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一攫千金額に汗して一攫千金!真面目に働いて一攫千金!

一攫千金額に汗して一攫千金!真面目に働いて一攫千金!一攫千金を狙う人は、一攫千金を成し遂げた後何をするのだろうか?そう、そのとおり。一攫千金した人は次のステージでも一攫千金をするのです。我らは、お金の使い道を知った時点で成功者になれる。

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一攫千金!額に汗して一攫千金!真面目に働いて一攫千金!


一攫千金


一攫千金を狙う人は、一攫千金を成し遂げた後何をするのだろうか?
そう、そのとおり。

一攫千金した人は次のステージでも一攫千金をするのです。
それはいったいなぜか?



我らは、お金の使い道を知ったその時点で成功者になれます。
一攫千金して、そのお金を何に使うかが大問題なのです。

自分には是非ともやってみたい夢がある。
だから一攫千金を狙ってる。

というのなら、この人は大成功でしょう。



でも、たいていの場合、一攫千金を狙うような人間は夢を持たず、一攫千金をすること自体が目的になってしまったようなもの。

何もすることがない。
だから一攫千金に奔走する。

そもそも、夢がある人は一攫千金する必要さえない・・・



誰が見ることもなく、深夜まで付けっ放しにされたテレビに映される、1970年代のアメリカ映画に、ふと目が止まります。

極普通の家族の日常の姿が、そこには描かれており、兄が妹に、「おふくろがプールの掃除をしろってさ」と、一言。



いっ、今から30年も前に、普通の家庭に、プッ、プール!

日本の30年前はどうだったかと思いをやると、今現在でもプール付きの家なんて見たことが無いのに、30年前にある訳がない、と首を振り、振り。



プール付きの家なんて、我が人生で、見たことも聞いたことも無く、このことは、自身の歴史を通して言っていることですので、これ程確かな話はありません。

もちろん、先程のような兄妹の会話もあり得ません。



30年前、いやそれよりも、もっと以前から、アメリカではプール付きの家を建て、日本においては建てていない。

これは、ひとえにアメリカの方が、金持ちで地価や物価が安かったからでしょうか。
日本の方が貧乏で、地価や物価が高かったからでしょうか。



それとも、アメリカの方が暑いからでしょうか。
日本の方が涼しいからでしょうか。

と、答えを求めていけば、何とも稚拙な思考が露見するものです。



「日本人はプール付きの家を、欲しがらなかった」

これは、様々と考えられる中の、「これかっ」と思えるような、答えらしきもの。



今は何とも不甲斐無い限りの日本人ではありますが、かつては、モーレツに稼ぎに稼ぎ、その獲得した巨大なマネーで、世界中を買い漁ったものなのですが、その時でさえも、プール付きの家を求めなかったと言うことなのか。



株や不動産の投機に走ったお金の亡者や、ちょっと山っ気のある御仁も、自分の住む家として、プール付きの家を購入するなどという発想には、至らなかったということ。

プール付きの家を買うような、そんな金持ちになるために、お金を稼いで来なかったということなのです。

結局、プール付き家なんてものは、幸福感を招来し得なかったのですね。



では、何が我々に幸福感をもたらしたのでしょうか?

じゃー、通帳の中にあるお金の残高を示す数字ですか。



と、問うてみれば、そう、これではなかったか、と。

お金が幾ら溜まっている等というバーチャルな感覚、それだけに、人々は喜びを感じてきたのではなかったのだろうか、と。

そう思えるのです。



バブルが弾ける以前は、お金の量は、即ち、幸せの度合いを表していたかのように思えます。

社会から「ちゃんとしている」と見られているような会社に勤め、額に汗して真面目に働きさえすれば、お金は少しずつ貯まったものです。



贅沢をせず、一攫千金を夢見なければ、お金は確実に貯まったものです。
博打をせず、酒色に溺れなければ、お金は増え続けたのです。

お金が貯まるような安定した状況で居られたら、結婚をして家庭を持つことも出来、家を建て子供を儲け、年金生活が保障された老後を送ることが出来たのです。

お金は増えれば増える程、幸せも益々大きくなっていったのですネ。



しかし、今や年金を当てにしていたら、最後には裏切られることが明白となり、また、会社もいつ自分をリストラするのか、そして、リストラする側の会社にしたって、いつ倒産してしまうのか、分かったものではありません。



絶対に無くなる筈がないと高を括っていた、会社、年金、仕事、定期昇給、年功序列、終身雇用、退職金・・・

これらは、次から次へと、見事に姿を消し去って行くのです。



ギャンブルや高望みはせず、贅沢な夢さへも捨て去り、真面目に働いて来たというのに、生活は苦しくなる一方です。

将来の明るい展望なんてのは、一切開けて来る気配すらありません。



終(しま)いには、それこそ、ギャンブルでもして、一発当てに行くような、そんな人生でも送っておけば良かった、なんて出来もしなかったことが、うわごとのように口から出る始末です。



収入が減るのであれば、支出を抑えれば良いのですが、収入は減るどころか、限りなく無に近付いているのですから、支出を抑えるなんて次元の話ではなくなってきました。



それではと、別の仕事を探したりもするのですが、そんなにうまい具合に仕事が転がっている訳は無く、おまけに、我が唯一の資本である体にしたって、いつまで動き続けるか分かったものではありません。



じゃー、必要以上の金儲けに、執念を燃やすか?

って、こんな人種、我が周りには見当たりません。

居るのは、せっせとお金を貯め込む人々ばかりなり。



お金が増えるとは、安定することを意味していたのに、そして、安定はすればする程、幸せも増大する筈だったのに、それなのに、貯めても貯めても安心感が得られません。

お金持ちのような不安定を嫌って、一切勝負せずに、堅実に貯めてきたというのに。



それでは、貧困が招く不安定から逃れるために、我々はお金を貯めてきたのだろうか?



じゃーじゃー、貧困から脱出するために、死に物狂いだったのか?

って、こんな人種も、見当たりません。

我々は、着たい物を着、食べたい物を食べ、行きたい所へ行き、見たい物を見、聞きたい物を聞くことができます。



そうするだけのお金は、既に十分得ています。

人々は、別に、貧困で苦しんでいる訳ではありません。



貧困ではないけれど、現状で居続けることが、安定の真反対、則ち、生きて行き難くなる不安定を意味するようになってきたのです。

お金は、「増えれば増える程、幸せである」ことから、「無ければ生き難いもの、無ければ絶対に生きて行けない」ものへと変貌してきたのです。



お金は幸せを測るモノサシでは無くなり、今後を生き抜くために、是非とも必要なものへとなってきたのです。

貧困から逃れたいから、お金を貯めるのではなく、将来訪れるであろう生き地獄から、逃れるために絶対にお金を貯める必要があったのです。



生命の危機を回避するためには、絶対に必要なものであることは、十分に分かりました。

そこで、人々は、生命維持装置のスイッチを一斉に入れ、将来の生き残りを懸けて、せっせとお金を貯め込んでいるのですね。



もしかすると、日本とかアメリカとかに関係なく、プール付きの家というのは、夢にまで見る金持ちステータスの最(さい)たるものなのかもしれません。

しかし、日本ではそれを求めず、アメリカでは求めた、ということ。



日本では、金持ちステータスとして、プール付き家以外の何かを求めたのではないかと、そう考えを巡らせてみたりもするのですが、お金を貯めること以外何もしていないように、どうしても見えてしまいます。



そこで、お金にまつわる、幾度となく出てくる疑問です。

「お金を貯めるのは、何故なのだろうか?」

と。



安定と幸せを求めることや、将来、野垂れ死にしないようにする防衛本能であることが、本当にお金を貯める理由なのだろうか。

と。

お金持ちになりたいという、純粋な野望からの理由は考えられないのだろうか。

と。



人々は、実は金持ちになるために、お金を貯めているのではないのかもしれない。

そして、幾らお金を貯めたとしても、金持ち気分は味わえないのかもしれない。



金持ちになるためにお金を貯めず、貯めていたとしても、金持ち気分は味わえないのだとしたら、やはり、我々は単純かつ本能的に安定を求め、そして、その結果が、お金を貯めることであった、と考えるべきでしょうか。

安定を求め、そして幸せになりたくて、お金を貯めたのだと。



自分の人生において、安定が何にも増して最優先事項であり、それが幸せをもたらすのだ。

そう悟った我々は、常に安定への道を選択してきました。

その安定への道というのが、せっせと貯蓄に励むことだったのですね。



安定を求める  お金を貯める  幸せ



何にも変換されていない、貯まったお金の数字自体を目にすることが、安定であり、幸せだとは、何とも奇妙で歪(いびつ)な価値観のように見えてしまうのですが、とにもかくにも、そうなのですから仕方がありません。



通帳の中のお金が沢山あれば、それだけで、幸せであるというお気持ちは、分からないこともありません。

「幾ら貯まった!」と、嬉しそうにはしゃいでいる人々を眺めていると、この人は、貯めているだけで幸せなんだと思わされ、また、現にとても幸せそうな顔をしているのですから。



只単に、通帳の数字を見てニコニコ、何に使おうかなんてことを想像しなくても。

通帳の数字のマジックは、このように、人々の顔を自然とほころばせるのです。



もし、彼らの子供も、親と同じ価値観の持ち主であれば、親がそうなのですから、また、現にそのような環境で育ってきたのですから、当然に拝金主義者になっているには違いないのですが、親の通帳の数字の多さは、それだけで、子供をも幸せにしてしまえます。

子供が幸せなら、当然に、親も幸せというもの、です。



実現不可能なことだと思っていながら、単なる願望としては、お金持ちにはなりたい、という気持ちを少し持ち、しかし、そんなにお金持ちにはなりたくないし、貧乏にもなりたくない、と人々は、ひたむきに中庸を求めたのです。



しかし、ここまで来てしまえば、安定を求めた貯蓄は、もはや安定であるとは申し難く、金持ちや貧困の不安定を避けるために、唯一取ってきた行動である、通帳の数字極大化策も、この先どうなるか分かったものではないという無常の大風の前には、塵も同じく。


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