何をやりたいかという意思がある!
夢を捨て不本意な現実を受け入れている自分。
そう、夢を捨てた自分は好きじゃない。
題名 - 何をやりたいかという意思がある!
投稿B
[159] 大人の夢(3)
私の現状はこうだ
頭を振りしぼって考えろ、おとな
どうせ、お前には考える頭しかないんだから
1.自分の持ってるものは何か
①自分らしい言葉を用いた文章を粘り強く作成し続ける気力
②夢に向かっていく勇気
2.では、自分の持ってるものは生かされているか
①生かされてない
3.じゃー、持っていないものは何か
①自由な時間
4.さて、これからどうする
①仕事を辞めて自由になる
5.そのリスクは
①収入がなくなる
6.ではその対策は
①自分の個性を世間に売り込む
いや愚直に自分の特性を訴えて助けてもらえ
題名 - 何をやりたいかという意思がある!
投稿B
[160] 大人の夢(4)
今までは、何の違和感も不思議なことも感じなかった世界がある。
自分はみんなの役に立ってるという自負さえもあった。
知的好奇心を満たされる仕事の奥深さも、そこにはあって面白いと思ったこともある。
でも、それは好きなことかと質問されれば、いやそうじゃないとなる。
あなたのやりたかったことかと問われてもそうじゃない。
そんな疑問が頭を巡りだしたら、ますますもって気になって胸は高まり眠れない。
そう気づいて働いたら、仕事ってとてつもなく嫌いなことへと変身するんだ。
第一義的には、自らが選んだ道の筈なのに、やらされてる感さえ漂ってくる。
つらつら考えるに、自らの選択って言ったって、雇ってくれるところを選んだに過ぎない。
とりあえず、どうやって食いつないでいくかの選択に過ぎなかった。
でも、今は「何をやって生きたいか」という選択肢を持ってる。
何をやりたいかという意思がある。
熱意がある、情熱がある。
そこに飛び込んでいく勇気がある。
仲間と好きなことをやる。
これに勝るものはない。
さて、今のあなたは好きですか。
いきいきと働いてない自分がここにある。
そうだ。
いきいきと働いてない自分は好きじゃない。
夢を捨て不本意な現実を受け入れている自分。
そう、夢を捨てた自分は好きじゃない。
十九や二〇で夢を実現する奴なんて一握りだろう。
三〇にもなって夢を追う奴はバカ呼ばわりされるだろう。
人間界は夢を実現するものは一握りだってことになってる。
四〇や五〇で夢を追う奴はこの世には存在できないんだ。
だから、好きなことが何もないという人は日本工場のライン上に乗っかるしか道がない。
勉強を一所懸命に頑張れば一流の大学にいけるという。
一流大学にいけば大会社に就職できるという。
大会社へ就職できればお金をいっぱい稼げるという。
定年退職できれば年金も貰えるという。
人はこれを幸せな人生と定義した。
そうすれば、みんな幸せになれるからだ。
でも、勉強なんか何の役にも立ちゃしない。
幸せかどうかは、好きなことができるかどうかにかかってる。
そんなことを言う教師なんて居やしない。
親にしたって、とにかく安定した生活を送らせようとする。
安定してお金が入ること。
それは、すなわち幸せなんだってことを、世間は結託して決めたのだ。
だから、若い時じゃないと好きなことにはチャレンジはできないということになった。
でも、誰も好きなことにチャレンジしろとは教えないから、チャレンジする者はいない。
歳を取ると、結婚し、子供をつくり、家を持ち、住宅ローンを抱えて、要らないことを考える余裕はなくなる。
なのに、三五歳で決めろという。
人生を変えるなら三五歳までだと、人は言う。
もう人間界はむちゃくちゃだ。
じゃー、三五歳を過ぎて、自分の好きな道が見つかった人は、我慢するべきなのか。
いいや、ちがうよ、とも人は言う。
嫌な仕事を我慢しながら、好きなことにも時間を投入し、徐々にシフトしていくべきだと言う。
または、ちょっとずつ準備を行い、定年退職後に好きなことをすればいいと言う。
でも、何も見つからなかった人は我慢してね。
何もないんだから我慢もできるでしょ。
学校で我慢して勉強もしてきたんだ。
簡単なことでしょ。
現に会社でも我慢してるんだ。
どうってことないよね。
人生とは死ぬまでの間の膨大な暇潰し。
死ぬ時までは生きてるってことが人生のルールなんだ。
だから、定年退職後も我慢して生きてくださいね。
死んだ時点で、あなたの人生は終わるんだから。
もう少しだ。
でも、嫌いなことに膨大な時間と精力をつぎ込みながら好きな事への準備ができるのだろうか。
やる気がありゃできるだろうって言われ続けて、結果、やはりできてない。
気合いが足りないのだろうか。
いや、嫌いなことをしてればやる気も失せるってもんだ。
嫌いなことをしてお金を儲けてふやけてしまえば、気力は削られ、夢、成り難しなんだ。