小学生からの英語教育に賛成か反対か?
2006年3月、文部科学大臣の諮問機関、中央教育審議会の外国語専門部会は、小学校5年生から英語を学習するべきだと報告しました。
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小学生からの英語教育に、あなたは賛成ですか?反対ですか?
1.賛成
2.反対
3.どちらでもいい
4.分からない
さて、あなた何番でしょうか?
ここで考え方を表明してから、以後を読み進めて頂ければ尚一層面白い。
サァー話は変わった。はてさて、人はなぜ他人を批判するのか?
これまで当方も、多くの方々の様々な批判を浴びて来た。
なぜ放っておいてくれないのか?何故そっと静かにしておいてくれないのか?
幾ら考え方が違うからって、わざわざ、「お前のここがこういう風に違うんだよ」なんてことを、教えてくれなくてもいいようなものなのに。
「もうそんなこと止めた方がいいぞ」なんてことを、お節介にも忠告してくれるのだ。
相違点が分かってらっしゃるのなら、己の考え方の改定版作りに役立てればいいのにね。
と思うのですが、そうはしてはくれません。そうはせずに、わざわざ当方の邪魔をしに来るのです。
そんなことをして、向こうさんに何の意味があるのだろう?
向こうさんは、他人を批判してのスッキリ感、うーん、確かにそれは得られるのでしょう、たぶん。
でも、こっち側には、批判されてのどんより感が確実に残るのです、どんよりと。
こちらを「どんより」させて、向こうさんは本当に、そんなことが嬉しいのだろうか?楽しいのだろうか?
向こうさんに少々批判されたぐらいで、こちらは変わる筈もなく、向こうさんにしたって、一度、批判したぐらいで、こちらが好きなことを止める訳がないってことぐらい、分かっていそうなものなのに。
マア言ってしまえば、向こうにしたって、「三度の飯よりも大好きな他人への批判を、こちらに少々言われたぐらいで止める訳がないだろう、バカ野郎」ってなもんなんでしょうけどね。
でも、でもですよ、いくら他人への批判が好きだからって、「他人との違いが分かったその時点で、その相違点を己の価値構築のために使う、このことこそ己にとって一番価値が有るんだ」なんてことぐらい、分かっとけよってなもんですよね。
こちらを批判することにパワーを使うくらいなら、そのパワーをもってして、己の考え方を記(しる)したホームページでも作れってなもんですよね。
もし、そんなことが出来れば、あなたの気付きは、大変な価値が出るってなもんなんです。
「変な発想」って思われるかもしれませんが、そういや、当方を英語で批判する人間は居ないんだよね?
何故ですかね?
って、日本語のホームページを読んで英語で批判して来る奴なんて居ないか。
当たり前ですか。
いやでも、もしかして・・・
仮に当方が、英語でホームページを作ったとしたらどうだろう・・・
今まで批判した奴らは、ほとんど批判できないんじゃないだろうか。
たぶん、批判したい奴らは英語が使えないだろうから・・・
って、いや、誰が英語が出来るかって、そんな“ちんけ”な話を、ここでしたいんじゃないんです。
じゃー、何が言いたいかって。
そうですね、こういうことです。日本人は、日本語でないと価値観が築けないし、論理も構築できないってことを言いたいのです。
「日本人」って、一括(ひとくく)りにしてしまいましたが、そりゃー、日本人の中にも英語で論理構築できる人は居ます。でも、そんな話をしてるんじゃないんです。
この際は、英語が出来るかどうかなんてことも、どうでもいいことです。
大切なのは、己の価値観を構築するのに、かなり熟達した、どこかの国の言語が必要だってことなんです。
「最近の若い者は、己の価値観も構築できないのか」ってな批判は、あれは要するに、自分の操っている言語が、己の価値観を構築する程までに、熟達していないってことを言ってるのです。実は、言ってる本人は、そう気付いちゃーいませんが。
日本人でいながら、日本語のボキャブラリーの貧困と、言葉の繋ぎ合わせの経験不足、訓練不足から、己の考え方を構築できないでいるんです。
今まで何となく見えてそうで見えていなかった、分かってそうで分かっていなかった、言葉に出来そうで言葉に出来ていなかったモヤモヤ感が、当方のホームページを見てハッキリ分かりました、ってな意見を貰ったりするんだけれど、これなんかは、まさしくそれなんです。
ですから、言葉が足りなかったがために言葉に出来ず、言葉に出来なかったがために脳で認識することが出来ず、認識できなかったがために実践もできてはいなかったという訳。
「小学生から英語が必要か?」だって・・・
そんなのどうでもいいや。
大切なのは、どの言葉を習うかじゃなくて、価値観を構築できる程の、しっかりとした言葉を獲得することに有るんです。
じゃー、ある程度ってどのくらいの程度よって、きっと言われるでしょうから、価値観を構築できる程だよって言っときますけど、それくらいの言葉さえ有れば、何語を習うかってなことは、どうでもいいことなんですね。
ポイントは、自分の価値観を構築できるかどうかにかかってる。
築けなきゃ、他人を批判して一生を終わるなんてことにもなり兼ねないのだ。
言葉が未熟なもんだから、「他人を批判して、一体自分に何の意味が有る」なんてことも気付けないで居るんです、可哀そうに。
言葉が未熟だから、「だから、あなたは他人の批判をするんだ」って言ったら、たぶん皆さん怒るんだろうな。
そして、当方へ怒りをぶつけるんだろうなって思うけど、でも、でもですよ。
そんなこと、今までの何十何年というあなたの人生においてですよ、誰も忠告してくれなかったのですか?
こんな「気付き」を、知らしめてくれる友人は、あなたの周りに一人も居なかったのですか、お気の毒に。
そんな人が居ないから、「どうして自分は、未(いま)だに価値観を構築できないで居るんだろう」ってな問いにも、答えを見い出せていないんですね。
言葉の習熟が価値構築には必要なんだってことを、今まで誰も教えてくれなかったから、あなたは言葉を駆使して考え方を練ってはこなかった、ってことにも気付けなかったんですね。
どうです、こんな風に、分かり易く、分かり易い言葉で教えてくれる当方を、それでも批判されると言うのですか、あなたは。
こんな当方を批判されるようじゃー、あなたの元には、ろくな人間も残らないってことです。
己の価値観さえ構築できない程の未熟な言葉を持つあなたが、己の価値観を構築出来た程の言葉を持つ当方を、批判するというのですから?
って、いつも人を怒りでカッと熱くさせる、こんな「ひと言」が余計なんですね。
でも、この怒りのパワーこそが、己を動かせる源なんだ、ってな理屈において、どうかお許し下さいね。
当方の文章には、パワーを引き出す仕掛けが有るんだ、ってなことにしておいて、お許し下さい。
どうしても当方に、怒りをぶちまけたいと言われる方は、そこをグッとこらえて、まずは今夜一晩お眠り下さい。
怒りが過ぎ去った明日の朝には、後に残された光り輝く価値観に、気が付く筈ですから、きっと。
そうでなきゃー、「小学生から英語は必要か」なんていう、何の意味もない問いに対して、あーじゃないこーじゃないと、悩んだり議論したりと、要は、そんなピント外れの一生を過す羽目になるのです。
2006年3月、文部科学大臣の諮問機関、中央教育審議会の外国語専門部会は、小学校5年生から英語を学習するべるきだと報告しました。
アジア諸国と比較すれば、まだまだ少ないですが、今でも、ほとんどの小学校で行われている英語教育は、どうやら、2010年頃から全ての小学校で行われそうですね。
英語の苦手な国民としては、世界一だと言われる程の日本人です、我々は。
苦手な英語を克服して、外国人と積極的にコミュニケーションを取り、外国への理解を深めなければ、と言うことらしいです。
世間では偉いとされる、大学教授や作家の先生達が20人ほど集まって、そのように意見をまとめたということらしい。
お偉い先生方は、2カ国語、3カ国語を操ることなんて、へっちゃらなんでしょう、たぶん。
バイリンガルがどうだとか、トリリンガル、マルチリンガルがどうだとか、特定の誰がどうだとかじゃないけれど、日本国中のあちらこちらの日本語の未熟者が、このように考えるようです。
国際化には英語が必要だ。
↓
だが、日本人は英語が苦手だ。
↓
国際比較においても他国に遅れを取っている。
↓
じゃー、小学生から英語を学習しなければならないぞ。
↓
国際会議なんかも英語で行われてるからさ。
↓
だから、外国とコミュニケーションを取るには英語が必要なんだ。
↓
そして、外国への理解を深めるにも英語が必要なんだ、と。
自分をも理解していない人間達は、外国への理解を深めようとしているようです。
自分はどう生きるべきか?
自分の好きなことは何か?
なんてことを分かってもいないのに、外国を理解するために、英語を習おうというのです。
百万年早い!って。
まずは、自分を理解し、自分独自の価値軸を築き、自分らしい考え方を構築することが先決ですよ、皆さん。
そのためには、日本語を駆使して、己の価値観を構築しなければなりません。
だって、未熟な英語じゃ何ひとつ価値構築できやしない。
未熟な日本語のまま英語を覚えたって、価値観を構築するためには、何の役にも立ちやしない。
加えて、中国語やスペイン語、フランス語やドイツ語なんかも同じです。
例え何十カ国語しゃべれたとしても同じです。価値観を構築できなければ何の意味もないのです。
そう、未熟な言葉を、いくら並べられても何にも怖くない。
マルチリンガルが、「人生とは自分の好きなことを見付け出し、実践することである」との価値を見付け出すことが出来なければ、他人から指示されるままの指示待ち人間に他なりません。
ただ、指示される言葉や、返事する言葉が日本語から英語に変わっただけです。
格好いいですか、こんなのが。
マルチリンガルが、「他人を批判して何の意味が有る」との価値を構築できなければ、他人の人生に介入したりする、卑劣な時間泥棒に他ならないのです。
ただ、介入する言葉が日本語から英語に変わっただけです。
格好よく会話しているように見えて、単に批判し合ってるだけだったりして。
マルチリンガルが、「言葉とは価値観を構築することに使うのだ」との価値を探し出せなければ、羅針盤の壊れた船のように、英語を習ってみたり、中国語を習ってみたり、時には、「国際理解」なんていう耳障(みみざわ)りの良い言葉に踊らされたりする、単なる考えなしに他なりません。
英語を習得した後に何が有るのかなんて、誰も示そうとはしないし、誰も知ろうとはしない。
ただ、いっぱい言葉がしゃべれたら、それはいいことなんだと思ってる、何の理念もない者達。
これじゃー、日本語しかしゃべれない、理念なき日本人と同じです。
別に、英語がしゃべれるのが偉いんじゃありません。
3カ国語しゃべれるのが偉いんじゃありません。
他人と比較して、「誰が偉い」なんていう次元の話じゃないけれど、敢えて「偉い」という言葉を使わさせて頂くならば、操れる言葉の数は関係ない、価値観を構築できた奴が一番偉いのだ。
「日本語の未熟者」と、人をバカにしている当方にしたって、ご覧のような稚拙な文章しか書けない、日本語の未熟者で馬鹿野郎に他ありません。
偉い大学教授のような難しい言葉は知らないし、偉い作家先生のような格好の良い表現方法や美しい言葉遣いも知りません。
偉いマルチリンガルさんみたいに、色んな言葉を知ってる訳でもありません。
でも、自分の考え方をこのように、簡単な日本語を使って表現することが出来ますし、それを実行に移すことも出来るのです。
「自分は何がやりたいのか」、「何をするべきなのか」ってことも知ってます。
「言葉は、本当のところ何に使うのか」っていう答えも、当方だけが気付いた宝物です。(って大袈裟ですか)
皆さん、難しく考えないで下さい。
言葉に習熟するとは、今ご覧頂いているような文章、このようなものだったのです。
分かりやす過ぎませんか。
でしょ。
もうひと押し。前述の例でもう一度。日本語が未熟だとこんな過ちを犯します。
国際化には英語が必要だ。
↓
だが、日本人は英語が苦手だ。
↓
国際比較においても他国に遅れを取っている。
↓
じゃー、小学生から英語を学習しなければならないぞ。
↓
国際会議なんかも英語で行われてるからさ。
↓
だから、外国とコミュニケーションを取るには英語が必要なんだ。
↓
そして、外国への理解を深めるにも英語が必要なんだ、と。
これでは、幸せとは程遠い、あさっての方向へ真っしぐらです。
惨(むご)過ぎます。
日本語が達者だと、言葉の繋ぎ合わせを巧みに工夫して、こんな発見を致します。
「国際化や英語が幸せをもたらすんじゃない、己の考え方が幸せを生み出すんだ」と。
何十年と使いこなし、使い慣れてきた、日本語でさえも見付けだすのが難しい、「国際化や英語が幸せをもたらすんじゃない、己の考え方が幸せを生み出すんだ」という価値観です。 ましてや、中途半端な英語で、これを構築することが出来るでしょうか。 うまい具合に、英単語や言い回しが思い付かずに、何一つ価値観らしい価値観を、構築できないのではないでしょうか。
皆さんやってみて下さい。考え方は、頭の中で言葉を繋ぎ合わせて創り出すんです。 さあ、日本語でも英語でも良いから、思考してみて下さい。 そして、己独自の考え方を完成させてみて下さい。 「私は」という日本語を頭に思い描き、「こう思う」とさらに日本語を思い描き、「小学生からの英語教育」という日本語の次に、「必要だと思う」と日本語を続ける。 更に、「なぜなら」という日本語を頭に思い描き、「私はこう思うからだ」という日本語を続け、なぜ小学生から英語教育が必要なのかを、日本語のフレーズを繋げて考え方を構築して行くのです。 てな具合にです。
Q:小学校英語 投稿者:りこりこ 投稿日:2006/09/18(Mon) 15:07
いつも、メールを送ってもらってありがとうございます。真摯な文章、楽しませてもらっています。
はじめて、掲示板サイトを利用させてもらいます。いつの間にか、発展しましたね。
この間、BSディベートというテレビ番組で小学校英語教育導入についてやっていました。
どちらかというと、敷かれた教育体制に委ねるように、ただモクモクと生きてきたわけですが、根本から問い直すいいきっかけになりました。
ホームページの宣伝は禁止と書いてありますが、ブログ(同じような物??)を宣伝するつもりではありませんが、自分なりの意見を書いてみました。
良かったら、訪問していただけると嬉しいです。
価値さんは、語学教育、もしくは、教育問題についてどうお考えですか?
政治の問題は、教育の問題だと思います。
つまり、政治が悪いと、ろくな教育も受けられない。
教育の子供達(特に無垢であるがゆえに)への影響力とは大きなものだとおもわれます。
先日、私の友が、男児を出産いたしました。おめでたい★これから、子育てという長い仕事が待っているのでしょうが、これからの日本の世界の教育事情を考えると、あまり楽天的ではいられません。
http://plaza.rakuten.co.jp/rinngo3/diary/200609160000/
A:
我が子の教育に関しては、我の能力しだいでしょうか。
国や学校や教師がどのような能力を以って、何をしてくれるのか、何をしてくれようとしているのか、なんてそんなこと考えるだけでも時間の無駄です。
これらは、自分の一生を賭してもコントロール不可能です。
他人には決して頼らない、ましてや学校や国なんか決して信用しない。
我が子を教育するのは、コントロールできる己しかいないのです。
では、学校に行かせないということですか?
いいえ、違います。
コントロールできないところでは、何をされても仕方がありません。
それはそれとして甘んじて受け、軌道修正は己がしてあげればよいでしょう。
では、子供に自分の価値観を押し付けると言うことですか?
いいえ、違います、と答えると思ったでしょうが、でもここは、イエスです。
はい、己の価値観を押し付けます。
世の中の人間のほとんどは、己の一生を賭したとしても何ひとつ価値観を見い出せず、挙句の果てに、大事な我が子に、ただただ勉強することと、お金を儲けることのみを教えてくれたりなんかして、余計なことをしてくれちゃったりするのです。
そんなのが人生じゃない。
我が方は、人生とは好きなことを見つけ出し、それをすることなんだ、と教えます。
自分の価値観を押し付けけると言っても、子供の可能性を狭める訳じゃない、広げてあげるんです。
国や学校のシステムや教師の能力に任せていたら、何の意思の存在も無く勉強し、無意味に金儲けする人間に仕立て上げられ、十代そこそこで人生を終わりにされます。
と、時間を省略してちょっと想定問答してみました。
有り難いメール、貴重なご意見ありがとうございました。
コントロールできないことは出来ないこととしても、熱意を込めれば徐々には動く筈。
でも、己をコントロールする人間が、我であったり、あなたであったり、彼であったり、彼女であったりと、みんながコントロールし出せば、コントロールできない対象は、たちまちの内に無くなり、すべてがうまく行く、すなわち、すべてがコントロール出来る訳。
これって、理想論ですか?
ではやっぱり、コントロールするのは己ひとりにとどめておきますか、なんてことを思ったりもします。
世の中には、コントロールできないものがいっぱい有るのに、己ひとりをコントロールするしか出来ない。
そして、己ひとりをみんながコントロールし出せば、世の中からコントロール出来ないものは無くなってしまう。
これってマジック?まるでトリック?
結局は、国や学校などの遠くを語るんじゃなくて、己のやるべき仕事は、目の前の己をコントロールすることであったというお話ですね。
いや、遠くのものを語っちゃいけないってことを言ってるんじゃありません。
熱意のこもったホームページは、光り輝く貴重な個性の現れであって、そういう風に好きなことを自由に表現しているのを見るのは、爽快で楽しいです。
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