間違った我が身の未来の成れの果て
我らは身近な人が成し得たものを、
自分にも出来るものだと考えることができる。
題名 - 間違った我が身の未来の成れの果て
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彼はタクシーに乗った。
もちろん、後部座席に社長のごとく、にである。
もちろん、支払いなんかには気にも留めない。
とうぜん、誰かが払ったんでしょ、という風格さえ漂わせた。
責任論に発展しないように、お金の話には首を突っ込んでこない。
いや、単なるケチだ。
とにかく、偉そうにしているけど、そのくせ何にも出来ないと、東大法学部は来てる。
こんなにも、東大法学部が何にも出来ないのは、みんなが、ちやほやとするからだろう。
みんなが、甘やかして来たからだろう。
とにかく、何もしない理由は、東大法学部を出ているからに違いない。
そうに違いない、と決め付けるけど、とにかく、お金の管理はできないし、
自分ひとりの世話もできやしない困ったちゃんだった。
さて、この東大法学部を見て、人は何を思うのだろう。
我らは、身近なリアリティに触れれば、自分の身にも起こるものだと錯覚できてしまう。
東大法学部は教師の言うとおり、血反吐を吐きながら勉強しまくり、ライバルを蹴散らして来た。
そして東大法学部に入学して、我らに成功を見せつけてくれてるのだ。
目の前のこの現実を、我らにとっても成功なんだと捉えることができれば、
我らは、この身近なリアリティを、我らの手本として近未来の目指すべき姿とすればいい。
自分が幸せとなりて、他人の見本とならば、周囲は、たちまちの内に幸せになれるんだから、大いに感化されて真似すべしだから。
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でも、これを失敗例だと捉えてしまえば、絶対にマネしてはいけない、
一歩間違った我が身の未来の成れの果てと映るのだ。
絶対に、そうなってはいけないという反面教師となる。
かように、己が害毒を撒き散らせば、周りは必ずや、不幸となろう。
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我らは身近な人が成し得たものを、自分にも出来るものだと考えることができる。
だから、先人達は太古より、どうすれば幸せになれるのかを、何パターンも考え出して、この世へと提示して来たのだ。
東大法学部へ行けば、幸せは間違いなしだなんてことも、そのひとつだろう。
でも実際、そのパターンを真似してみたって、我らはぜんぜん幸せなんかにはなれない。
それはどうしてか?
って、もう決まってるか。
我らの幸せのパターンは、そんな古典的なパターンでは、満足しきれない。
その人の幸せの形は、その人特有で、この世には一通りしかない、その人固有のオンリーワンパターンだ。