| 寺嶋眞一 2004/10/23(土)
18:36:37
無哲学・能天気のこと
哲学のないわが国に英米の哲学が持ち込まれるのは、一体どうしたわけか。それは、歌詠みが英米の「今ある姿」として、その内容を気分・雰囲気としてこの国に導入するからである。この国には、哲学者の「あるべき姿」対、歌詠みの「今ある姿」の戦いがある。「我思う、ゆえに我あり」(I
think, therefore I am.)
の「思う」は、英米人の「考える」であり日本人の「感じる」である。「だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか」とは、感じに関する事柄である。日の丸・君が代の問題について反対派と議論をするのは、哲学者が歌詠みに議論を仕掛けるようなものである。ようするに、歌詠みの説明によれば、日の丸・君が代を持ち出すことにより気分・雰囲気が悪くなるという感情論である。’There
is no accounting for tastes.’ (趣味に論拠なし)
という諺がある。個人に関することがらは「あるべき姿」ではなく、英米流の議論により決着を計ることは出来ない。理性のないものは、取り除くしかない。この英米流の判断は、日本人にとって銘記すべき極めて重要な事柄である。この国の有識者・知識人は、英語による考え方を理解しなければならない。
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。
宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、宮「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、幹「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、宮「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、幹「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」。
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