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まるで小学生!
まるで小学生
やっていることなんて小学生と同じ。
思い出してください。
小学生の時、どのような人が優秀な人と言われていましたか?
(1)先生から言われたことを忠実に行う人。
(2)勉強を真面目にして、知識を蓄えた人、記憶力に優れた人。
(3)クラスからはみ出さない人。学校からはみ出さない人。
では、サラリーマンはどうでしょう?
(1)会社から与えられたことを、ロボットのように忠実に行う人。
(2)学歴のある人、会社独自の処世知識を習得した人。
(3)部署からはみ出さない人。会社から決してはみ出さない人。
小学校では、出された問題を、今まで出された問題の解き方を参考にして、解くことを【応用力】と呼びました。
会社でも、与えられた仕事の範囲内での問題を、今まで与えられたことから学んだ解き方を参考にして解くことを、【応用力・できる】と言います。
しかし、本当の応用力の意味を、ほとんどの方が分っていないようです。
今ままで得た知識・経験を、自分の幸せな人生のために生かして、そこで初めて応用したと、本来は言えるのではないでしょうか。
小さな会社組織の中で、与えられた問題を解くことの、どこが応用なんでしょうか。
学校に於いて出された問題を解いて来た少年は、成長し、会社に於いても会社から出される問題を解き、年老いる。
そして、誰も問題を出してくれないから、何も解かずにさみしく死んで行くのです。
自分は、何故人から出される問題を解き続けるのだろうか、という人生最大の問題に、全知識・経験を投入し、応用して解き明かすことを、何故しないのだろうか。
その会社に勤めることに始まり、与えられたことをすることが、自分の幸福な人生なのか否か、自分の能力、価値とは何なのか、等を見付けることに、応用するのが本当ではないのだろうか。
会社から、または、上司から、仕事での目標を持たされたり、また、今後1年間の目標を掲げた自己申告書などを提出させられたり、などなどの経験があるかと思いますが、これらは何のために行って来たことなのだろうか。
思い起こせば、小学生の頃も、同じように目標を掲げさせられてきました。
人間というものは、目標を持たせないと、または持たないと、行動しないし、達成しないし、充実感を感じないし、面白くないし、続かないものなのです。
人間は、人間の最大の弱点を自ら知っていて、だから、人は人に目標を与え続けるのです。
自動車の営業マンが、ある月の目標販売台数を決定し、そして、それを達成した時、充実し、生き生きとした、満足そうな顔をするのです。
学校の先生も、会社も、会社の上司も、『自ら多忙を作り出し、無意味な多忙に溺れる』効果を狙って、すべてを行なっているのです。
しかし、目標を持つということの、本当の意味を知らずに、彼らは言っているのです。
学校や会社の教育経営管理上、言っているだけなのです。
人から与えられた、「目標を持つ」ということを、自らの人生に置きかえるみる。
“人生”の目標を定めるなどに。
これをして初めて、「応用した」と言えるのです。
さて、会社では、ロボット、高学歴、会社で働くことを当たり前と思う人間、会社から与えられたことを一生懸命する人間、などが優秀と言われます。
もし、あなたがこのことに該当しないのであれば、会社で出世するのは、大変難しいと言わなければなりません。
人生、人から与えられたことをし続ける限り、小学生と同じで、ちっとも成長していません。
不幸かな、小学生は、学校以外の選択肢はありません。
一方、サラリーマンはどうでしょうか?
幸せかな、サラリーマンは、無限の選択肢を持っているのです。
小学生の時は、良い学校、良い大学へ行くために、または、そのことを「しなさい」と与えられたために、勉強をしました。
サラリーマンは、与えられる仕事をうまくこなすために、仕事をこなすための勉強をしました。
高齢者は、「生きている限り、生涯学習をするのだ」と称して、死ぬまで勉強をしました。
果たして、勉強する本当の理由は何なのでしょうか?
それは、唯ひとつ、自分の好きなことを、見付けるためじゃないだろうか。
決して、会社内部の世渡りや、仕事を無難にこなすために、勉強するのではありません。
別に、それでも一向に構いませんが、与えられる人生を続ける限りは、それならば、与えられたことに関した勉強をし続けなければなりません。
短い一生の、いつ如何なる時点、一体いつになったら、あなたは、あなたが遣りたいことに関しての勉強をするのでしょうか。
「ご心配なく。趣味、小説、恋愛小説、推理小説などを読んでいるから大丈夫」
「そして、一服の清涼剤となっている。心が安らんでいる。疑似体験できている。文学に触れている。教養になっている」
そう言います。
「それらの本を読むことが、あなたの本当の好きなことであるならば、それじゃー、一生そうしてください」と、ここで言おうが言うまいが、あなたは死ぬまでそうすることなのでしょう。
そうすることが、良いとも悪いとも、誰も言うことは出来ませんが、ここでは、「勉強する理由は、好きなことを見付けるため」と、結論付けさせて頂きます。
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