一人の愛する妻を得て地上の目標は
全然失礼じゃないです。
私の観点では、反論があるのに黙って去る方が、不誠実で失礼です。
題名 - 一人の愛する妻を得て地上の目標は
投稿C
>これ以上妻を悲しませたくないからです。
>これ以上不安にさせたくないからです。
これは、あなたが勝手に思ってる、あなたの願いに過ぎません。
自身の本音を隠している限り、相手の本心を知ることは出来ません。
>これも妻に対する愛情であり、心遣いだと思っています。
それは、「心遣い」と云う言い訳が付いた嘘です。
嘘を吐くのは、不誠実な行動です。
不誠実な人が、騙そうとしている相手を愛せるでしょうか?
>地上の目標は人それぞれでしょう。
「地上の目標」は、形而上の存在であり、当然人によって違います。
>しかし、私は私の地上の目標に気がつきました。
果たして、形而下の存在と結びついたのでしょうか?
形而下の「妻」は、人間の個体であり、空想上の人物ではありません。
>ヘーゲルの言葉。
>「一人の愛する妻を得て、【私】の地上の目標は達成された。」とKさんに教えていただいた。
これは、形而上の存在と形而下の存在を結ぶ方法の一つに過ぎません。
哲学は方法論であり、無数の「方法」を提供します。
安易に一つの方法を選択するのは、哲学の間違った使い方です。
>私もヘーゲルさんと同じ事に気がついたという事です。
状況が全然違います。
ヘーゲルの言葉は過去形であることが最重要点です。
既に達成したから「目標」に成り下がったのです。
ついでに、「一人の愛する妻」が実在しないと意味がありません。
あの言葉の持つ意味は、単に「現状で満足」と云う事です。
>重要なのは、結果ではなく、自分の心の満足度だと思います。
これは、そうです。
私は「結果が重要」等とは言ってません。
重要なのは、「客観的に判断できること」です。
主観を主観で評価していたら、迷路に迷うだけです。
>金メダルを目指していた人が、メダルを逃した・・・とします。
対象が全然違います。
「金メダル」は、完璧な「目標」です。
何故なら、獲ったか獲らなかったかは、誰の目にも明らかだからです。
文句なしに客観的かつ定量的です。
そして、その違いは、決定的に行動に現れます。
本気で金メダルを目標に設定すれば、どんな練習がどれぐらい必要か、何を犠牲にして何をするべきかの道が、はっきりと見えるからです。
当然ですが、メダルに届かない人には「指針」になり得ても「目標」にはなり得ません。
具体的な計画が立たないからです。
さて、「元気はつらつで愛する人と見つめあって生きる事」から、どんな具体的な計画が生まれますか?
>人間は、一人では何もできません。
これは、正しいです。
でも、残念ながら、「自分」は、一人しか居ません。当然、自分だけでは何も出来ません。
自分以外の人間に頼らないと生きていけないのです。
>勘違いや片思い、出会いと別れを繰り返しながら、他人(自分の半分)と交わる術、大切にする気持ちを他人と自分は全く別の存在です。
他人には予備が有るけど、自分には予備は無いのです。
交換可能な部分は、もう「自分」ではありません。
>私はヘーゲルさんに悟らされました。
悟った人は、もう悩みません。
>その気持ちをきちんと表現したいと思ったのです。
さて、実際に表現できたのでしょうか?
>ご意見を頂いておきながら、求めておきながら失礼だと思いますが。
>申し訳ありませんが、私にとってですが・・・あなたの考え、違うと思う。
全然失礼じゃないです。
私の観点では、反論があるのに黙って去る方が、不誠実で失礼です。
題名 - 一人の愛する妻を得て地上の目標は
投稿A
Cさん、ありがとうございます。
あくまで私個人の考えですが、人生とは、清濁併せ呑みながら意識的にも無意識にも学び、感じ、喜び、悲しみ、後悔し、それまでの考え方を変えたり一層強いものにしたりして行くものだと思うのです。
5人の家族なら、1人の人が思い悩む事による【家庭内の活力や、雰囲気の低下、それによる感染】というものを生み出してしまいます。
嘘である事は確かですが、もうこれ以上妻にも子供にも言いません。
これ以上は、自分以外の人間に【私の葛藤や悩み】を明らかにする必要もありません。
また、妻の本心を知る必要もありません。
嘘を付くことが、騙す事という事だとも思っておりません。
なにより、私は、そして妻は、【家庭】の経営者でもあるからです。
嘘をつく事が、不誠実などとは、まったく私は思っておりません。
私は平気で他人に嘘もつける人間であり、時として自分に対してでも嘘をつきます。
決して、人格者・聖人君子にはなれませんので、この点ご容赦を。
哲学は方法論じゃないと思います。
個人の知恵であり、意志であり、現実であり、悟りであり、結果であり、難しい思考回路を持つ人が考えた哲学は、
凡人の私には難解ですが、そうでない哲学とは【やたら言葉を並べた表現から、贅肉をはぎ取った真実】を語るものも多く、
数行の言葉でも苦労しなければ判らなかった、理解出来なかった真実があり、詩的ですらあります。
対象は何でも良いんです。
金メダルだろうが、目の前の女性だろうが、テストだろうが、経済的な成功だろうが。
客観的かつ定量的である必要はありません。
1分前の自分ではなく、1分後の自分が何かを主観で理解すればいい。
他人と自分は全く別の存在だというのも、求めあい、愛しあい、ともに暮して、同じ夢を見れば、同じ悩みも、同じ苦労も、同じ心配も、同じ幸せも、2人は同じです。
「元気はつらつで愛する人と見つめあって生きる事」から、同じ心が生まれます。
お互いの心は、【一人の愛する妻】【一人の愛する夫】といった体に別れていても同じになんです。
違うのは、体が男と女に別れて2つあるという事です。
電気も見えないけど電機は使える。
電波も見えないけど電話は使える。
人間のすべては【見えない精神】に支配されているのではないでしょうか?
そして悟った者も悩みます。
一人の妻を探し当てるのに、ヘーゲルは何回生まれ変わったのでしょう?
私が後悔して悟った事を、ヘーゲルは満足して悟ったのです。
しかし悟った内容は同じなんです。
ですから形而上・空想・個人・過去形など、贅肉をそぎ取って意味を理解して下さい。
彼は、目標を達成したのでなく、生まれて来た意味を感じ取ったのでは?
手紙では、表現できたと思っています。
失礼いたします。
題名 - 一人の愛する妻を得て地上の目標は
投稿C
はぁ、結局、また逃げてしまうのですかねぇ。
#62で交わした、奥さんとの約束も守れずに。