自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

マナー!心の行儀作法!身だしなみ

ただ、経済利益が一致するから、

取り合えず同じ行動をしているだけに過ぎない。

題名 - マナー!心の行儀作法!身だしなみ
投稿A


Bさま



彼は追放ですね?大変喜んでいます。

彼が存在しなければ、また此処に来ることが出来ます。



であれば、Cさまへ、メッセージを掲載させてください。




以下、Cさま。



個人的に、今の「マナー」が間違ってると思う。その証拠が、悲惨な現状だ。

だから、常識やマナーを根こそぎ変える必要が在る。




マナーというのは、自分以外のものに対する【心】の行儀・作法・身だしなみ。

何をするにも、何を言うにも、【相手を尊重する心をもっている】という態度表明にもなります。



相手の存在を気にしなければ、人は行動であれ言葉であれ、棘のある非生産的な破壊と闘争をするでしょう。



人間社会では己の存在・発言・行動によって相手を不愉快にさせないことは、大切なことだと思っています。

これを配慮すれば、1+1が、2にも10にもなって理解や説得に繋がるでしょう。




さて、この「配慮」は、誰が教えてくれるのか?「自力で身に着けろ」?

なら、今やっている。結果、誰も教えてくれずに、黙って逃げていく。



結局、追い散らかして、失敗を重ねることだけが、唯一の学習方法なのか?




親や社会が深く関わって、組織教育の一環として人間教育や人材育成の場で【マナー】を身に着けられるようになっている。

私(おそらく殆どの人も)は、最低限のマナーを弁えない相手とは付き合わないようにしているのは、争いを避けるためでもある。



マナーのない人間が、人と社会と自分すら容易に傷つける以上、組織社会で生きてゆく資格が無い。

逃げてゆくのではなく、【関わりを持たずに完全否定】といった態度表明です。




証明不能なら「理論」は存在し得ない。

これは、全科学者の共通の認識の筈。



だから、理論を証明するために「客観的証拠」を膨大な経費と人員を費やして調べている。

その人々の「熱意」を無視することは、「精神」を無視することではないか?



膨大な人々が、「共通の認識」の下に構成している「精神社会」は、腐った妄想世界よりも遥かに強力だ。

本当に重要なのは、科学自身ではなく、それに携わる「人々の想い」だと思う。




精神世界や宗教の言う言葉の意味を、あなたは浅はかな知(智)識で否定されているようですが、【証明されていないから存在しない】【証明できないから存在しない】という考え方では、科学的ではないのでは?



証明が出来ない=理論は存在しない・・・これは当たり前です。



証明とは、多角度的な視点から導き出された理論と理論に基づいた現象や結果によって【真実】であると認識され,(まだ)証明されていない、(現在の科学では)証明できない・・・ということは、【真実ではない】【存在しない】事にはなりません。




科学者の使命とは、興味をそそる対象への理論の構築・謎の解明や研究・発見、そして証明です。

しかし、現実には証明可能な【基本的な仮想的真実の方向性】が存在するものに目を向けられています。



証明の難しいもの、(死ななければ判らないような)死後の世界・精神世界には科学のメスでは入れません。


題名 - マナー!心の行儀作法!身だしなみ
投稿A


科学者の【共通認識】とは・・・驚くこと無かれ、死後の魂や神の存在を信じ、科学の限界を痛切に感じるといった思いを、74%の科学者が【私たち人間は、まだ知らないと言う事がいっぱい在り、人間・魂や宇宙の森羅万象は、人間の理解を超えたメカニズムを持っていることを認識することが重要だ】と発言しています。



これが、高名でありながら、最先端の科学に携わっている【人々の(感じている)想い】です。




そして、精神を無視することなど出来ようはずもない。

行動や思考、態度や精神性を持つ【熱意】も精神によって支えられています。



だから、「創造論」なんて、全く信じるつもりは無い。

だって、他人の想いや成果を全て無視して、最初に「自分だけの世界」を創造して出発してるんだから。



結果、脆弱な「自分ひとりの世界」が、信じる人の数だけ誕生する。

一見一つに見えるけれど、実は全員ばらばらで、「精神世界の結束」なんて初めから有り得ない。



ただ、経済利益が一致するから、取り合えず同じ行動をしているだけに過ぎない。




自分ひとりの世界観は、自分の経験と妄想に基づくもの。

そんな小さな世界観を述べているのではない。



全て無視して最初に自分だけの世界を創造する・・・愚かな新興宗教の事を言っているつもりも有りません。

証明できなくとも、研究・調査をしている輩は星の数だけ居ます。



貴方と違うのは【神が創造したとしか思えないと思う】に至る感想を持った【行動】があったのだ。

アメリカの学校では、1989年から進化論を教えなくなりました。



89~96年までの間に進化論を教えなくなった国は28カ国にも及びます。

進化論に決定的な欠陥が認められたからであり、客観的証拠もないからです。

前のページ < 一覧 > 次のページ