人は好きなことをして生きるべきだ
他人に頼るんじゃない。物に頼るんじゃない。
ただ自分の力だけで成し遂げろ。正々堂々と己の意志だけでやりとげろ。
題名 - 人は好きなことをして生きるべきだ
投稿B
[157] 大人の夢(1)
好きなことをやって生きたいか?
それとも、嫌いなことをやって生き長らえたいか?
さあ、お選びください。
との自問に、例えばあなたが「好きなことやって生きたい」を選んだとしませんか。
でも、現状の自分は好きなことなんてしてない。
で、未来に描く希望と現状との辻褄が合わない。
だから擦り合わせをする作業が自分の中で行われるのだ。
自分はどうして好きなことができていないのか。
その理由探しの電波は脳内を駆け巡る。
今まで私は、人は好きなことをして生きるべきだと説いてきた。
説いて回ってるといえば、まるで宗教家みたいだけど、徳なんてひとつも積んでないごく普通の人間だ。
で、じゃー自分は好きなことをやってるのかと言えばそうじゃない。
自分には関係がない話だからと、人のことばかりを言ってきたのだ。
私は二〇年も余って地方公務員をやってきた。
二〇歳そこそこにとっては、社会というものが面白かった。
だから何も考えずに突っ走れた。
学生扱いされずに、○○さんと言われるだけで、りっぱな大人達と同じ土俵に立てたつもりで喜びを感じたもんだ。
いろんなことを知るたびに、好奇心が満たされて感動したものだった。
日々、一人前の人間になっていくような感じがして誇らしく思ったもんだ。
責任なんか持たされたひにゃ、緊張と達成感のはざ間でビシビシとしびれたもんだ。
しかし、その循環も一回りすれば、慣れがきて飽きもくる。
また、慣れきって飽きがきて、ダレきってる年寄達が組織を動かしてることに気がついてしまったりする。
誰も信念なんて持っちゃーいない。
持ってるものはといえば、振りかかった火の粉を払うという、反射神経だけだろう。
住民のためになんか、決して働いちゃいない。
住民の幸せなんか、決して考えちゃいない。
信念なき年寄達が口走る、まったくいけてない指令に、反応するしか能がない。
組織を改革する者なんて現れない。
だってそんなことをしたって意味がないからだ。
人事は年寄達が握ってる。
好きか嫌いかで人を動かす。
で、年寄達はいけてない。
だったら、誰も何も改めない。
二〇年もそん中にいたんだ。
私も公務員世界でないと生きていけなくなってる。
普通はそうだろう。
やってもやらなくても出世に関係がないんだ。
やってもやらなくても給与に跳ね返らないんだ。
ただ単に人間関係だけで出世するんだ。
こんなところが好きになれる訳がない。
公務員とは。
他人のことを他人のお金でやらされる。
これだろう。
他人のことを真剣にやるやつなんている訳がない。
他人のお金を節約するやつなんている訳がない。
やらされてるんだ。
気合が入る訳がない。
そんな空気に嫌悪感を覚えた。
そんなやつらと一緒に居たくない。
本当に吐き気がする。
こうなれば、もはやこれ以上いられる訳がない。
と思ったら、ふと、自分はこんなものが好きなのだろうかと疑問に感じた。
いや好きな訳がない。
むしろ嫌いだ。
と気がつくのである。
なのに、今まで私は、好きなこともやらずに、他人には好きなことをやって生きようじゃないかと言ってきた。
好きなことが見つからないんなら、嫌いな仕事をやりながら見つければいいじゃにかと言ってきた。
食える状況に居続けて、時間の合い間に好きなことにエネルギーを投入してものにすればいいじゃないかと言ってきた。
好きなことをものにするには、本気で臨まなきゃ無理である。
中途半端でいける訳がない。
世の中には、何もかも一点に集中して、死に物狂いで頑張ってる人だっているんだ。
遊びで勝てる訳がない。
で、バカな私は、こんな呑気なスタンスを何年続けたところで、好きなことがものになるという状況にはなり得ないことに気がつく。
今日の積み重ねが明日を形成する。
今、できてないものは、明日もできてない。
今できてないものは、一年後もできてないし5年後もできてない。
足し算ができる人なら、それが分かってしまうのだ。
それじゃーと、自らで挑戦してみることにする。
今すぐ嫌いなことを断ち切ればいいってことを。
断ち切ってから、好きなことに邁進すればいいんだってことに。
自分の人生を賭けて証明しようじゃないか。
自分の人生で実験しようじゃないか。
ということで、仕事を〇〇年度いっぱいで辞めることをここに決断する。
題名 - 人は好きなことをして生きるべきだ
投稿B
私には、過去に、一日六〇本も吸っていたタバコをやめた成功体験がある。
その時は、人間は意志の力だけで自分をコントロールできるのだろうかと思い、「止める」と決めたその瞬間から止めることにチャレンジしたのだった。
自分はタバコを止めると決めたんだ。
後は、それに従って自分をコントロールすればいいだけだ。
吸う訳がない。
だって、自分の主人は自分だ。
その主人が吸わないと決めてるんだ。
結果は歴然だ。
かくて私は、それ以来二度とタバコは吸ってない。
41歳の11月1日に止めたから、もう6年前の話である。
その時はニコチンを体内に摂取して徐々に止めていくなんてことは邪道だと思った。
止めるのか止めないのかはっきりしろ。
他人に頼るんじゃない。
物に頼るんじゃない。
ただ自分の力だけで成し遂げろ。
正々堂々と己の意志だけでやりとげろ。
と、そう思った。
仕事を止めるのも、それと理屈は同じだろう。
失敗すれば、家族全員路頭に迷うっていうリスクの大きさだけが違うだけだろう。
やることは同じだ。
ただ決断して実行するのみだ。
まず辞めることを決める。
それから実行するんだ。
考えれば、私は四七年間遊び過ぎたって感じだろうか。
人生五〇年と言われた昔なら、ほぼ一生分を台無しにしたっていう感じだろうか。
でも、ようやく、自分の本当の人生を送る気持ちになったんだ。
本当に長かった。
思わず、長い間タバコを吸ってたこととダブってしまう。
私は意志薄弱で、惰性に任せて生きてきた。
ニコチンの力を借りてストレス発散させながら生きてきた。
でも、止めようと思えば止められた訳だ。
嫌な流れを断ち切れるのは、自分しか居ないんだから。