自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

自己管理できない者には何もない!

感動なんてものは人から与えられるもんじゃない。

自ら奪い取るもんだ。

題名 - 自己管理できない者には何もない!
投稿B


4年前に私と同じ誕生日の人と偶然に出会ったことがあります。

私は思わず免許証を見せて、握手を求め、よくぞここまで頑張りましたねー。



と感動したものです。

いろいろあったけどよくやった。



死にたくなる程の理不尽なんていっぱいあったけど、よくぞここまで生き抜いた。

「校内暴力」なんてものは我らの世代から発生したものだ。



「いじめ」なんて現場も傍観してきた。




いじめを止めようと中に入った者は、生意気な奴だと判断されいじめの対象とされた。

それも傍観してきた。



学校とは学生というかわいい名前のさつ人者の集まりに過ぎなずだった。

よくぞそんな中を恐ろしいところで殺されずに生き延びてきたもんだ、と喜んだのだ。



ころされないように、我らは個性を押しころすことを覚えた。

みんなに紛れて目立たぬように生きる術を習った。



自然そこには感動なんてものは発生のしようがない。




でもこれって、体のいいいい訳だろうか。

自己管理できる者は何でもできるってもんだ。



自分の管理を他人の見えざる手に委ねた者達には、感動なんてご褒美は用意されないのだろう。

IT社会では、会社という箱は必要ないだろう。



わざわざ会社へ行かなくてもいいんだろう。

通勤手当なんかも払われない。



環境にはすこぶるいいんだろう。

パソコンさえあれば家庭に居ながら仕事ができるんだ。

そう思っていた。




でも、一向にそうはならない。

それというのも、我らは自己管理ができないからに他ならない。



誰かに監視されないと我らは仕事をしない。

我らは公私を区別をする能力すらないのだ。



自己を管理できない者は何もできない。

感動さえも管理できない。




感動なんてものは人から与えられるもんじゃない。

自ら奪い取るもんだ。



自己管理できない者には何もない。

まさしく、自分に感動を与えんがために、私は言葉をひねり出してきた。



自分も感動しないのに、他人が感動する訳がないと思って。

今年度を限りに、新たな感動の世界へと旅立つことを、ここに決意する。



私の個性は感動を与えること。

私の価値は言葉に感動を込めること。

そこに私の私たる存在意義がある。


題名 - 自己管理できない者には何もない!
投稿A


私の感動の記憶・・・その①

私には、実はすごい経験があるんです。



私は、喧嘩というものをした事がなかった。

中学2年生のとき、皆が恐れる中学3年生の番長と喧嘩をして勝ったことがある。



彼は大きく、その腕は丸太のように太く、眼光鋭くパーマがかったリーゼント。

私のクラスに来て、傍に居た(私を含む)男子に対して、理不尽なことを強要したのだ。



反抗する私に、顔面を狙ってきたパンチを捌き、一瞬で眠らせた。

私は身長166センチと小柄ではあったが、猫のように俊敏であったのだ。



このとき、私ははじめて喧嘩が強いのだと自他共に認めたのだった。

この日を境に、同級生から一目置かれた。(ちょっと嬉しかった)




しかし数日後、彼が3年生の不良仲間を連れて仕返しにやってきた。

体育館の裏に呼び出された私は、1対8で、ギャラリー多数。



開始1分、私は上段回し蹴りと下突き、中断突きを繰り出して一撃で4人を倒した。

次にかかって来た3人は、膝蹴り、前蹴り、後ろ回し蹴りだった。



あとの3人は、戦意喪失。

私はその中の番長に歩み寄り、何かを言おうとしたが、先生が来たらしく皆が逃げ出したので、私を残して全員逃げ出した。




私が残ったのは、上段回し蹴りで倒した相手が失神していたから。

私は強い筈だった。



小学校1年生から週に3回以上も極真空手の道場に習い、中学1年生の冬には黒帯を締めていた。

結局先生は、騒ぎの場所を間違えたのか、来なかった。




次の週の下校の途中で、先日倒した相手を含めて20人くらいに囲まれた。



誰かに後ろから絞め技をかけられて私は失神し、肋骨5本骨折、右眼底骨折、前歯2本、奥歯8本を吹き飛ばされ、その場に置き去りにされた私はボロボロになって何とか自力で帰ってきた。



当然、その後警察沙汰になった。




私は2週間の入院の後、学校の会議室で最初に喧嘩を売ってきた8人とその親を相手に、先生と私の親と目撃者の友人を交えての話になった。警察も来ていた。



8人、特に番長は吊るし上げられた。

一方的に理由のない相手に喧嘩を仕掛け、負けた腹いせに多勢で喧嘩を仕掛けたのだから当然だ。



でも、母親と来ていた彼は私に頭を下げなかった。

最低の人間だ。




次の日の夜のことだった。

私の家の前に黒塗りの車が4台、黒服の男がいっぱい下りてきた。



彼が、頭を丸坊主にして怖そうな父親と私の家を訪ねて来た。

なんて卑劣なやつだろう!って思って私は母親と玄関で対峙した。



まだ私の父親が帰ってきていないので、兄と姉は警察に電話する体制になっている。

母親は、礼を尽くしつつもガンガン相手に言いにくい説教事を言っている。




私の母は、私の前に立ち、一歩も引かずに止まらない。

しかし、いきなり二人は玄関で土下座をして、父親がこう言った。



「このたび、私の愚息が大事な息子さんに喧嘩の挙句、卑怯極まりない方法で息子さんを傷つけてしまい申し訳ございませんでした」「もっと早くに伺わなければならないものの、今日家内から聞くにいたりまして、かさねがさね申し訳ございませんでした」「愚息には男の道、人の道を懇々と教え、私なりに制裁を加えて参りました」「ご覧のとおり、愚息も反省し、剃髪してお詫びに参った次第です」




「どうか、お許しくださいますようお願い申し上げます!」

息子・・・「本当に!申し訳ございませんでした~!!」近所中に響く声だった。



そうして上げた顔は、父親の鉄拳制裁を受けたであろう、とても痛々しい顔だった。

はじめて知ったことだが、彼はいわゆる広域暴力団の幹部を父に持つ男であった。



気がつくと、玄関前の路地には多くの若い衆も両膝に手をつけて頭を下げている。

30年以上前の話であるが、フルーツの詰め合わせ(近所に配らなければならない位たくさん)と、なんと、お見舞金100万円!!




母親はビビッてしまい、対応に苦慮しながら何度も何度も断った。

しかしどんなに断ろうが、彼らが差し出したものを受け取るわけがないので、その場では頂いた。



大人になって聞くと、母親はあとでトラブルになるかも知れないからと100万円は手付かずのまま保管してあり、聖徳太子のピン札で、通し番号の(第一勧業銀行・多磨霊園支店の)帯封付き。



いかにも極道らしい筋の通し方である。




その後帰宅した父は、後日100万円を持って組事務所に行ったのだが、相手の起っての気持ちということで、上機嫌で「100万円儲かった!」と帰ってきたのを覚えている。



その後、彼は私の空手道場に入りたいというので、親友になった。

今では父の後を継ぎ、それなりに出生しています。




このことで、私には人生で最初の感動がありました。



1) 自分の意思で空手を始めたのではない私は、このとき自分の強さに驚いた。

何でも一生懸命やっていたから身に付いていたのだと、長年の苦労が吹き飛んだことです。



2) 極道という職業、私は(弱いものイジメだと)軽蔑していました。

生まれて初めて、最初で最後、職業という極道ではなく、生き様としての極道を見た。

どんな道に生きていても、筋の通った人間は格好よい。



3) 私の母親は、圧倒的多勢の恐ろしい相手に、毅然とし、怒りさえ感じながら対峙していた。

子を思う親って、すごい。

いきなり現れた多数を相手に、相手に物を言わせず一歩も引かずに人の道を説いていた。




思い出してはいつも思うのです。

みんな、自分の立場から湧き出る生き様ってあるんですね。



私には、子供にこんな生き様・筋を見せ付ける機会がないけれど、私は私の決めた善悪を基本として、私なりに筋を通して生きて生きたいと思うのです。



この掲示板に、どんどん仲間が来てくれる事を祈っています。

前のページ < 一覧 > 次のページ