厚い本の中に幸せがあるんじゃない
いくら探したところで、そんなところには幸せは存在しない。
結局は、自分で歩いてる足元に幸せはついてきた。
題名 - 厚い本の中に幸せがあるんじゃない
投稿A
Bさま
私が元婚約者に会おうとすることは、不倫ではありません。
お互いにある、わだかまり、行き違いが支配する思い出を、会って話し合う事で、過去をすこしでも良い思いでに変えられたら良いし、お互いのあれからの人生、今までの人生、そしてこれからの人生を興味本位で聞いてみたいとも思う。
そして、お互いはお互いの伴侶と人生の後半部分の戦いを頑張ってゆく為にも良い結果になると思います。
ただ、このサイトに相談に来たときは、自分が何のために会うのかも判らず、元婚約者の事を不倫の対象と考えているのかとも自問自答した時もありました。
でも、違いました。
その時に、こんな文章に出会い、恋愛とか不倫、夫婦というものを考えた事があります。
宗教的戒律が人の生活を縛ることが少ない日本人にとって、生活の規律であった道徳や常識が著しく相対化した現在、何が倫理的に良くて、何が悪いのかを判断することが難しくなっている。
「不倫だって恋愛の一種。幸福を追求する権利(憲法第13条)の問題。」と主張する人もいることだろう。不倫は配偶者を裏切ることになるのでいけない。しかし、それは裁判所のような国家権力が介入してくるような問題なのだろうか。」
恋愛や不倫、夫婦というものにBさんはどう思いますか?
その線引き・似たところ・決定的に違う事、善悪。
題名 - 厚い本の中に幸せがあるんじゃない
投稿B
私の考え方はいたってシンプル。
私は愛する者と一緒に居たい。
自分の気持ちに正直に生きる。
結婚してて、どうしてもそれが邪魔になれば離婚すればいいんでしょう。
邪魔じゃなきゃ、そのままでもいいけど。
善悪も、線引きもありません。
恋愛、不倫、夫婦などの言葉には一切拘りません。
愛する人と一緒に人生を送りたい。
ただ、それだけです。
題名 - 厚い本の中に幸せがあるんじゃない
投稿A
B様
私は、私なりに30年近く前の元婚約者への感情について、考えて来ました。
理性と本性の一本勝負を気取りながら、結局は引き分けです。
今の妻も十分愛しているし、不満もありません。
昔は昔、今は今…というところでしょうか?
私には不倫も二重生活も出来ません。
本気しか出来ません。
これまで積み重ねて来たモノなど何もないし、有ったとしても吹けば飛ぶような…です。
でも、また今までの人生同様に、価値の有無にかかわらず色々と積み重ねてゆくんです。
江戸時代の日本は、世界で(最も進んだ?)不倫天国だったらしい。
現代ではどうであろうか?
個人の感情というものを、夫婦関係・恋愛関係によって束縛しているとも思える。
夫婦・恋人である事の代償に、何か貰えなければ、人に何も与えない・・・。
嫉妬と独占欲は、人間の我儘・争い・勝者と敗者・エゴイズムを生みだす原因でもある。
私は、生まれてきた意味、出会った意味、結婚できなかった意味をとても知りたい。
夫婦であろうと、恋人同士であろうと、個人の想念だけは自由でありたい。
今週末の再開を目前にして。
題名 - 厚い本の中に幸せがあるんじゃない
投稿B
現に行動する者の上にしか幸せは訪れない。
だから私は、法律の範囲内で自分の好きなように行動してきた。
そして、自分で生み出した責任は自分でとる。
賢者ぶって他人のことを偉そうに言ってみても、評論家風に他人の人生を切り刻んでみても、もちろん傍観者を決め込んだところで、そんな口だけ人間のところになんかへは幸せなどは来やしなかった。
分厚い本の中に幸せがあるんじゃない。
ホームページの中にも幸せは存在しない。
他人が作り出した社会常識の中にもありゃしない。
いくら探したところで、そんなところには幸せは存在しない。
結局は、自分で歩いてる足元に幸せはついてきた。