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やればできる!なせば成る!やれば出来る!絶対負けられない
なせば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり
これは上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)、江戸時代の米沢藩の第9代藩主の名言ですが、いにしえより、人間が何かを為し遂げようという意思を持って何かを行動すれば何事も達成できるものだ、と説かれてきているのです。
さて、
なせば成る!やればできる!
絶対負けられない!
という言葉です。
嘘っぽく聞こえ、偽りに響き、人を惑わすまやかしの言葉と思われる方にとっては、一生無縁の言葉であり、実感などは到底得られないものであります。
大抵は、「やれば必ず出来る」と聞くと、その言葉は、才能のある、頭の良い、緻密な計算ができる、努力を積み重ねることをしてきた、運があり、財力も有している、それらを兼ね備えてきた、ほんの一部の人間だけのものであると考えてきたものです。
また、継続することが出来るだけの根性があり、気合の入った人間だけのものだとも思ってきたのです。
しかし、この言葉は、決して彼らだけのものではなく、みんなが均しく共有できるものだったのです。
貧乏よりは金持ちで在りたいと目標を掲げた人、或いは、金は無いより有る方が良いとの漠然とした願望を目標に掲げた人や抽象的過ぎる願望を目標と取り違えた人達は、目標を叶えるために努力し、そしてその結果、「やっても達成できなかった」と負けを認めてきたのです。
「挫折した」、「出来なかった」、「負けた」なんて台詞は、燃え尽きるまで頑張ったような感じを漂わせていますが、実はそんな格好の良いものじゃなくて、「何もして来なかった」、「出来るようなことをして来なかった」というのが正直な表現じゃないでしょうか。
「金持ちで在りたい」などの目標を達成するために、一体何をどうやったら良いのか、本当にぼんやりし過ぎていて分かりません。
不明瞭な目的は、「どちらに向かって走っているのかも分からず、そもそも走っているのかどうかも疑わしい」という状態に陥れるのです。
「やれば必ず出来る」の「何を(目標)」を選ぶ場合、幾つかのコツが存在します。
ぼんやりとした願望、希望を目標としてしまっては、一体何をすれば良いかが分かりません。
「○○したい」ではなく「○○しよう」というように、自分の内面から湧き起こる意思がこもったものに具体化します。
そもそも、やっても出来ないことを、やるから失敗するのです。
リストラされないようにしようと思った場合、当然の帰結として、どのようなことを準備したらよいのかを考えるものだと思うのですが、多くの場合、実際にリストラされてから慌てて準備、と言いますか、突きつけられた現実に対応せざるを得なくなるのです。
そのような場合、彼らは往々にして、今まで同様の収入と仕事を同時に欲しがって来ました。
しかし、行き着くところは、収入・職種にこだわらず、取り敢えずは仕事を見付ける、という生き方。
これを、リストラされていない今から準備すればどうなるか。
リストラされていないから、求職活動は余裕を持って出来ます。
また、リストラされても急には困らないようなダブルワークなどの激変緩和措置を採用することも可能です。
「今日○○へ行こう」
そう決めた人は、そのことに集中し、確実に今日中に達成してしまうのです。
集中すべきは、ひとつで十分。
達成できれば、次から次へとこなして行けば良いのです。
ただし、ここで決める目標は、「しなければならないこと」ではなく、自発的な意思が入り込んだものでなくてはなりません。
朝起きて、歯を磨き、朝食を食べ、会社へ行き、得意先にアポイントメントを取り、出掛けて行って打ち合わせをする・・・などは、することが決まっていること、ただの日常です。
目標が設定できたら、行動に移します。
やらない → 出来ない
出来ないことをやる → 出来ない
出来ることをやる → 出来る
当たり前ですね。
別に難しく考えなくても、出来ることを設定し、やれば良いだけです。
出来るか出来ないかは、要するにコツを掴んでいるかいないかの違い。
小さな「やれば出来る」を実践してきた人間は、それらを繰り返しているうちに要領を得てしまっているのと、目標を定めきれず、何をやっても集中できない、中途半端、達成手前で諦め、負け癖が身に付いてしまったのとの違いです。
成功体験者は、無理をせず、すぐに出来ることを見つけ出し、すぐに行動に移します。
それを盗み取って真似するだけで良いのですが、やる前に「失敗したらどうしよう」とか「成功するのだろうか」などと悩んだ挙句に何もしない、とか、一足飛びには到底出来ないようなことを目標に掲げてしまって、そして挫折を味わうことになったのです。
確かに、「やっても出来ないことはある、これこそが真実であり、無責任に人を迷わすようなことを言うんじゃない」と一見理屈が通っているようなことを言われる方もいらっしゃいます。
全くもってそのとおりなのだろうと思うのですが、逆もまた真。
やれば出来ることばかりをやって来た人間にとっては、やれば必ず出来ることが真実なのです。
間違って出来ないことを目標にしてしまった場合は、行動の過程において、「修正」、「方向転換」、「検討」などの工夫を加えて、やれることを見付け出し、そして成し遂げて来たのです。
これを繰り返せば、成功体験が蓄積され、だんだんと要領が分かってきます。
出来ないことに挑戦して、挫折し、意気消沈するのが目的ではなくて、出来ることを積み重ねて行って所期の目的の実現に一歩一歩近づけていくのです。
それが、大きすぎる目標であるのなら、少しずつ、進むべき方向を見つけ出し、例え誤ったとしてもその都度修正を加えながら、確実に積み上げていくのです。
『価値辞典』は、ここにまたひとつ「やれば必ず出来る」を完成させたという事実を積み重ねたのです。
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