自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

北朝鮮による日本人拉致問題事件!

自分の好きな仕事であるかどうかなどは、

義理人情の前では、消し飛んでしまうようです。

題名 - 北朝鮮による日本人拉致問題事件!
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北朝鮮日本人拉致事件!北朝鮮による日本人拉致問題!


北朝鮮日本人拉致事件!
北朝鮮日本人拉致問題!


どうしても気になる言葉、「俺の24年間をすべて否定するのか!」、北朝鮮に拉致されて、

2002年10月15日、24年ぶりに郷里に帰ってきた5人のひとり、蓮池薫さんの言葉です。



蓮池薫さんは、日本に永住するよう説得する兄や友人に対して、

「俺の24年間をすべて否定するのか!」と発言しています。



蓮池薫さんにしてみれば、自分の意志には関係なく、強制的に与えられた自分の境遇や環境を受け入れざるを得ず、

そこで生活をせざるを得なかったのです。



肉体的、精神的な死を招かないためには、与えられた環境の中で、生き甲斐みたいなものを強引でも良いから、

探し出し没頭する必要があり、そして現にそのようにして生きて来たのでしょう。



それを全部否定されてしまっては、敵いません。

そこで出た言葉が、「俺の24年間をすべて否定するのか!」になるのです。



「すべて否定するのか」と言っているのですから、誰かに北朝鮮での人生すべてを否定されたのでしょう。



拉致された先、すなわち間違った土台の上に、いくら仕事の実績や、家族との絆を積み上げても、

それらはすべて否定されるものである、とでも言われたのでしょうか。



北朝鮮での仕事に、遣り甲斐があったかどうか、毎日が、死ぬほど辛く、抜け殻のようであったかどうか、

家族が唯一の生きる望みであったかどうか、それらは蓮池薫さんに聞いてみなければ分からないことですが、



何れにせよ、自由な選択が出来て、初めてすべては肯定されるものであり、それが無い以上は、

例え遣り甲斐のある仕事を24年間積み上げたとしても、それらはすべて否定されるものである、とでも言われたのでしょうか。



さて、大学を卒業をして、サラリーマンになった人に、24年間を足すと46歳になります。

46歳のサラリーマンが、リストラされたとします。



さて、サラリーマンは何て言っているでしょうか。

「俺の24年間をすべて否定するのか!」



では、リストラではなく、会社そのものが倒産したとします。

さて、サラリーマンは、何て言っているでしょうか。



「俺の24年間は何だったのか!」

次に、定年退職をしたサラリーマンが居ます。



退職したのだから、サラリーマンではなく、無職の人。

大学卒業後、38年間の宮仕えでした。



さて、無職の人は何て言っているでしょうか。

「俺は38年間、この会社で働くことが出来て幸せだった。」



「俺の38年間はすべて肯定された。」



「俺の24年間をすべて否定するのか!」、「俺の24年間は何だったのか!」という言葉は、自分の拠って立つ生活基盤やパターンが、

急激に変化し、また、自分の思い描く未来が、根本から打ち砕かれた場合に出ていることが分かります。



逆に、自分や世間一般が、順当な終わり方だと思い描いている、定年退職とやらを無事迎えている場合には、

幸せや充実感に充ちているようです。



注目すべきは、24年間働いても、38年間働いても、自分が営々と築き上げてきたものが、

リストラされるにしろ退職するにしろ、無に帰するというところです。



「俺の24年間をすべて否定するのか」、「俺の38年間はすべて肯定された」と言ったところで、

会社絡みの人間関係、実績、地位、社会的信用などが、すべて無になってしまうのです。



24年間働いても、38年間働いても、無に帰するのなら、会社勤めの終期なんかは、いつでもいいではないか、

会社を辞める時期の違いに、何の意味があるのか、自分が好きな時を設定すれば良いではないかと、



そう思うのですが、そこはそれ、分厚い義理人情の、そのまた固まりのような会社社会においては、

「あなたは、もう必要ない」と言われるのと、「ご苦労さま」と言われるのでは大きな違いがあるのです。



大きな違い!

そんなもの、たった、それだけの違い、じゃないか。



まあ、どのように取るかは、人それぞれです。


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会社で、自分が必要とされたかどうか、などのように、結局のところ、「会社での義理人情というやつが、自分の人生を左右している」、

案外、会社に居続ける理由は、こんなものかもしれません。



自分の好きな仕事であるかどうかなどは、義理人情の前では、消し飛んでしまうようです。



会社に必要とされたかどうかは、別に「お前が必要だから、是非居て欲しい」などの言葉は必要ではなく、ただ何となく、

のらりくらりと社内を泳ぎ回れるだけで十分です。



要するに、会社が潰れず、リストラされない限りは、ずっと会社に居続けられたりするものなのです。



どのような仕事に就いたとしても、そこには、それなりの義理や人情は存在している筈で、それらに身を任せてしまえば、

何となく遣り甲斐が持てたり、充実感を味わえたり、のらりくらりと出来たりするものです。

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好きとか嫌いとかの基準ではなく、たまたま採用された会社だとか、そこしか受からなかったとか、何かのしがらみで始めた、

という仕事であったとしても、何となく人並み程度の幸せを感じたりすることが出来、

何となく定年まで勤め上げることが出来てしまったりする所以です。



一方、リストラ、倒産、退職後には、残るものが何も無いことに気付き、何も積み上げることの出来ない数十年間を嫌だと思う人は、

好きなことを仕事にしたり、人間関係や実績を蓄積し続けられる道を選択することも可能です。



人がどのように考えるかはコントロール出来ませんが、自分がどのように考えるかは全く自由にコントロール出来ます。



※1978年7月31日、蓮池薫さんは奥土祐紀子さんと一緒のところを拉致され、2002年10月15日に帰国。

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