自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

あけましておめでとうございます!

この言葉を、何十年と変わらずに繰り返し、

やり取りして来たものです。

題名 - あけましておめでとうございます!
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新年明けましておめでとうございます!


新年明けましておめでとうございます



「あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとうございます」



この言葉を、何十年と変わらずに繰り返し、やり取りして来たものです。

せっかくの新しい年ですから、今年は、自らが取り組んだことを、年末に集計しよう、そう決心することにします。

「よーし、今年は遣るぞ」と気持ちも新たになっていることですし、ちょうど良い機会です。



とは言ってみたものの、来年も、また「あけましておめでとうございます」と、いとも簡単に、

繰り返していることが想像できるように、年末での集計結果も、容易に想像できてしまいます。



「勉強以外は何もしなかった」、「仕事以外は何もしなかった」と。

学生は勉強が仕事だから、勉強以外は何もしないのが当然だ、と言われてしまえば、それまでです。



しかし、その言い回しを借りれば、大人は仕事が仕事だから、仕事以外は何もしないのが当たり前だ、という言い方が出来てしまうのです。

大人は仕事で忙しく、学生も勉強で忙しい。それ以外の事なんか、する暇は無い、と言われてしまえば、それもそれで全くその通りなのです。


題名 - あけましておめでとうございます!
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そもそも、勉強以外は何もしない人間が、社会に出て働いているのですから、仕事以外は何もしない、というのは説得力があります。

今まで遣ってもいないのに、急には出来ない、ということなのです。



「大人は仕事が仕事だから、仕事以外は何もしないのが当たり前だ」と聞いて、「うんうん」と頷いてしまいます。



それならば、「今年は遣るぞ」と思うことを止めましょう。何も決意しないことに致しましょう。

「決意しないことの決意」、ちょっと皮肉交じりの言葉ですが、何のことは無い、要は、何も決意表明しないし、何も実行しない、今まで通りの年始、ということです。



決意しても何もせず、決意しなくても何もしない。

題名 - あけましておめでとうございます!
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おまけに、決意しないことの決意をしても、何もしないのです。



死ぬまでに、数十回は来るであろう年の初めに、どのように足掻(あが)こうとも、結果は決まっていて、

現時点において、自分の一生をすべて見渡すことが出来てしまうのです。



「勉強以外は何もしなかった」、「仕事以外は何もしなかった」と。



それとも、年始に当たって、「今年も仕事を一年間続ける」、「今年も勉強を一年間続ける」とでもしておきましょうか。

しても、しなくても、結果は同じですが。

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