自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

どうでもいい出来事とは学校へ行き

愛する人がいなければ、適当にそこら辺の異性にもてたいという欲がでてくるんだろう。

不特定多数に格好をつけたくなるんだろう。

題名 - どうでもいい出来事とは学校へ行き
投稿B


日本の月探査衛星「かぐや」からの写真。

月の地平線から上る地球を見て、ああ、地球ってなんてちっぽけなんだろうか、と思った。



その瞬間、地球上の些細な出来事がどうでもいいようにも思えてきた。

どうでもいい出来事とは、学校へ行き勉強すること。



会社へ行き仕事をすること。

それらに付帯する見栄と世間体とお金のこと。




そんなんじゃーなくて、愛する人と生きていく、ってこと。

世の中の100人中の100人が、こうやって生きてくれれば、世界は平和になるんだろう。



でも、私には愛する人が居ないんだ、って言われてしまえば、私は生きる道を知らないんだ、って言われてることと同じになる。

愛する人がいなければ、適当にそこら辺の異性にもてたいという欲がでてくるんだろう。



不特定多数に格好をつけたくなるんだろう。

見栄も張りたくなり、そのためにお金も使いたくなる。



汚い恰好はできないからと、自らを飾り立て、おしゃれにお金をかけるようになる。

愛する人が居ないんだから、いろんなことに目がいってしまう。



世間の眼が気になり世間体を気にするようになる。

月からの地球が見えないんだから、些細なことが気になってくる。


題名 - どうでもいい出来事とは学校へ行き
投稿A


Bさま



メール拝受。

返信が出来ないようなので、こちらに記します。



とても繊細な感性をお持ちの方だな・・・と、お見受けいたしました。

人間には、色々な人生があるものですね。



感じ入って、何度も読ませていただきました。

偶然ですが私も生まれは昭和37年です。




私は、東京都府中市(東京競馬場の第3コーナーあたり)に住んでおります。

普段は車で5分で行くことが出来る距離でもG1レースの開催日ともなれば、1時間かかったりという具合です。



駐車場を求めて住宅地の中まで車が入ってきたりする事もあって、小さな頃から競馬・競艇は大嫌いです。

おまけに競馬場から1Kmも離れていないところに、多摩川競艇場まであります。



ある日、朝から私には珍しい【寝て曜日】と決め込んで、本を読んでおりましたところ・・・



最終コーナーを回って、競走馬がゴール目掛けてラストスパートするところだったのですが、聞いたことのない5万人以上の人間の【喜び】【落胆】【破滅】【欲望】が入り混じった「ウォー」という喚声に、ビックリしたことがあります。




よほど大きなレースで、期待を裏切る高配当(万馬券)が出たレースだったのです。

5万人以上の人間の喚声を聞いた私は、その喚声を聞いて心の底から「感動」してしまいました。



この喚声は、なんとも言えない「腹というか、五感のすべて」に響くものでした。

訳も判らぬ感動をしたのは、これが最初で最後です。



最近の若い人たちって、【感動】の涙を流しません。

努力して、自分の力で何かを勝ち取ったり、願って願って、何かを手に入れたり、艱難辛苦を乗り越えて・・・なんて



言葉は死語にも等しいのでしょう。

好きなもの、欲しいものはTVをつければ、TVの中にある。



好きな歌も、見たい映像も、知りたい事も、買い物すらパソコンで24時間出来る。

人と人との会話すら存在しない、脆弱な世界です。




さつ人事件は昔からあった。

私が生まれて間もない頃、【吉信ちゃん事件】というのがあった。



犯罪史を紐解いて判るのは、被害者のお子さんやご家族にはとても悲しい出来事であったと言うことでした。

でも、加害者に目を向けてみると犯人にも、同情する一面があった。



犯人は、犯罪とは無縁の人間だったものの【商売】で失敗して、食う金すら困るという貧困であった。

食うための借金を重ね、酷い取立てにも耐え、彼なりに【父親】たろうとした。



その犯人にも、貧困に苦しむ妻や幼い子供たちがいたのだ。




犯人なりに、何としても家庭を守って子供に食べさせてやれるだけの金が欲しかったのだ。

犯人が良い暮らしをしたり、犯人が豪遊したり好きなものを買うためという動機じゃなかった。



彼なりに子を想う親としての理由があったのだ。

最近のさつ人事件を見て見ると・・・欲しいものはTVや雑誌で見つかった、後は金を手に入れれば良いだけだ。




しかし金がない。

でもアイツは、俺の欲しいものを持っている。じゃあ、アイツをころしてアイツの持っているものを奪おう・・・。



子を、親を想うなんて動機じゃなく、ただ贅沢したいから。欲しいから。

遊びたいから。



犯したかったから。

友達の乗ってる車が欲しいといって、友達をころした事件もありました。

記憶に新しい【光母子さつ人事件】なども典型的な例でしょう。




もちろん犯罪は犯罪です。

極限まで食うに困って、自ら生きるため、子を育てるため、他人をあやめた。



欲しいからころした。

犯したいからころした。

金がないからころした。




これらは、すべて苦労せずに楽をして、何かを手に入れようと起こした自分勝手な罪です。

今と昔、【罪名】は同じでも、昔のさつ人と今のさつ人は、全く違う事件なのだと思っています。



感動をしない人間が、どんどん生まれているように思います。

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