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なぜスポーツをするのか?なぜスポーツを観戦して感動するのか
なぜスポーツをするのか
スポーツを見て感動する
人間はなぜスポーツをするのか?
そんなの簡単かんたん。
何もやることがないからスポーツでもしてるってことでしょ。
それがそのまま職業となれば、プロのスポーツ選手として生きていくだろうし、職業にならなければ仕事の合間に趣味としてスポーツをするだけなのさ。
これ以外の理由は、こじつけやいいわけ、自己暗示か自己陶酔になるだろう。
人間は、今日なにかひとつやったら今日一歩進んだことになる。
人生とは砂粒をひとつひとつ積み上げて砂山を築くようなものだ。
今日は確実に一粒積み上げなければ人間は成長しないのである。
別にそれでもいいじゃないか。
その場で足踏みしたっていいじゃないか。
と言われる方はスポーツに興じたりする。
そんなことをマジに考えているところが成長していない証拠であろう。
小中学校でスポーツを試しにやってみて、以来50年間も趣味でスポーツをやってるよ。
なんて方は小中学校から何も進歩していないという証拠なのだ。
小中学校の頃の趣味が死ぬ間際でも趣味である。
とは、なんという進歩の無さか、という悲しい現実である。
言ってることがお分かりいただるだろうか。
人間は趣味なんてものはふっ飛ばして人生のテーマを見つけてそれに全人生を投入すること。
これこそ生きているってことである。
そりゃたまに体を動かしたり生き抜きするのもいいけれど、趣味以外には嫌いな仕事しかありませんなんてものは人生の敗者の生き方と言わざるを得ない。
学校で教えられた、勉強をして大学へ行って社会に出て働いて趣味を持つ生き方。
こんなものは何もすることがなくて学校の教師でもやるか、なんて不埒なことを考えた人間の行き止まり的な発想から来たものなのだ。
こんなものまともに受け入れてはいけない。
まあ、何も味付けしていない基本的人生と考えられなくもないが、そんなベーシックな生き方を大の大人がしてはいけない。
それを基とするのはいいけど、それに何か付け加えなきゃ。
自分で考えろ。
ってことだ
学校で習ったんだから、習うのはもうそれで終わり、後は自分のやりたいことを見つけて突き進むのみなのである。
学校で習ったら、社会でも習って、スポーツをしても何かを学ぶ。
って、こんな人生の何が人生ぞ。
ならったら実践するのみ。
習うことが人生じゃない。
進歩しろ。
人はなぜスポーツを見て感動するのか。
スポーツを見せる彼らは、スポーツをしながら一粒積み上げているのである。
ここを勘違いしてはいけない。
彼らは趣味としてスポーツをやってるんじゃなくて、自分のなすべきこととしてスポーツをやっているのである。
そして今日何かを積み上げているのだ。
我らはその人間の進化している様をみて感動しているのである。
これが趣味でやっているスポーツだったらどうであろうか。
同じ場所で足踏みしているさまを見て我らは感動できるだろうか。
逆であろう。
何やってるんだ。
暇な奴だな。
そんな暇があったらやるべきことを見つけろよ。
ということになる。
そもそも他人がスポーツで進化しているのをただただ指をくわえて見なくても、自分で進化する人生を送って感動してもいいようなもの。
いや、そちらの方がむしろ本筋であろう。
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