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社会人として恥ずかしい!社会人の常識!新聞ぐらい読め!

新聞ぐらい読まなきゃ社会人としてはずかしい。新聞は社会人の常識だ。だから新聞ぐらい読めよ。そう、新聞くらい読むべきだ。新聞記事の示唆から、自分の探し出すべきものさえ見付け出すことが出来れば、瑣末雑多な日々の出来事を追う必要はないのだから。

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ページ作者価値辞典より:

新聞ぐらい読まないと社会人として恥ずかしいことか。

新聞を読むことは社会人として恥ずかしいことなのか。

価値辞典作者は公務員を47歳で辞めました。

辞めた理由のひとつに「新聞を読め」というのもあると思う。

私の居た役所では、新聞を隅から隅まで毎日読めという伝令が上層部の方から下っていた。

新聞を熟知していないと仕事ができないということである。

また、ある上司から「新聞ぐらい読め」と言われたこともある。

前日の新聞の隅っこに書かれていた記事を私が知らなかったからである。

後ほど読んでみれば小さな記事で、知ったところでどうってことのないものだった。

そのあたりだろうか。

人間は新聞を読むから瑣末なことにこだわり木を見て森を見ず、新聞を見て己を見ずになってしまうと確信したのは。

それ以前より新聞は読まなかったが、そこらあたりからは、まったく読まなくなったのである。

本末転倒になってはいけない。

己のなすべきことも知らずして、新聞記事に執着するとは仕事をする以前の話だろう。

仕事の手を止め、今すぐ己と対話する必要がある。

己との対話を怠るから盲目的に新聞を読む羽目になるのだ。

「新聞を読め」なんて屈辱的で意味のない他人の命令に従う羽目になるのだ。


社会人として恥ずかしい!社会人の常識!新聞ぐらい読め!


社会人として恥ずかしい社会人の常識!
新聞ぐらい読め!


新聞くらい読むべきか!新聞記事の示唆しているものから、自分の探し出すべきものさえ見付け出すことが出来れば、瑣末雑多な日々の出来事を追う必要はないと言えるのです。

「新聞ぐらい読め」




あなたは、この言葉を、誰かから言われたことが有りませんか。

面と向かって言われたことがなくても、会社や学校、そして世間には、世の中の動きを知らなければ遣って行けない、などという雰囲気が漫然として有ることを、感じたことはないでしょうか。




会社に於いては、世の中の動きを知らなければ、お客様や得意先との会話にも支障を来たすことになり、また、会社全体の問題としては、お客様の求める商品開発にも遅れを取ることにもなりかねないのです。

世の中の動向を察知し、対応策をすばやく立て実行し、先手を打たなければ、勝ち残っては行けないのです。




社内の人間関係に於いても、新聞を読んでいるかいないかで、話がうまく行ったり、仕事がスムーズに進んだりの違いが有るのです。

また直接、人の評価にも影響を与えます。




上司:「君、これを知ってるかね」

部下:「いいえ、知りません」




上司:「今日の新聞を見ていないのか」

部下:「すみません。見ていません」




上司:「君、仕事に関係している記事ぐらい、読んだ方が良いよ」

部下:「今日はあわただしくて、読む時間がありませんでした」




上司:「新聞ぐらい読んで貰わないと、仕事にならないじゃないか」

部下:「すみません」




上司:「仕事に関係のある出来事ぐらい知らないと、業界の現状と、これからの進む方向を先読みすることが出来ないじゃないか」

「お金を貰っている以上、仕事は一生懸命にする必要があり、それぐらいしないと駄目だ。新聞ぐらい読みなさい」




会社の上司は、常識が有り、一端の社会人らしく、当たり前のことを言っているかのように、見えてしまいます。




しかし、会社の上司は、今までの人生に於いて、何十年と新聞を読んで来た結果、今現在、一体何がどうなったというのでしょうか。

毎日読んでいるんだから、さぞや世の中の行く末に詳しく、それに向けた準備も怠りも無いことなのでしょうね。




新聞から、先読みが出来るのだから、リストラや倒産の記事に際し、人任せ、会社任せの人生では不安定であることを悟り、ダブルワークや転職の準備をしたり、手に職を付けたり、資格を取るなどをしているのでしょう。

我が社は潰れない、我が社が私をリストラする筈がない、これから、私を含め社員が頑張るから潰れる心配はない、私は今まで同様、今後も頑張るのでリストラされる筈がない、などの全く先が読めていない情緒的な判断を下しているのでしょう。




少子高齢化の記事を読んで、老後の年金は危ない、これからは老後の生活資金は自ら責任を持つしかなく、今から準備をしなければ間に合わないことを悟り、資金を調達する算段をしたり、老後でも働けるように準備をしているのでしょう。

年金が貰えない訳がない、もし、そうなったとしても国がなんとかしてくれる筈だ、などの全く根拠のない無防備、無用心な考え方をしているのでしょう。




更に、新聞を読んでいると、これからは会社に就くのではなく職に就く、会社のためではなく自分のために働く時代だ、との流れを読み取ることが出来ます。

また、年功や学歴、経歴ではなく、自分の個性、能力で食べていく時代であると分かります。




何十年と新聞を読んでいる会社の上司なら、そんなことは真っ先に読み取って、既に対策を打っているのでしょう。

会社で与えられた枠組みの中でのみ先読みをし、対応してきたのと同様に、自分のことに関しても対策を打って実行しているのでしょう。




しかし、ずっと新聞を読み続けて来た結果は、全然新聞を読まない部下と席を並べることであったのです。

先読みと言いながら、先読みが出来ていず、ただ単純に、与えられた仕事に関係しているから読め、と言っているに過ぎなかったのです。




このことは、自分の目標や終着点を、現在所属している会社での定年退職に、置いてしまうために起こります。

先読みをしているのなら、新聞記事が示唆するものを汲み取っているのなら、自分の最終目標は、“自分らしく個性を生かせた、幸せな人生を送る”ことであると分かるのです。

終着点は、定年退職ではなくて、死ぬまでの人生であったのです。




退職後、何もすることが無く、路頭に迷うのが見えているのなら、そんなことは新聞を読むまでもなく分かりきっていることなのですが、会社に左右されず、退職の存在しない生き方を、今すぐにでも探し出すべきです。

人生の目標が、幸せな人生を送ることだと分かったのであれば、好きでもない、或いは、嫌いであると言ってしまえる、仕事に没頭するのではなく、それこそ好きなことを探し出すべきなのです。




会社というものは、没頭すればするほど、その枠からは抜け出せず、逆に、没頭しなければ追い出されるもの。

一生懸命に働けば働くほど、周りが見えなくなり、自分を変えるチャンスを逸し、力を抜けば途端に無用な存在に追いやられ、収入を失う仕組みなのです。




とは言え、自分の目標や終着点に向けての、準備をする余裕がない訳ではありません。

要は、自分が準備するかしないか、それだけの問題なのです。




本当に新聞を読んでいて、先読みが出来る上司なら、次のように言うことでしょう。

(実際は、こんな上司、存在いたしませんが。存在するとしても、あなたと同じ考え方をする人間が、集まる会社には居ないのです。遥か遠くの、別のところに居るのです。)




「仕事は自分そのもの。人生そのもの。嫌いな仕事を不幸にして今やっているならば、また、幸いにしてそのことに気が付いたのであれば、好きな仕事に変わる努力をするべきです」




「仕事を変わるまでの間、今の仕事については、いい加減にするのではなくて、自分が決断したことへの責任と共に、日々の行動が人生そのものであるとの考え方から、一生懸命にする必要はありますが、変化のための準備を整える時間はたくさんあります」

と。




「新聞なんて読まなくても良い。」




読む理由があるとすれば、自分らしい人生を送るためや、好きなことを見付けるため。ただこの一点だけです。

それを見付けてしまえば、より深めるために、必要ならば読めば良いだけであって、会社の上司が言うような意味での、新聞を読む必要はないのです。




新聞記事の示唆しているものから、自分の探し出すべきものさえ、見付け出すことが出来れば、瑣末雑多な日々の出来事を、追う必要はないと言えるのです。

自分の立つべき土台さえしっかり持ってしまえば、世の中に何が起ころうが関係がないのです。




学校に於いての「新聞ぐらい読め」は、新聞の記事やコラムは、入試に出るから読む方が良い、という程度の意味でしょうか。

世の中の動きを知り、今後を予想し、自分の進路を決める参考にしろ、なんて言っているのを見たことも聞いたこともありませんから。

仮に言ったとすれば、言った本人が世の中の動きと、今後の予想に対しての見解や自分の価値判断を、示さなくてはならない羽目になるからです。




好きで先生になった人を除いて、もし、そのような芸当が出来る人が居るのであれば、そんな鋭い人は、学校なんかには居ないのです。

先が読めるのですから、自分の人生に対しての判断も出来、その判断に従って行動をしている筈だから、居る訳がないのです。




お金を儲ける手段として、学校の先生を捉えれば、会社の上司と同じく、「新聞を読め」の意味するところは、仕事上必要であるから、とか、入試に出るから、などになるのです。

もしかすると、世の中のことを知っていれば、常識があるように、見識深いように見え、また、将来何かの役に立つぐらいの程度で、言っているのです。

余り思いたくはないけれど、何も考えずに、「新聞を読め」と言っているようでもあります。




人を教育する立場になっても、尚、新聞を読み続けた結果において、好きなことひとつも見付けることが出来ないでいるのに、生徒に対して、将来何かの役に立つから読め、とはどのような了見からくるものなのでしょうか。

自分に役立っていないものを、他人に平気で勧めているのです。

「新聞を読め」と言っている本人自身、何故読むのかを未だに知らず、また、長年読んだ結果が不甲斐無い自分自身であることが、未だに見えていないのです。




今度、「新聞ぐらい読め」と言われたら、試しに何故読まなければならないのかを、尋ねてみましょう。

恐らく、その人が、何を考えているのかを、よく知ることになるでしょう。

いや多分、その人が、何も考えていないことを、知ることになるのです。




読者みっちさんからのご意見(2004/05/23(日) 22:46:28)


はじめまして。

なかなか面白いHPだと思い読ませていただきました。




「新聞くらい読め」ですが、私も後輩にそう指導してましたね。

じゃ、私もここに書かれていた上司とやらと同じ類の人間なのか?とお思いになるでしょうが、意味合いが違います。

私のしていた仕事は新聞、雑誌、テレビ等それぞれを見てないとお話にならない仕事をしております。




じゃ、何を得るのか?

巷では何が話題になっているか?ですね。

お客が新聞の内容を説明してるのにこちらが、「読んでません」ではしゃれにならないのです。

だから、一通り目を通してないと、仕事にならないわけなんです。




話がそれますが、銀行に勤めている友人に「日経って読んでる?」って聞いたことがあります。

その人は、営業でなく内勤なので、特に読んでないそうですが、営業職は読まないとお話にならないと言ってました。




私は、「やっぱ銀行員は日経なんだね」と言ったら、内容が大事なのではなく、あくまでも、お客との会話上の問題だと言ってました。

つまり、客が日経読んで、その話題をしているのに、話が見えなければ、銀行員のくせに、日経も読まないと言われるのが怖いそうです。




話を元に戻しますが、結局は仕事において新聞が大事だと言うのは、話題の問題なのではないのでしょうか?

主婦の井戸端会議なら、ワイドショーねたがあれば十分でしょう。しかしこの話題にあきれば、プライバシーに深く食い込んで話題を勧めていきます。




例えば、「お宅のご主人どちらにお勤め?」などなど・・・。

ってことは、新聞の内容から話題を広げて、営業に利用するというのは、大事なことでしょうね。




まさか、営業で、プライバシーにかかわる話題を出していくわけにはいかないでしょうからね。

もっとも、客側からそういう話題にしてくることはあるでしょうがね。




まあ、そういう話題になるべくもって行かせないためにも、積極的にこちらが話題を作っていくのが大事でしょうから、やっぱ新聞は読んでおいたほうがいいでしょうね。

男同士なら職場内でのコミュニケーションにも役立ちそうですね。


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