自分自身のために生きようとする試
自分自身のために生きようとする試みは、
それが成功しようと失敗に終わろうと、常に自然の意志にかなうものである。
題名 - 自分自身のために生きようとする試
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「自分自身のために生きようとする試みは、それが成功しようと失敗に終わろうと、常に自然の意志にかなうものである」 ゲーテ
私のような権威も実績も何もないものが、こんなことを言ってもなんの説得力もないんだけど、ゲーテのような大文学者が言ったとしたら、ありがたみも湧き、信憑性も高まる。
しかし、残念ではあるがゲーテも実績もなにもない頃に安定を捨てて苦難の道へと踏み入ったようである。
もっとも、それが自然のなせるわざ、自然の摂理というものだ。
己の人生においてまだなにも成していないからこそ、人はチャレンジをするというものである。
そういう点で言えば、私はまだなにも成していないから、自分自身のための人生へと挑戦する権利はあるってものである。
それどころか、自分自身のために生きようとするための試みは、すべての自分自身のために生きていない者たちへと付与された特権なのだ。
と、もったいぶって言ってみたが、普通の流れでいけば自分は自分のために生きるのだ。
そしてそこでは成功するとか失敗するとかは問題じゃない。
かりにそんなことで躊躇されたりしたら話がおかしくなってしまう。
それとも、まさか自分自身の人生を生きない理由を総理大臣のせいにしますか。
ところで、当たり前のことを当たり前のようにしない方がたくさんいるのもまた現実の摩訶不思議なところである。
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「自分に命令しないものはいつになってもしもべにとどまる」 ゲーテ
とゲーテはそんな人々に対しても忠告してくれた。
自分に命令しない者とは指示待ち人間のことだろう。
題名 - 自分自身のために生きようとする試
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あっ、ここにいる。
あっ、そこにもいる。
と、ことさらに言わなくても、現代社会の会社には社長以外はみんな指示待ち人間なんてことになってる。
一方、ゲーテは決して受け身の人生は送らなかった。
そして自分の行動はすべて自分の命令に基づくものだった。
これこそが本当の自分自身のための人生なんだとお手本を示すかのように。
本当の自分の人生かーーー。
いつになったら本当の自分の人生を生きられるのだろうか、って、その答えは自分自身に命令を下した時からに決まってるか。