お金はお金に負ける(比較幸福論)
「自分に対する正当な評価、お金の量という評価を貰えるため、プライドを持つことができ、プロとしての自覚で働ける」と言いながら嫌いな仕事をやり続ける。
このページは価値辞典の提供です。
どうでもいいことに、時間と労力と、人生を掛けるくらいなら もっと価値辞典を!
欧米人が長期バカンスと称し、プライベートな時間を優雅に過ごすことは、全くもって羨ましい限りで、我々も仕事なんか早々にリタイアしてしまって、豪華客船とやらで世界一周と洒落込んでみたいものです。
因みに、国民1人当たりの年間宿泊数は、日本の約3泊に対して、フランスは約6倍、アメリカ、オーストラリアは約5倍、イギリスは約4倍、また、日本での有給休暇平均付与日数17日に対しては、フランスは5週間、ドイツでは6週間と、その内、平均9日しか取得していない日本に対しては、フランスやドイツは完全消化が当たり前と来てるのです。
セカンドハウスの戸数に至れば、人口比で日本はアメリカの7分の1、フランスの実に16分の1という有り様。
一体、何がどうなってこうなったのか?
結構みんな、海外旅行なんかに出掛けて、人生をエンジョイしてたんじゃなかったの。
「いくらなんでもこれは無いでしょ」と思える程の散々な目の前の結果です。
こんなにお寒い限りの数字の背景には、有給休暇を消化させることは企業にとっての義務であり、国民にとっての当然の権利であるという休暇に対する考え方と、プライベートな時間を大切にするという時間に対する価値観の違いが存在するのでしょう。
でも今後は、日本においても、休暇制度などのプライベートな時間を取り巻く様々な要因を、総合的に改善する環境整備が徐々に求められて来るんじゃないの。
とマア、ありふれた論調で締めくくってしまえば、休暇制度や様々な価値観を国が変えてくれない限りは、自らは何も変わらない、などというまったく他人事のような話になってしまって、従来どおりの、責任がどこにも存在しない論理に終ってしまいます。
そういうことではなくて、「自分だけが変われば全ては解決できてしまうんだ」ということと、「そんなことは誰も言ってくれないんだ」ということを、ここでは、今更言ってもしかたがないこととしておいても、なお、なんとなく休暇や自由にコントロールできる時間の量が多い人と、公私の別をはっきりとさせて、仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切っている人の方ほど、偉く扱われる雰囲気が辺りを埋め尽くしているのは何故でしょう。
偉いというよりはおそらく、「良い」とか「羨ましい」とか「あやかりたい」とか「真似したい」とか「追いつきたい」などのニュアンスで捉えられているのだと思うのですが、ここでは敢えて「偉い」という言葉を使ってみました。
世の中の論調を素直に汲み取れば、欧米人のように仕事とプライベートを完全に分けて、休暇を長く取っている人の方が、「豊かで幸せな人間であり、そちらの方が偉いんだ」となってしまいまうのですが、果たして本当にそうなのだろうか。
仕事より家庭を重視する人々が、8割を超えるというアンケート結果などを見てみると、日本も欧米と変わるところが無く、仕事とプライベートを完全に分けているところも、「仕事は辛くて嫌なもの」という感性も、まったく同じじゃないのと思うのですが。
「仕事が面白くて仕方がない」と言われる方であっても、休暇は必要でしょうが、辛くて嫌でしょうがないと言われる方にとっては、休暇はただの家族との触れ合いという意味合いだけではなくて、精神と肉体のリフレッシュ、「休まないととてもじゃないけど続かない」という意味合いも持って、更にもっと必要となって来るものなのです。
日本人も欧米人も、休まないと馬鹿らしくてやってられない、と言うところは同じなのです。
馬鹿らしいと思える理由については、仕事は自分のやりたいことが実現出来ない不自由なものであって、どちらかと言えば嫌いなものだから、というのが根底には存在しましょう。
また、仕事は余暇を楽しむためや、家庭を大切にするために必要とされる、お金を貰うためだけのものであって、人生の主な構成要因は、お金ではなくて“プライベート”であるとの哲学も持ち合わせているでしょう。
現に好きなことを仕事としている人に対しては、「仕事が辛いから休暇が必要だ」なんて理屈は、当てはまりません。
「仕事が辛くて辛くて仕方がない。だから、長期の休暇が欲しいんだ。」
もはや、ここには欧米人も日本人もありません。
仕事を辛いものだと受け止めていることに関しては、同じだろうけど、ただ欧米人は、仕事に対するプライドをしっかりと持っているところに違いがある、と言われもします。
確かに、自分の働きに対しての見返りが直接ある、チップや年俸、週給、日給という名のお金の存在によって、プロ意識やプライドを保つことが出来易いシステムになっているとは思います。
能力主義と言いますか、実力主義と言いますか、自分がやればやるほど収入が増える仕組みです。
自然、遣り甲斐、プロ意識、プライドを持てるという訳ですね。
そのシステムが極まれば、多くのチップを貰える、例えばレストランの給仕係であれば、そのポスト自体に値が付いて、売買の対象とされるといった具合にです。
仕事にプライドを持つことが出来る、根底にある価値とは、「お金の量は多ければ多いほどプライドが持つことが出来る、プロになることが出来る、そして、それは良い事なのだ」ということでしょうか。
プライドと言ったところで、結局のところはお金だったのです。
適正な評価に基づいた、適正なお金の量がそうさせていることに気が付いてしまえば、この点においても、日本人と欧米人との間に、大差は無いことが明白となるのです。
いくらやっても定まったお金以上は貰えないというのなら、適度にやるようになるというのが人の世の人情です。
自然、そこには遣り甲斐も見い出せないというところでしょう。
でも、人間なんて、そんなものです。
終業時間が来れば仕事を即座に止めて、プライベートな時間に突入する。
お金の量と休暇の時間は、多くて長いのを良しとするのです。
突き詰めてしまえば、そういうことなのです。
考えれば当たり前のことなのですが、欧米人といったところで、持っているモノサシ自体は日本人とさして変るものではない筈です。
ただ、日本人と欧米人とを比較をすれば、量が少ないというだけなのです。
単純な、他人との「比較幸福論」の問題だった訳ですね。
他人との比較の上でしか幸せを感じられないのなら、他人が存在する限りは永遠に他人との比較の上でしか物事を測ることができず、測った上でないと判断が出来ません。
そこでは、自分自身、単体で幸せなのかどうなのか、という考え方で捉えることは出来なせん。
ここでちょっと、頭の中だけでシュミレーションをしてみましょう。
日本人の休暇の量を一気に4週間としてみましょう。
そして他国と比較してみましょう。
たちまちのうちに、我々は、世界有数の人生をエンジョイする国民となってしまった訳です。
同時に、ただ休暇時間の量を増やしただけでは、幸せかどうなのかが分からないことにも、気付いてしまいました。
「年2週間の休暇の人と4週間の人、果たしてどちらが幸せなんだろうか?」
嫌いな仕事をすることについては変わりが無いのに、休暇の量だけが増えても何も変わらないんじゃないの、と気付いてしまったのです。
時間の量の比較をしている限りは、休暇を幾ら取ろうが、上には上が居るものです。
日本人が欧米人に時間の量において追いついたところで、根本的なモノサシや、また、体も心もリフレッシュさせる休暇を必要とする根本原因の、嫌いな仕事を片付けてしまわない限りは変化はありません。
本当にプライベートが大切という哲学を持っているのであれば、根本的な解決方法である、仕事の選び直しをするべきなのです。
仕事を好きか嫌いかで選び直すこと無しに、休暇の日数が多いとか少ないとかを、比較したところで何の解決となりましょう。
「嫌いな仕事を我慢し、お金のために働く」などという、分かった風な、一端の大人風の無味乾燥の姿勢は、それ自体がストレスを生み出し、そして、それを解消するための休暇を更に必要とするのです。
時間の価値観を変えない限りは、時間は時間に負けるのです。
お金も同様に、お金の価値観を変えない限りは、お金はお金に負けるのです。
高級乗用車に乗っている人は、高級乗用車を2台持っている人に負け、2台持っている人は、3台持っている人に負けます。
3台持つようになったところで、更に多く持っている人に負けるのです。
多くの高級乗用車を持っている人は、自家用ジェット機を持っている人に負け、自家用ジェット機を持ったところで、飛行場を持っている人に負けるのです。
年収1,000万円の人は、2,000万円の人に負け、2,000万円の人は、3,000万円の人に負ける。
1億円稼いだところで同じことです。
多くのお金と多くのプライベートの時間を獲得した「量の成功者達」は、自らの成功している姿を見せびらかして、こう言います。
「あなたも、多くのお金と自由な時間を手にする成功者になりなさい。」
と。
でも、そんなことを言う人には、一言こう聞いてやりましょう。
「仕事は好きですか。」
と。
ほとんどの場合は、
「好きじゃないけど、多くのお金が手に入り、やりたいことや夢が実現できている。」
と、そう答えることでしょう。
「やりたいことや夢は何か?」
と尋ねれば、
「海外に住みたい」とか、「世界中を旅行したい」とか、「会社を経営したい」などと、
返ってくることでしょう。
「なぁーんだ、あなた、サラリーマンとちっとも変わらない。」
と、最後に言ってやりましょう。
「比較しない幸福論」からすれば、規模の違いこそあれ、その思考パターンは、嫌いなことをしてお金を儲け、それを旅行や趣味などに使うという、サラリーマンとまったく同じだったのです。
「どうぞ、どんどん稼いでやってくださいませ。」
「どうか、どんどん遊んでやってくださいませ。」
「他人との比較スパイラル」にどっぷりとのめり込めばのめり込むほどに、「比較しない幸福思考」や「自立幸福思考」を得る機会から遠ざかるでしょうから。
いい気味なのだ。
あっと、好んで選んだあなたの人生でした。
私の人生じゃない。
余計なことは言わずにおきましょう。
「自分に対する正当な評価、即ち、お金の量という評価を貰えるために、プライドを持つことができ、プロとしての自覚で働ける」と言いながら、嫌いな仕事をやり続ける。
仕事の好き嫌いを問わなくても、やればやるほどお金が入ってくるのなら、そりゃ面白いだろうし、遣り甲斐もあるでしょう。
しかし、お金の量が減ったらどうしますか。
「辛さ」や「嫌い」といったものが、強調されて来るんじゃないでしょうか。
これというのも、仕事に対して、好きであるとか嫌いであるとかの問いかけをせずに、元より好き嫌いのモノサシさえも持たなかったからですよ。
でも所詮、モノサシを持っていたところで、当てて測るなんてことはしなかったでしょ。
本当にプライベートが大切という哲学を持っているのであれば、繰り返しになりますが、根本的な解決方法であり、ストレスの元凶である、仕事の選び直しをする筈です。
好きでやっている方にとっては、本当に余計な話になりますが。
さて、
あなたは、高級乗用車1台持っている人と、3台持っている人の、どちらが幸せだと思いますか?
年収1,000万円の人と、3,000万円の人の、どちらが幸せだと思いますか?
※
勝手に名付けたつもりの「比較幸福論」をGoogleにて検索すると、3件のページが見付かりました。
「比較しない幸福論」、「自立幸福論」は、ネーミングのダサさから、一致するページはありませんでした。
あるとすれば、もっと格好の良い名前なのでしょう。
きっと。
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