まで会社に詰めて仕事をするなんてのは、むしろリスクじゃないでしょうか。




家に居ながらにして、お金を稼ぐのです。
家庭をオフィースにして、仕事をすれば良いのです。

通勤などの時間のロスも無く、オフィースの維持費も必要ありません。

電話、ファックス、携帯、インターネットを揃える資金さえあれば、ほとんどノーリスクで始められます。

電子のネットワーク、人のネットワークの時代には、今までの「会社」の概念は崩れ去るのです。




従来は、小さな子供が居るため、社会に出て働けないことは、改善されるべきことであり、不幸なことと考えられてきました。

だから、「待機児童ゼロ作戦」との、大そうな名称の元、保育園をたくさん作ってきたのです。




しかし、大好きな子供と常に一緒に居られて、しかも合間に働くことは可能です。

夫が嫌い、妻が嫌い、子供が嫌い、家庭が嫌い、と言う人は除くとして、その方が、親にとっても、子供にとっても、すばらしいことではないでしょうか。

最高の幸せの形である、家庭保育園兼家庭職場の実現を目指してみることも、またひとつの人生ではないでしょうか。




男女共同参画社会の実現のために、投入されている膨大なお金と人、同じ使うのであれば、家庭保育園兼家庭職場の普及に使ったらどうだろうか。

時勢には、真っ向から逆らうことになりますが。




ズバリ申し上げれば、「生き活きとした人生を送ることが出来る社会」を実現したいのであれば、そのようなものは、現在お勤めの会社(社会)には有りません。

如何ですか。

それが、例え男女半々で構成されても、同じことではないですか。




それに加えて、「生き活きとした人生を、送ることが出来る社会」のように、個人的価値観に属する「生き活きとした人生を送る」ことに、「社会」を結び付けるような見当違いをすれば、実現できるものも、益々出来なくなってしまいそうです。

個人レベルで実現可能な「生き活き」と、個人レベルではコントロール出来ない「社会」を、いくら耳触りが良く、キレイな表現だからと言って、安易にくっ付けてはいけません。




幸せならば、ピラミッド型社会の、どこに身を置いても良いというもの。

社会構成を男女半々にしたければしたいで、一向に構わないけれど、何故誰も、このことに気付かないのかな。

判で押したように、「男女共同参画社会」、「男女平等参画社会」、「ジェンダーフリー」と皆、同じことを言います。




本当に不思議です。

つらつら考えるに、「家庭が幸せの基」との論理構築で、またまた、女性を家庭に縛り付けようとしているのではないか、との穿った意見も無いとは限りません。

要は、あなたが豊かで、幸せな人生とは何かを考え、行動するだけで、男とか女とかは関係ないじゃないですか。






男女共同参画社会の切り口から、「幸せ」を考えた結果、「幸せな家庭で、好きなことをしてお金を稼ぐ」ということを導き出しましたが、何をするにも、当たり前のことですが、自己で責任を取ることをご承知おきください。

最後に、一番最初の、ピラミッド型社会を横にしてみます。そうすれば、現状が既に、男女半々で構成する社会であることが分かります。




これに関する4択問題にご投票いただきました結果については次のとおりです。なお受付は既に締め切っています。


今のまま、男女共同参画社会を推し進める

  結果、今と何ら変わらない

  自分で生き甲斐を探さなければならないことに、気付く場合もあるし、気付かない場合もある


67人

好きな方向でお金を稼いでみる

  結果、誰からも、社会に出ろとは言われなくなり、生き甲斐も得る


35人

お金に囚われず、好きなように生きる

  結果、社会に出ろと言われるかもしれないが、気にしなければ、生き甲斐のある人生である


22人

その他


23人




頂きましたご意見は次のとおりです。ご協力どうもありがとうございました。


masao 2004/11/07(日) 18:44:23


男性差別が横行する今の社会に声をあげるために「女を優遇する社会に反対する会」を立ち上げました。

過去一年間に執筆した論文を掲載してあります。

志のある男性諸君はぜひ一度お立ち寄り下さい。
なお自由に複製・配布していただいてかまいません。

より多くの男性諸君に読んでいただければ作者としてはこれ以上の喜びはありません。



莊司 秀紀&やよい 2003/02/13(木) 06:37:26


ホームページアドレスです。



莊司 秀紀&やよい 2003/02/13(木) 06:28:24


“男女〔夫婦〕で共に生き甲斐を探さなければならないことに気付く場合もある”と思います.私達夫婦は男女平等な共同参画社会は結婚(苗字・SEX・妊娠・出産・育児・家庭・生活・仕事etc)のあり方が大きく関わると考えています.

男女がお互いの性について理解する精神的基盤を培うことが,今後の社会教育学に必要なのではないかと思います.私達は「男の心と女の夢はなぜに一つにならぬのか」をテーマに色を用いて理性と感情のバランスを中庸に保つ研究を夫婦で共にしています.




私は妻に「結婚しなければできないことがある」と交際中に教わりました。恋愛・結婚・生活そして3人の子供のいる家庭で今度は新たに夫婦で仕事も共にします.幸せ・自分にとっての幸せは心のあり方ではないかと思います.

男女(夫婦)が仲良ければ家族皆が幸せな気持ちになれるのではないでしょうか.私達は男女共同参画社会を応援します!







読者からのご意見(2002/11/04 5:30)


今回の男女共同参画社会についての考察、とても共感いたしました。

わたしも以前、子供を保育園に預けて働いていました。それは、全くお金のためと、うっとうしい近所づきあいから逃れるため。

動機が動機なので、少しもいきいきとしておりませんでした。 当時、保育園に預けていた同じお母さん方も大半は、そうでした。




結局、好きで働いているのは、自営の方くらいで、あとは仕方なくなのです。 小さな子供を預けての仕事は、どれだけ大変なことか。 お金は、しっかり入ってきましたが、わたしは、いやでいやでたまりませんでした。 子供も充実していない母親でかわいそうだと思いました。 専業主婦がうらやましくてしかたなかったです。




友達の専業主婦のひとが、ひまだからと働き始めるようになりましたが、なぜ、そんなことするのか?と、不思議でたまりませんでした。 働かなくてもじゅうぶんな生活が送れるのに。実際、彼女は、ご主人とも仲が良く、良妻賢母の典型的な人です。それがどうしてそうさせるか?思うに、単なる専業主婦を怠け者のかのように扱うマスコミ等の論調によるのだと思います。




しかし、現実は、家庭のある女性にとって職場と言うのは、まだまだ理解が少ないところが多く、とても快適な環境とはいいがたいです。

思うに、これは、男側の勝手な論調にしか思えないのです。 そんな厳しい環境に、女性の進出を促進させる。 それは、とにもかくにも男の収入だけではやっていけなくなってきたこの社会の変化によるものとしか思えないのです。




女性たちは、本能的にそういったことに気がついており、結婚や子育てにメリットを見出せず、晩婚化、少子化につながっているのではないかと。 保育園が増えることよりも、女性が専業主婦でも居られるような社会を作っていって欲しいとわたしは思います。 子供にとってもそれが一番の幸せだと思うのです。

何か話がずれてるかもしれませんが、感じたことを書いてみました。 これからもいろいろな視点でのお話を楽しみにしています。




読者しまっちさんからのご意見(2004/07/07(水) 12:30:59)


はじめまして。ジェンダーフリーについてのHP拝見しました。
しかし、私には納得できない点が二点あります。

まず、幸せは家庭にあって社会には無いと断定している点です。

あなたはそう考えているのでしょうが現在の多様化した価値観の中では仕事の中で認められることを至上の喜びとするひともいるでしょう。

またその論理で考えると独身で夢を追いかけている人は皆幸せでないことになってしまいます。




二点目は、「幸せである家庭に居る女性がわざわざ社会に働きに出る必要がどこにあるのでしょうか?」としている点です。

それではあなたの言う「幸せのない社会」であえて男性が当然のこととして働かなければならない根拠はどこにあるのでしょうか?

ここではあなたの言う「幸せの無い社会」で働くか「幸せのある家庭」にいるか男性が選ぶ権利を全く無視しています。




つまり、これらの前提にあるのは@家庭での幸せが人として最も幸せなものだAジェンダーフリーとは抑圧されていた女性側が不必要に平等を求めているという考えであると思います。

しかし、上述のように幸せをどこに求めるかは個人によって異なるので画一的幸福観念で制度構築するのは妥当でないし、ジェンダーフリーとは女性側だけでなく男性側からも生物機能に因らない不合理な区別をなくすことを意味しています。




HPではジェンダーフリーを世の中のピラミッドを男女で縦に二分する事を目的としていると捉えていましたが、それは正確な理解を欠いているといえます。

本当の意味でのジェンダーフリーにおいてはピラミッドは縦で割っても横で割っても構わないのです。




それらはあくまでも結果に過ぎないのです。大切なのは自分がピラミッドのどこにいたいかを自分で決めて移動することができるように社会制度を整えることです。

その移動流動性を確保するための手段として女性の就職機会を確保しておいたり男性の育児休暇が取れる社会環境を整備したりすることはやはり必要なのです。

























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