自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

親が子供を愛するところから始まる

子供が小さいうちは、親には一方的に与えることだけが要求される。

愛が返ってくることを初めから期待することはできない。

題名 - 親が子供を愛するところから始まる
投稿A


1)子供の時期



まず子供としての時期には、一方的に親から愛されることになり、こうして子供は、親との間に「縦の愛」の関係をつくり上げる。

親と子供の愛の関係は、親が子供を愛するところから始まる。



このプロセスの中で親は、本能次元であるけれども「一方的に与える」という利他愛の実践をすることになる。



(*最近では、親としての最低の本能さえも失われたのか、子供に与えることを嫌がり、子供を虐待したり、育児を放棄する人間が現れるようになっており、これは最も次元の低い動物的本能性の顕(あらわ)れ・エゴの極(きわ)みと言える。)




子供は、親からの愛を受ける中で少しずつ成長してゆく。

子供は無条件に親を信頼し愛を求め、自分のすべてを親に委(ゆだ)ねることになる。



それは親にとっては、「愛が返ってくる」ことを意味する。(*本格的な親への愛の返却は、子供が大人になってから実現する。)




こうした形で子供は、親との間に愛の関係・愛のサイクルをつくる。



この段階で子供は、縦の愛情関係を体験し、将来における神と自分との霊的関係(縦の愛)の霊性を身につけることになり、子供は肉親との関係を通じて、神という“霊的親”を無条件に信頼し、自分のすべてを委ね投げ出していく霊的感性と霊的絆の土台をつくってゆく。


題名 - 親が子供を愛するところから始まる
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2)兄弟関係・友人関係・仲間関係を体験する時期



子供は成長にともない、兄弟関係を結ぶようになる。

学校における友人関係・仲間関係は、兄弟関係の延長になり、親との関係が「縦の愛」であったのに対し、兄弟関係・友人関係は「横の愛」。



この段階では、状況に応じて自分が先に与える立場に立ったり、先に受ける立場に立ったりする。




親子の関係では、ほとんど親から愛が与えられたが、兄弟関係では状況によって与える立場に立ったり、与えられる立場に立ったりと、かなり流動的になる。



その中で一番重要なことは、自分から与える「利他愛」の力を身につけることだ。愛のサイクルづくりの主役になる能力を養うこと。




3)夫婦関係を結ぶ時期



肉体が成長して成人となり、結婚して夫婦関係を結ぶようになる。

“夫婦愛”は、兄弟愛と同様「横の愛」だ。



兄弟関係が複数の人間との間に結ばれるのに対して、夫婦関係は決まった相手との間に結ばれる横の愛。

夫婦関係においても、与える立場・与えられる立場は状況によって流動的に変化する。




(*夫婦関係が常に固定した上下関係となるのは、摂理に一致していない。 それは人間の尊厳を無視し、相手を所有物として見る“利己性”を生み出す。 上下関係が流動的であることにおいて、夫と妻の人権の平等性が保たれる。)



夫が先に妻を愛することもあれば、反対に妻が先に夫を愛することもある・・・こうした流動的な愛の上下関係の全体が“夫婦愛”だ。




これが摂理に一致した夫婦の在り方だ。それに対し結婚して夫婦となったものの、一方があまりにも霊的に未熟で、子供のように受けることしかできないというような場合には、摂理に合った夫婦関係は成立しない。



世に言う“マザコン夫”は、この典型であろう。

こうしたケースでは、お互いが与え合うという健全な愛のサイクルは成立しない。



夫婦がともに利他愛の持ち主で、愛の主体者として相手を優先的に愛することができるとき、摂理に一致した“夫婦愛”が確立されることになるのだ。




4)親になる時期



やがて子供が生まれ親になる。「親になる」ということは、子供に一方的に愛を与える立場に立つということだ。

すなわち血縁レベルで、自分が中心となって愛のサイクルをつくっていく主体者になるということだ。



子供にとって親は、「肉体を持った神」の立場にある。親が神と結ばれているかぎり、子供は親に従い親を慕うことで神と結ばれることになる。



こうして親は「神の代理者」として、子供の魂の創造に携わることになる。

子供は親を無条件に信じることで“神の愛”を受けることができるようになっている。




子供が小さいうちは、親には一方的に与えることだけが要求される。

愛が返ってくることを初めから期待することはできない。



やがて子供が大きくなるにともない、自分(親)の愛が受け止められ、子供から愛が返ってくるようになり、愛のサイクルが形成されることになる。



親として「一方的に与え続ける」というプロセスを通じて、利他愛の実践訓練がなされるのだ。



人間は家庭という「愛の訓練場」において、血縁とは無関係な人々を愛する能力を身につけ、霊的成長の道を歩む準備をしていくことになる。




霊的自立期・・・愛の関係をつくる主体者としての内容を確立する時期

家庭における成長プロセスの中で最も重要な点は、「利他愛を身につけ、自分から与えることを覚える」ということだ。



そうした霊的資質は、結婚に至る期間に、ある程度まで身につけておかなければならない。

基本的な利他愛の実践ができるようになってこそ、“夫婦愛”という愛のサイクルをつくる資格が与えられることになる。



愛のサイクルづくりにおいて「主体者」になれるということは、「霊的自立者・霊的大人」の仲間入りする資格を持つことを意味する。




「他人を利他愛で愛することができる」・・・これが霊的自立の目安だ。

もしそれができないと、先に述べたように霊的に子供のままで結婚し、夫婦関係を結ぶようになる。



当然、夫婦としての愛のサイクルを築くことはできない。

また子供が生まれたとき、親としての「愛の主体者」の立場、一方的に与え愛し続ける立場を全うすることができなくなる。




大人としての最低限の霊的資格を持たないまま子供をもうけることは、後になって大きな問題を引き起こすようになる。

*家庭生活における一番重要な点は――「利他愛を身につけていく」ということだ。



大人になったときに「他人に奉仕することができる人格を養う」ということだ。



この目的にそってこそ“家族”という人間関係が「霊的価値」を持つことになり、つまりどれだけ家族関係が完全であっても、肝心な「霊性教育(魂の教育)」ができなければ意味がないということなのだ。




残念ながら現在の多くの家庭が、そうした状況に陥っていると言える。

反対に事情があって家族の人間関係に欠けたところがあっても、それに代わる人間関係の中で子供の霊性は成長することができよう。



離婚や死別、その他の理由によって親がいない子供であっても、親に代わって正しい親の愛(利他愛)で愛してくれる祖父母や施設などの擬似親(ぎじおや)がいれば、順調に霊的成長することができ、子供自身のカルマによって、不遇な家庭環境を選んで再生してきている場合もあるのだ。




霊的発展期・・・利他的人格の拡大・霊性の向上

この世に生まれ、親から愛され、兄弟関係・友人関係・夫婦関係・親子関係を結ぶ人生は、利他愛の原型を身につけていくプロセスだ。



霊的自立期を迎えるとともに、家庭レベルでの利他愛を外部に広げ「真の愛の世界(霊的な愛の関係)」をつくっていく時期――「霊的発展期」に入っていくのだ。




家庭という血縁関係の中で与えることを覚え、愛のサイクルづくりの主体者となる資格を身につけて霊的自立し、そして子供をもうけて親となる中で、さらに利他愛の訓練を重ねることになる。



それと同時に“血縁的家族愛”のレベルを超えて、本当の意味での「利他愛の世界(霊的な愛の世界)」を拡大する段階に入っていく。



いつまで経っても血縁愛・家族愛のレベルにとどまり、霊的な愛にまで広がっていかないならば、霊的成長は達成されず、摂理に一致した愛の関係をつくり上げることはできない。




誕生→子→兄弟→友人→霊的自立期→夫婦→親→霊的発展期



「その(神の)愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく、血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃える。」



年を重ねるごとに、相手を選ばない愛を与えられるようになるという事だ。

愛は深い。



人間は神や宇宙、愛の摂理をまるで理解していない、自信過剰の生き物だ。

だが、感じることの出来るものか少しずつ、愛の次元を上げてゆく。



愛の次元を市場のレベルに上げたものは、宇宙を創造する愛の一部になるのだ。

愛は全てだ。

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