一生食べて行けるだけの資金を手に
妻に結婚して貰って、子供を生んで育てて貰って、
その意味で大きな感謝という愛を育むことも出来た。
題名 - 一生食べて行けるだけの資金を手に
投稿B
B様
もし私が、自分史を書くとしたら①と③を入れたいと想っています。
まだまだ感動秘話も、顔から火が出るほど恥ずかしかった話もあるのですが、
少しずつUPして参りたいと想います。
ちなみに小学生の頃の私のあだ名は「猿」でした。
これは、体が柔らかく、身のこなし(逃げ足?)が早かったのでついたのが半分、
残りの半分は、私の実名が「猿」に似ている名前だったからです。
それから高校生になった頃、いつの間にか「A」と呼ばれるようになったのです。
理由は・・・日本テレビの「西遊記」で、堺正章さん演じる孫悟空に、顔も、ひょうきんなキャラクターも似ているという事からこのあだ名がつきました。
子供を持つ親になりますと・・・アニメ「ドラゴンボール」の孫悟空の存在から、子供達には「いいあだ名だ!」と、羨ましがられています。
孫悟空は同じでも、かたや人間、私のあだ名の語源は「猿」だということは、まだ教えていません。
昔(20代まで)は、エテコウ(猿)はイヤだったのですが、今ではとても気に入っています。
キャンディースじゃありませんが、「普通の男の子」に戻りたいってあります。
たまに、家庭を捨てて・・・なんて事も考える事があります。
でも、私には仕事と家庭を捨てることは出来ません。
でも、子育てや生活で苦労して、子供を一人前に育てて、一生食べて行けるだけの資金を手にするには、まだまだ「人として」「男として」「父親として」「夫として」の理想と比べれば、やり切れてない。
一生恋人で居たいというような男女の愛は無いけれど、人間として、母親として、妻として大好きだから二人の間に生まれた子供達も大好きだから・・・「家族愛」だけは自慢できると想っています。
妻と子供、こいつらの為だったら私は彼らの期待に応え続けていこうと想うのです。
私は、妻の人生を、子供たちの人生を少しでも良くしてあげたいと想うのです。
妻に結婚して貰って、子供を生んで育てて貰って、その意味で大きな感謝という愛を育むことも出来た。
今の私の人生は、他人を巻き込んで自分で作ったものだから、私なりに一生をかけて筋を通そうと想うのです。
満点でこの人生を終えれば、今度こそ次のステップに進めるのだと想うことにしました。
魂は不滅、悠久の前世の経験と個性を持ち続け、愛の頂点を目指すために何度も何度も生まれ変わると信じます。
いまさら27年前に戻って・・・なんて、出来る訳もありません。
だから、もし、しんであの世で元婚約者と出会えたら、今度こそ「男と女の愛」を彼女と完成させます。
元婚約者との「男と女の愛」に戻って、後悔しない人生を一から始めたいと想います。
今の私に出来ることは、27年の想いを死ぬまで、そして、しんでもずっと持ち続け、私が信じた世界があるのだと信じることです。
BさんはBさんの「生き様」が誘う方に生きてください。
出来れば悲しむ人がいないと良いと想っています。
題名 - 一生食べて行けるだけの資金を手に
投稿A
私は、こちらに寄せた最初の投稿を別のサイトでも投稿していました。
以下は、それに返信して来てくれた方の投稿です。(参考までにコピペさせて頂きます)
私の一番好きだった叔父がAさんに似たような状況でした。
惚れて惚れて惚れ抜いていた女性と一緒に住んで、その女性も妊娠しましたが、周囲の猛反発を受けて中絶したようです。
叔父はその女性を心底愛していたようですが、周囲から見たその女性はあまり地に足がついているような感じには見えなかったようで、「妻」としてはふさわしくない、とのことで、愛し合ってる二人を強引に引き裂いて、用意した見合い相手と無理矢理結婚させられました。
それから25年ほど。子供ももう22歳と20歳。
見合い結婚でしたが、家族仲が非常によく、叔父は本当に奥さん・子供を愛してるんだなぁ。。。
と、ずーーーっと思っていたのですが、あるとき、叔父が直腸がんを宣告され、開腹したときにはすでに他の臓器にも転移しており、手が付けられなくて、切らずに抗がん剤治療を続けていましたが、病状は悪化の一途。
死期が近づくにつれ、痛み止めが強すぎて幻覚をみるようになり、幻覚を見出すと、昔愛していた女性の名前を泣きながら呼んだり、会いたい、会いたい、と私達親戚に哀願したりして、本当に悩みましたけど。
死期がいよいよ迫ってきた頃に、見るに見かねた叔父の姉が一生懸命元カノの居場所を見つけて電話をかけ、現状を話したそうです。
すると、相手の方は電話の前で「あの人が誰よりも好きだった・・・生きてるうちに、話が出来るうちに一度会いたい・・・」と言って泣き崩れてしまったそうで、叔母が深く同情したらしく、一度二人を会わせたようです。
叔父は死期が目前まで迫っていますから、意識があったりなかったり、だったんですが、それでも、意識を取り戻して、彼女の手を取って何も話さず、ボロボロ二人で泣いていたそうです。
この話は現在の叔父の奥様は知りません。
叔父もあなたのように、「妻は。妻としても母親としても申し分ない。ただ、ただ、ひとつだけ・・・・女として愛することが出来ないんだ」・・・・と、言っていました。
うちの親族はもっと早くに合わせてあげてれば良かったのかもしれないね、と話していましたが、私は、叔父の死ぬ直前に会うことができたの健康な時に会うよりはむしろ良かったんじゃないかと思っています。
Aさんが健康なうちに合って、色々と話してみるのも良いかと思いますが、やはり、それにはご自分の相当の意志の強さと理性が必要とされます。
もしかしから、20年もの月日の流れの中で価値観や考え方などがずれてしまっていることも考えられるし、相手の方も家族がいるようですから、お互いに線を引いて、深入りしない程度に留めておけばいいのじゃないでしょうか。
私個人の意見ですが、強いモルヒ〇ネで幻覚症状が現れ始めたとき、昔の一番愛していた彼女の名前を呼び続けて、その辺を手探りで探すんです。
これには、涙がボロボロ出ました。
その一ヵ月後には息を引き取りました。
叔父を自己中心的な男だと、どうして責められるでしょうか。
叔父は見合いながらも結婚して2人の子供に恵まれ、普通に平凡な幸せを送っていましたが、やはり何かに付けて彼女の笑顔を思い出したり、それは時が経てば経つほど想いが強くないいていっているようでした。
あまりアドバイスになってなくてごめんなさい。
あまりにも私の叔父のケースとかぶるものですから。
もし、どうしても会いたいのであれば、完全に線引きをするなり、彼女をもっとみじめな気持ちにさせないように配慮して欲しいものです。