人は誰でもタイムマシンを持ってる
心はひとつ、生まれたときに渡されたきりで、
取り替えることもできなければ、修理もきかない。
題名 - 人は誰でもタイムマシンを持ってる
投稿C
> この男女の愛の完成が無ければ、大いなる愛には到達できまい。
> 愛を極めてゆく基本の基本が、こうした男女間の愛なのだろう。
う~ん、普通はそうなんですかねぇ?
でも、私には難解すぎて理解できません。
二つが限界で、三つ以上は沢山なんです。
男女の愛を完成させると、他人を入れる場所が無くなります。
それに、道を究めるには、頼れない気がします。
「男女間の愛が基本」と主張して、大成した宗教は思いつきません。
真言立川流の様に、結局、邪教として滅びるだけの気がします。
「今」を生きるには、大いに役立つかもしれませんが。
真の基本は「自己愛」だと思います。
道は険しいですが。
> 神=宇宙=愛だと思う。
これは、端的に否定します。
そこには、私の居場所がありません。
少なくとも、「宇宙」に私の肉体の置き場を用意しないと、そこは架空の閉鎖空間です。
B様:
> 学生の頃。
> お金がない。
これは無かった。
> 地位がない。
> 名誉がない。
こっちは存在していましたが。
生徒会活動は、それなりに楽しいものでした。
小学生の頃の話ですが。
> それらから派生する自由がない。
> 人生の楽しみのほとんどがない。
金で買える様な自由や楽しみは無かったけど、他はありましたねぇ。
> くそおもしろくもない授業がある。
分かると、それなりに面白いのですが。
> 強制労働のような体育祭がある。
志願して、旗持ちをしましたねぇ。
> さらしものにされる学園祭がある。
志願して、笑いを取りに行った時期も在りました。
裏方に徹したことも在りました。
どれも、参加すれば楽しいものです。
> 親と先生には絶対にさからえない。
こっそり逆らい、ちゃっかりお仕置きを食らいました。
或いは、公然と逆らい、当然の如くお叱りを受けました。
> まったくもって不自由の極みである。
叱られる事を恐れなければ、大抵のことは自由でしたが。
> お金で買うったって、何を誰のために買うのさ。
自分の為に、時間を買うのが懸命です。
何処の時間を買うかは、悩ましいですが。
> 名誉たって、たいまんはってつかみ合いの喧嘩をしてるのに、何の役にも立ちゃしない。
掴み合わない為の名誉です。
実戦には、武器を持ち込むのが、賢いやり方です。
そして、本当に必要なら、躊躇うことなく相手を滅殺するのが、真の勇気です。
でも、敵を味方に出来れば、もっとスマートです。その為には知恵が必要です。
殴り合いなら、知識の無い野蛮人にやらせておけば十分です。
> 相手も金のことばかり考えてる。
> どいつもこいつも。
> 口を開けば金ばかり。
それは、相手を選ばないと。
> ネットを見ても。
> かしこい人が金の増やし方ばかりに言及する。
金の増やし方に言及するページしか見てないからでしょう。
なんせ、ヒットし易いですから。
> 学生の頃。
> 何にもなかった。
> でも、世間に毒されず、不純物もまだ混じってない。
私の場合、学生の頃は、余りに無知で、社会を知らなさ過ぎました。
故に知る必要が在ったのです。
> あれこそが、本当の人生だった。
> ほんとうに自由な人生だった。
真の私の人生は、始まったばかりです。
そこは、束縛ばかりだけど、束縛を作り直す素材と自由が存在します。
題名 - 人は誰でもタイムマシンを持ってる
投稿A
人は誰でもタイムマシンを持っている。
過去へは記憶が、未来へは希望が連れて行ってくれる。
時代は終わり 僕も君も変わる。
そして遠くなる 僕と君がいた風景。
心はひとつ、生まれたときに渡されたきりで、
取り替えることもできなければ、修理もきかない。
山から遠ざかればますますその本当の姿を見ることができる。
愛にしても、家庭にしてもこれと同じだ。
題名 - 人は誰でもタイムマシンを持ってる
投稿A
近況報告です。
精神的にはようやく落ち着いたと思います。
というか、自分の立ち位置、今ある私が把握できました。
彼女の気持ちが流れ込んでくるだけでなく、信じられないかもしれませんが、私の気持ちも彼女に流出(伝播?)しているようです。
お互い相手の日常生活で感じる喜怒哀楽が(伝わって知ったところで何の関係もないのに)伝わってきます。
だから、お互いが何をしていて何を感じているかが、何となく判るのです。
非科学的ですが、魂の双子なんだろうなという説を疑う事も出来ず、受け入れています。
彼女とのメールのやり取りの中に、なぜ今になってシンクロしてしまうのかという事について、不愉快ではないけれど、シンクロしたところでどうする事も出来ない事なので、自分も困っていると書いていありました。
すぐに始まってしまう感情を押さえての行動ですが、 確かにそれはとても辛いです。
前にも申し上げましたが、彼女が運命の女性だったと考えれば、私の人生はとても解りやすかった。
人生の早いうちから大事なものが、すぐ傍にいて、儚い夢を描く事が出来ていたのだから。
私も、「勉強」のために敢えてこのアクシデントがあったのかなと思います。
本当は乗り越えなければいけなかったのだと確信しています。
もう取り返しのつかない事ですが、あの時の私に、大人の男としての愛情があったらば、こんな結果には成らなかったであろうことにとても反省しています。
せめて、私の3人の子供たちにだけは私のような思いをさせたくないので、低次元で不要な感情で、愛を見つめる事だけは辞めさせたいと考え、(よそのご家庭では有り得ないかもしれませんが、私と元婚約者の話を例にして、話をしています。)
子供はまだ汚れを知らず純粋ですが、私と同じ目にあったら逃げ出してしまうだろうという気持ちでしたが、すこしづつ理解をして来ているように思います。
妻に対しては、終わったこと、過去の事と明言しています。
私が後悔する一点は、「仮に彼女と今、家庭を築いていようがいまいが」、自分たちが嫌いで別れたのではないのに、その時の私が向きあわず逃げるという結論を出しだ事についてです。
あれだけ愛していながら、許す事が出来なかった。
あれだけ愛していながら、彼女が言わなくても良い事を敢えて私に言ったという真心や覚悟や純粋さという「誠意」に対して、私が(とことん付き合って、とことん向かい合って)結論を出さなかったという「誠意」の無さに対して、私は私自身に怒り、私自身を許せずに、愛情が足りなかったという現実に後悔しているという事です。
もちろん、今の妻との人生は素晴らしいものです。
今を否定するつもりなど私には皆無です。
ただ、その時自分に(通常では有り得ない程の偶然や縁で彩られ、(大切なものなんだという事が)判りやすく、人生の早いうちから私の目の前にいた彼女に対して、また、自分の、自分たちの未来に対して行った行為に対して、やるせない気持ちで一杯です。
私には、彼女と幸せになる道があったのだから。
未熟な私は、心の整理もつけず、心の成長も止めたまま、彼女の誠意に応じる事もせずに、 全てを忘れて、今の妻との人生を選んだわけです。
今の妻に対しても、とても失礼だった訳です。
私の行為は、人間として許される事ではないのです。
この罪を、一生背負って生きていくとこに変わりはありません。
ひとつ良かった事は、彼女に謝る事が出来たという事であり、ここへ到達すまでの私は、色々な本や話から、人間として大切な要素を吸収し、その結果、人生が豊かになり、立体的に理解できたという事でしょうか?
失礼しました。
これで引きずる事がな