いじめられっ子への賛歌!学校なんて要らない!
いじめっ子といじめられっ子、どちらが悪いですか?っていう、誰もが答えを知っている簡単な幼稚園児の問題に、いじめられっ子の方が悪いと答えるのです。
価値辞典は本音検索サイトです。どうでもいいことに、時間と労力と人生を掛けるくらいなら もっと価値辞典を!
当メールマガジンやホームページの読者の中に、中学生の方が居るのは、草創期より、励ましのお便りなどを頂いて知ってはいたのですが、それよりも何よりも、小学生の読者の方もいらっしゃるというのには、やはり驚き!
さすがインターネットの世界、当然の帰結とはいえ、やはり凄い、サプライズです。
見事に年齢の壁を取っ払って、横のつながりに強いところを見せてくれました。
でも、これがもし、リアルな現実世界の出来事だったとしたら如何でしょうか。
そうであるならそれはもう、想像しただけでも危険この上なく、見知らぬ大人と小学生が街角で会話をしたらどうなるか、というお話になってしまうのです。
当方がもし、そのようなことを実際にしでかしてしまったとしたら、それはもう大変。
たちまちの内に、誘拐犯か性的いたずら目的の変質者扱いされること間違いなし、いやいや、そんな生ぬるい見方はすっ飛んで、現実的には、凶器を持った殺人鬼扱いされて、不意に辺りを囲まれるのは必定でしょう。
まあ何れにせよ、小学生に近寄っただけで、ただでは済まぬ雰囲気がプンプンと漂っている、そんな今日の情勢なのです。
だから皆さん、小学生と話がしたいからといって、不用意に小学校なぞへ近付いたりなんかしちゃーいけません。
万が一そんなことをしてしまえば、それはもう緊急事態ですよ。
あなたは程無く押さえ込まれ、「変質者、学校へ乱入!」、「殺人鬼!殺人未遂容疑で逮捕さる!」などと、デカデカと新聞に載ること間違い無しなのです。
そうです。リアルな社会では、親と子と、先生と生徒といった限られた関係以外は、大人は子供に接触してはならなかったのです。
そうです。そのような「お触れ」は出ていないけれど、知らぬ間にそんなに物騒な世の中になっていたのですね。
大阪教育大学付属池田小学校の児童が殺害されたのは、確か2001年の6月でしたね。
それ以来文部科学省は、危機管理マニュアルなどというものを策定して、監視カメラやインターホンなどの安全設備に手当をしたのです。
東京都なんかは、警視庁に直結する「学校110番」などという非常通報装置を、すべての幼稚園や小学校、中学校に配備したのです。
全国的にも、国公私立の幼、小、中、高などの半数近くで、監視装置が設置されたのです。
そのように、危機管理マニュアルに沿って対策を打っていた矢先の2005年2月のこと。大阪府寝屋川市の小学校に於いて、同校の卒業生が教師を刺殺するという事件が発生しました。
卒業生が、元担任の名前を挙げて犯行に及んだのですから、これはもう防御の仕様が有りません。
まさか、卒業生に「帰れ」とは誰も言えんでしょ。
学校は今まで、何か事が起こるたびに対策を何か打って来ました。
それはさながら、症状が出れば、そのつど薬で抑え込む対症療法のようなもの。
学校を塀で囲み、塀の上には有刺鉄線を張りめぐらし、その上には更に監視カメラとセンサーを設置するといった具合。
東京都港区の小学校のように、正門付近にガードマンボックスを設置し、民間警備員を常駐させるといった具合に。
それでも足りなきゃ、学校はまだまだやります。
どうせ薬代がかさむ対症療法です。かさんだ分は、誰か知らない人に払ってもらうだけ。
払う人が居なければ、国債を発行して皆さんに負わせるだけ。
「教育行政とは、火事の度に徐々に膨れ上がっていく焼け太り商法のようなもの」と、言い切ってしまえば少々不謹慎ですね。
誘拐される子供の数が年間6万人弱、校内で殺される子供の数が、ここ10年の平均で約40人というアメリカのことです。
さぞやと思いきや、やっぱり、校舎内には拳銃を携帯した警察官が巡回していたりするのです。
そこまで到底いたりはしませんが、でも日本でも、「登下校時ぐらいは警察官のお世話も必要かな」って思えるような不穏な今日この頃です。
仮に、警察官が登下校時の巡回をしたとしませんか、それでも、不逞(ふてい=不届き)な輩が襲って来るというのなら、「分かりました、それじゃー集団での登下校に切り替えましょう、そして、数名の警備員で完璧に守って見せましょう」。
って、その上でまだ、玄関を出た瞬間などを見計らって襲って来るというのなら、「分かりました、こうしましょう、生徒一名に付き一名の警備員をお付け致しましょう」。
って、言っているのに、居眠り暴走車や自爆テロみたいに(ヒエー、想像しただけでも寒気がします)突っ込んで来るというのなら、「分かりました、もう降参です、防ぎようがありません」。
徒歩での登下校は諦めてバスにします。
いや待てよ、でも爆弾男なんかが飛び込んで来たらどうしよう、うーん参った、普通のバスでは心配だ。
そうだ、激烈な衝撃にも耐えられるように、分厚い鉄板で囲んだ装甲バスにしよう。
と、調子に乗って大袈裟に焼け太って書いておりますが、現実の学校はこのように、大袈裟に焼け太っていくのです。
生徒一人に付き一人の警備員なんことにふけっていたら、現実の世界から、「実際に登下校時を狙われたら防ぎようがないぞ」との警告です。
奈良市の小学校1年生女児誘拐殺人事件から、丸一年が経ったなと思っていた2005年11月23日のこと、広島市安芸区にて、段ボール箱に入れられた、小学校1年生女児の遺体が発見されました。
なんてむごいことをするんだ、と思っていた2005年12月2日のこと、茨城県常陸大宮市の山林で、これもまた小学校1年生の、胸に複数の刺し傷の有る女児の遺体が発見されたのです。
・・・と、言葉を失っていた2005年12月10日のこと、京都府宇治市の学習塾で、小学校6年生の女児が、アルバイト講師に包丁で首などを刺されて亡くなりました。
現実世界のおっしゃるとおり、幾らお金を掛けても子供の命は守れないなと諦めかけていたところへ、「大変なことになってしまった、ここが抜け落ちていた、急いで塾や予備校での安全も確保しなければ」と、関係者は益々勢いづいて焼け太りを加速させるのです。
ちょ、ちょっと待って下さい。そんな大盤振る舞いされたんじゃー、とてもじゃないけど財政が持ちません。
何を言ってるんですか、生徒一名に付き一名の警備員を付けたり、装甲バスに改造したり、私生活にも首を突っ込んで、塾や予備校での安全にも配慮すると言ってるんですから、そんなこと当たり前じゃないですか。
細かいようですが、当然のこととして私立幼稚園や小学校みたいに、バスの運転手なんかも雇わせて貰いますからね。
でもそれじゃー、ただでさえ潰れかかっている国家財政の破綻に、拍車がかかってしまいます。
そうなれば、あなたは焼け太りだと非難されますが、結局は、みんなが一斉に破綻してしまって誰も焼け太りませんよ。
あなたは、「焼け太った奴らは、最後まで生き延びて私腹を肥やす」っていう意味を込めて言っているのでしょうが、でも、そんなダーティーな奴らも破綻してしまうんです。
でしょ、むしろ、日本国民総焼け細りじゃないですか。
命より大事なお金、んっ!命の次に大事なお金でしたか?そんなに貴重なお金です、焼け太った教育だけに掛けるというのは如何なものでしょう?
それじゃー、こうしましょうよ。自宅から学校までの自分の命の安全は、自分の責任と親の責任ということで如何でしょう?これで手を打ちませんか?
その代わりと言っちゃー何ですが、いくら税金が掛かっても、学校内でのお子さんのお命だけはお任せ下さいということで、どうです?
と言っても、いくら門外で来訪者の対応をするったって、軍隊さながらの武装した奴らが、校門を突破するなんて事態も考えられるし、そうなったら一体どうしましょ?
って、これ以上、いったい幾らお金が掛かるのよ、モー!
門外に、軍隊でも置こうってでも?
ほんと、不思議です。
犯罪者、文部科学省、学校、親、生徒、マスコミと、本来、まったく違うことを考えて別個に行動している筈なのに、全ての行動の結果が、「国の破綻」という同じ方向を向いているのですから。
そう、犯罪を防ぐために学校に税金を投入するという一連の行動が、結局は、国を滅ばして全ての者を苦しめるという結果を招いていたのです。
皆さんは何と、自らの滅びのために、日夜せっせと努力していたのです。
犯罪者は、形有る物を故意に破壊するのですから、もとよりコントロールできるもんじゃありませんが、その他の善良な市民は、そんなことこれっぽっちも望んじゃいないのに。
望んじゃないのに我々は、破綻へと確実に吸い寄せられているのです。
それじゃー、そうならないための、何かいい方策はないのですか?
・・・!
・・・!
◎☆?!
・・・!
一応、有るのは有るけど、どうでしょう、皆さんに受け入れて貰えますかどうか!
でも、せっかくの機会ですから、一応は言わせて貰いますね。
どうです皆さん。
様々な出来事は、学校があるからこそ起こってるんじゃないですか。
この世に、学校があるからこそ、皆さんは困ってるんじゃないですか。
如何です?違いますか?
考えれば、学校という制度も何百年と歳を経て古いですよね。
どうでしょう、本当のところは、もうこんなお古、要らないんじゃないですか?
無くったって、大丈夫なんじゃないですか?
これって暴論ですか、如何です?
現在はネットの時代です。これを使わない手はありません。
どうしても学校に行きたいとおっしゃるのなら、自宅のパソコンから、バーチャルな学校へと行けばいいのです。
そもそも、「家庭が学校である」というのは、大昔から大有りのこと。
そうならば、学校の建物なんかは要らないし、先生の数は減らせるし、制度の管理人も不要と来ます。給食は要らないし、給食を作る施設は要らない、総じて教育費をグッと減らせるという仕組となります。
ついでに、教科書なんかもバーチャルにしてしまいましょうよ。そうなれば、森林の伐採はグッと減り、環境にはグッドです。
すべてはうまく行き、みんなハッピー。そう、そのように見えます。
エッ、何ですって!
「学校を無くされちゃー、子供の協調性が無くなる」ですって!
「弁当を作らなきゃいけない」ですって!
一体あなたは、何を言っちゃってくれてるのでしょう?
そもそも、子供は誰の子ですか?
協調性ぐらい、あなたが家庭で教えてやって下さいよ。弁当ぐらい、あなたが家庭で作ってやって下さいよ。一体あなたの子供は誰の子ですか?
それとも、国は莫大なお金を掛けて、あなたの子供に協調性を教えなきゃいけませんか?
莫大なお金を掛けて、あなたの子供に給食を作らなきゃいけませんか?
そもそも、協調性を教えるのに、一体いくらのお金を掛けるお積もりですか?と言いますか、既に国が滅びるほどに投入しております程に。
そもそも、あなたはあなたの子供に、一体いくらの給食を食べさせるお積もりですか?って、人件費やら何やら全てを加えれば、下手すりゃ、一食うん千円、うん万円。
そもそものそもそも、自らがすべきことぐらいは自らの責任に於いてやって下さいよ。
協調性を教えることもそうです。
あなたは、学校に行きさえすりゃ協調性が備わるようなことをおっしゃいますが、だいたい、今の子供のどこに協調性があると言うのですか?
本質をよーく見て下さいよ。今の子供は、好きなことひとつも見付けられずに、我慢して勉強しているだけです。それがお分かりになりませんか、どうです?
その様が、さも協調性があるかのように見えているだけで、本当のところは、生気(せいき)無く澱(よど)んで勉強せざるを得ないというのが真実です。
目を見てやって下さいよ。死んでいるのがお分かりになりませんか?
「やる気の無さ」は「真面目さ」と、「人生に対しての諦め」は「大人しさ」と映っているだけなのです。
どうです、本来的には、あなたの子供の躾(しつけ)は、あなたに固有する仕事なんです。
国に丸投げするんじゃありません。他人任せにするんじゃありません。自分の責任を放棄するんじゃありません。
アメリカの学校を見てやって下さいよ。
誰が協調してますか?って、そりゃーもちろん、アメリカにも協調する人間ぐらい居るでしょうが、そうじゃなくて、「自分の意見を確立させ、それを主張することが当たり前の国である」という意味合いからの、アメリカです。
自分の考え方を持たずに、他人に同調する日本と対比させてのアメリカです。
もちろん、みんなが自分独自の考え方を持てば、バラバラで不揃(ふぞろ)いとなりますが、でもそれが個性的で素晴らしいということなのです。
さてさて、その素晴らしさが、一体どこから来るのか、お分かりですか?
アメリカの学校では、躾なんぞ教えませんね。当たり前のことですが、学校は、勉強を教える場所だからです。
服装検査なんてのも、する必要はございませんね。だって、勉強するのに、服装なんて関係がないからです。まったくもって個人の自由な領域だからです。
もう一度言いますよ。躾は親の仕事です。国家が税金を使ってする仕事じゃありません。「そんなの、学校じゃなくて家庭でやって下さいよ」なのです。
その前には、個人の考え方や生き方が確立されているアメリカで、躾しようたって無理っていうものですよね?
個人の考え方が確立されていない日本だからこそ、生徒の生き様に手を突っ込んで弄(いじ)くり回し、盲目的な学歴信奉者や醜い拝金主義者に仕立てあげることが可能なのですね。
まあ何れにせよ、教えべくは、躾なんかじゃなく、ルールです、ルール、ルールを守らせることです。
例えばです、遅刻を3回すれば校内放送で校長室へ呼び出すとか、5回に達すれば家庭を訪問するなどといった具合の。
皆さんはご存じかどうかは存じませんが、アメリカではむしろ、日本よりも分厚い校則を作っていたり、ルールを厳しく守らせていたりするのですよ。
国家が躾をしないからといって、国民を放ったらかしにしている訳ではないのです。
基本的に、学校は勉強だけを教える。もちろんだから、給料も教えた分だけ。
「だから当然」と申しますか、「中には」と申しますか、「恐らくは」と申しますか、多くの教師は、その給料だけでは食べてはいかれません。
聞けば、年収200〜300万円と言うのですから、アメリカの教師とは、アルバイトが前提の職業だったのですねって、当然、中身によって違ってきますが。
これは、厳格な役割分担や責任分担の結果ですよね。
「自分の好きなことや、遣りたいことも見付けられないくせに、人生の専門家面(づら)して、生徒の生き様に介入して来るな」ということの結果ですよね。
「人生の素人が何をする」っていうことですよね。「勉強を教える専門家なら専門家らしく、勉強だけ教えてろ」っていうことですよね。
家庭訪問や様々な相談事は、日本のように素人の教師がするんじゃなくて、「それを専門としたカウンセラーがしろ」っていうことですよね。
部活動なんてのも、別に契約を交わした専門家が教えるべきで、「その分の給料は別に払いましょう」っていうことですよね。
かつあげ防止のため、トイレにはドアがないとか、一転して、鍵を借りなければドアさえも開けられない個室トイレの存在とか、物騒で煩わしい色んな問題もあったりなんかして、すべてがアメリカ礼賛(らいさん)とはいかないのですが、かと言って日本のように、何もかも国に丸投げして、「私は、教育には関知しない」なんて無責任では居られないのです。
そんなの許したら、何のためにも、誰のためにもなりません。
どうです?いっそのこと、大胆に学校なんか無くしたら。
義務教育はネット上でも出来ますし、本来的には、家庭だって教育の場なんですから。
人が命を懸けて勝ち取ってきた、教科書無償配布や学校給食制度などを捨てろとでも言うのか?ですって。
いやいや、それはリアルな学校という箱に通うことを前提としているから、そうなんです。
学校は無くなるんだから、そんなもの、どうでもいいじゃないですか。
あなただって、小さい頃、学校なんて無くなってしまえと思ってたんでしょ?
クラスのお友達なんかも、無くなれと思ってたんじゃないですか?下手すりゃ、生徒だけじゃなく、先生自身も無くなれと思ってたんじゃないですかね?
考えてみて下さいよ。学校が無くなれば、いいこと尽くめです。
行きたくもないのに、無理強(じ)いされるなんて無いのです。
自然、不登校もないのです。
学校が無くなれば、馬が合わない者同士を、無理やりに小さな部屋へ閉じ込めて、必要も無いのに仲良くするなんてことは、強いなくてもいいのです。
「みんな仲良く」なんていう嘘八百は暴(あば)いて、イジメなんてのを無くしましょうよ。
もともと、異質なものを一箇所に閉じこめて、仲良くさせようといった魂胆自体に無理が有る訳で、そりゃー、どこかにぼろも出るってなもんですよね。ネェー。
無理矢理に押し付けられた人間関係が生み出すストレスは、幼き頃より皆さんが目の当たりにして来たような、「いじめる」や「いじめられる」なんて悲劇を生んで来るのです。
「いじめる」や「いじめられる」の当事者を、広々とした社会に放ってやれば、自由気ままに羽ばたくものをね。
因みに皆さんは、いじめる側がいじめられる側へ、何を言ってるかご存知でしょうか?
「いじめられる側にも原因が在るんだ」なんてことを言ってるのですよ、ご存知でしたか?
「いじめる側といじめられる側、どちらが悪いですか?」っていう、誰もが答えを知っている、簡単な幼稚園児の問題にそう答えるのです。
当然ながら、いじめの原因はいじめる側にあります。受け手である、いじめられる側に在るなんていう論理は、自分が見えてない証拠ですよね。
いじめざるを得ない状況に我が身を置いているという、あなた自身の不甲斐無さが原因なのですよ、実際は。
あなたは、学校が仕掛けた、「ストレスがよく溜まり、イライラして他人をイジメてしまう」という罠に、不甲斐無くも引っ掛かってしまったのです。
あなたは、そういった学校の術中に見事にはまってしまったのです。
いじめられる方が悪いんじゃありません。
そんな小さな箱に己を閉じこめて、抜け出そうとしないあなたが悪いのです。
そんな小さな箱で他人をいじめて喜んでいる、そんなあなたの性根が悪いのです。
ストレスを溜め込み、他人をいじめて発散する、そんなあなたの選択と決断が悪いのです。
そんな自己責任他人転嫁型人間は、アメリカに追放しますか。
日本では粋がっていたそんなあなたも、アメリカに行ってしまえば、「いじめられる側にも原因があるんだ」なんていう強気は消え、己の個性の無さに愕然とさせられること間違いなしでしょう。
あなたの周囲には、日本でいじめていたような、個性的な人間しか居ないことに気が付くのです。
むしろ浮いているのは自分の方であることを知るのです。
それよりも何よりも、いじめたくてもいじめる対象は居ないし、あなたと徒党を組んでくれる卑怯な人間も居ないのです、ここには。
そりゃー、アメリカにも「いじめ」は存在するでしょうが、それは個性有る者同士の、そして、自己の考え方を確立させた者同士の間にこそあるのです。
日本のように、自己の考え方が無い者同士が寄り集まって、自己の考え方を確立させた個性的な人間を、浮いた存在へと追いやって攻撃するのとは次元が違うのです。
わざわざアメリカに追放して、改心させ、いじめを悔い改めさせるなんて面倒なことはしなくても、日本に於いて、学校という箱を無くしてしまえば問題は解決ですか。
例えば、本当に学校が廃止されたとしませんか。
さて、あなたは、今までいじめていた人間を、今まで通り、学校外でもいじめるかどうかということです。
さあ考えてみて下さい。そんなことをして何のメリットがありましょうや?何の意味がありましょうや?
そんな愚かしいこと、一体誰がしましょうや?
それとも、りっぱな大人の住む世界で、誰かが誰かをいじめるなんていう愚かしさが有るとでも?
「あっ、はい、有ります。公園で、浮浪者をいじめているのを見たことがあります。」
って、それは違います。それはいじめではなく、犯罪ですってば。
犯罪は法律で裁きましょうよ。
第一、あなたは「いじめ」なんて言葉を使われておりますが、それは要は、刑事とか民事事件にされても文句が言えないような行為なのです。
学校の折、あなたも、いじめた代償として高額な慰謝料とかを払わされていたら、ここら辺りをもっとしっかりと理解していたのにね。
「いじめ」という人権侵害でないかのごとく言葉自体が問題です。
「いじめ」という犯罪でないかのごとく言葉自体が問題です。
「いじめ」という殺人的行為でないかのごとく言葉自体が問題です。
要は、いじめは人権侵害であり、犯罪的行為であり、殺人的行為に外なりません。
だからここでは、いじめイコール「ほとんど犯罪」として扱います。
あなたが学校時代でやっていたのは、いじめなんかじゃありません。ほとんど犯罪です、ほとんど犯罪、そう、あなたがやっていたのは法律で裁かれるべき、ほとんど犯罪行為だったのです。
「いじめ」なんていう可愛らしい言葉を使っちゃったりなんかして、あなたの責任をぼやかしてはいけません。
いくら腹が立つ人間だからといって、いじめて良い法なんて、この世には無いのです。
個性の無いあなたより、ちょっと違うからといって、誰にいじめる権利がありましょうや。
他人があなたより変わっているからといって、人間としての尊厳を無視していいのですか?
あなたに個性が無いだけじゃないですか。
あなたが普通過ぎて、魅力が無いだけじゃないですか。
そもそも、嫌ならそんな人と付き合わなきゃいいじゃないですか。
と言ったら、「それじゃー、無視すればいいんですね?」って言うんでしょうね、きっと。
「相手の人格を尊重するけど、付き合わない」っていうのと、「相手の人権を蹂躙(じゅうりん=ふみにじる)して、無視していじめる」っていうのとの違いまで、ここで説明しなきゃ分かって貰えませんかね。
大丈夫ですよね。分かって頂けますよね。
狭い教室に、個性が無い人間ばかりが一緒に居るから、そんな歪(いびつ)な思考になってしまうんですよね、可哀想に。
あなたは人のことを、「閉じこもり」なんて言って、バカにしてるれど、本当にバカにされるべきは、教室に閉じこもりっきりの、あなたの方なんです。
お分かりですか。
ついでに言わせて貰えれば、学校での体罰、あれもほとんど犯罪です。
そんなものは、どんどん法律で裁いてやって下さい。
変に黙ったりするから、暴力教師が調子に乗るんですよ。いや、暴力教師なんて言葉がいけない。
教師だけ特別扱いをして、「暴力教師」なんていう言葉を作ってあげるから調子にのるんです。一般人同様、「犯罪者」で十分。
普通に考えましょうよ。生徒と教師の関係だから、だから殴ってもいいのですか?人間が人間を殴った時は、刑法の出番でしょ。
そういう時のために、先人が刑法を作ってくれているんですから。その中には正当防衛なんてのもあるんです。
生徒と教師じゃありません。人間と人間です。もし、命の危険を感じたら、己で防衛しましょうよ。相手はほとんど犯罪者なんですから。じっとしていたら殺され兼ねません。
そんな人は、今後一切「先生」なんて呼んでやる必要はありません。「犯罪者」で十分。
ついでに言わせて下さい。
いじめに対しては、「逃げるんじゃなくて、立ち向かえ」と言われる方がいらっしゃいます。
「逃げてばかりじゃ、いじめは永遠に無くならない」からと。
「いつかは自分を変えなきゃいけない」からと。
「だから自分を変えて、教室に溶け込め」と。
「そうすれば、相手もあなたを認めて普通に対応してくれるんだ」と。
でも、それは違いますね。
当方に言わせれば、自分を変える必要なんてまったくございません。
そもそも、この世の中にいじめなんて有りますか?
いじまなんて有り得ません。
有るですって!
いや、だから、それはほとんど犯罪ですってば。
先程からあなたが言っている「いじめ」は、ほとんど犯罪です。
社会でも「そう」、学校でも「そう」なのです。
いじめている者は、ほとんど犯罪者なんです。
何で、そんな人に合わせる必要がありますか。
何でほとんど犯罪者に媚びて、他の犯罪行為に荷担しなきゃいけないのです
か。
あなた、学校に行き過ぎて頭が可笑しくなったんじゃない?
いじめられて殺されそうになったら、警察に行くか、転校するかです。
そう、いじめに対しては、徹底的に戦うか、逃げるかなのです。
戦う時は気合を入れましょう。いじめの現場を録音したり、カメラやビデオに納める位の用意周到さがないといけません。
口で言ったって、白を切る惚(とぼ)けた連中が相手ですから。
決して、自分ひとりでは責任を取ろうとしない連中が相手なのですから。
ガチガチに固めた証拠で、逃げられなくして、法的制裁を加えなければ彼らの性根は直りません。
決して、先生なんかに相談しちゃーいけません。揉み消されるのがおちです。相談するなら、逃げられないように録音することです。
社会的制裁を加えたければ、マスコミやネット上に事実を流せばいいでしょう。
肉を切らせて骨を断つなら、危険を伴いますが、相手の実名を公開し、真実のみで勝負すればいいでしょう。
集団になって惚(とぼ)ける場合は、一人ずつ剥(は)がしてやればいいのです。
ひとりひとりは、何も出来ない単なる空っぽだっていうことは、その時に証明してくれるでしょうから、心配ご無用です。
いじめっ子の土俵で話しようと思ってはいけません。
何故いじめるかって、詰め寄ってみたところで、「何となく」とか、何とかかんとかと言って、本当に、頭のからっぽ振りを披露されるだけです。
彼らは、そもそも何の価値軸も持ってないのです。
集団でいじめて、死者が出たとしても何も感じない非情な連中です。
戦うんじゃなくて、彼らから逃げ出す場合は、北海道だっていいじゃないですか。沖縄もまたいい、国内で無くったって、オーストラリアやニュージーランドでもいいじゃないですか。考えただけでもワクワクします。
学校の教室のような、閉鎖された空間だけに幸せがあるんじゃありません。幸せは世界中のどこにだってあるんです。
ということを理解しているあなたなら、どこへだって行けますよね。
「一緒に行こうよ」って相談してみて、付いて行ってくれると言う親御さんが居るなら、嬉しいじゃないですか。
こんな時も来るだろうことを想定して、場所を問わない仕事を選んでいてくれたということですから。
先見の明ありって言いますか、人間というものや、世の中というものの本質を良くご存知の証拠です。
それよりも何よりも、「幸せは世界中のどこにだって在るんだ、食べていくだけの収入なら、どこでだって稼ぐことが出来るんだ」ということを理解し、実践していてくれたのです。あなた達家族は、人生の勝者です。
あなたは、そんな親御さんの子供で幸せですね。
一方、いじめていた人間です。彼らは社会に出ても、地域やグループや組織などの、何らかの群れに所属したり寄り添ったりして、目立たないように、いじめを受けないように息を殺さなければ生きてはいかれません。
考えても見て下さい。
徒党を組み、弱いもの同士で褒め合い、傷を舐め合うことぐらいしか出来ない彼らに、なぜ媚びなきゃいけないんですか?
ダーウィンの進化論じゃありませんが、進化するには厳しい環境が必要なんです。
人間は、厳しい環境に自分の身を置いてこそ、進化できると決まっているのです。
せっかく与えられている厳しい環境なのに、いじめっ子みたいに、弱い者同士が馴れ合ってしまっては台無しじゃありませんか。
進化できる大チャンスなのに、それを逃しているのが分かっていないのです。
自分のチャンスだけなら未(ま)だしも、いじめて他人のチャンスをも潰そうとしているのです。ホント罪深い連中です。
ねっ、如何です?いじめっ子って恐いでしょ。
そんないじめっ子だらけの学校を、生きて卒業できるのでしたら、他に何も要らないっていう感じですよね。殺されずに生きて卒業するだけで、「私はは人生の勝者です」っていう感じですよね。
そうです。死なずに生きてさえいれば、あなたの勝利です。社会に出て、いじめっ子に復讐するなんて必要はございません。いじめっ子なんて放っておけばいいのです。
いじめていた人間の人生なんて、やりたいことはイジメの他に何も無く、何の価値軸も見付けられず、幸せが何かも分からずに、安いお金で人に雇われ、文句も言わずに一日中働く、そんなもんなんですから。
放っておいても、いじめっ子は自滅するだけ。
放っておいても、あなたの勝ちは見えるのです。
学生時代より、個性的で他人と違って光っていた、あなたの勝ちは明白なのです。
あなたは、いじめられていた学生時代よりずっと、連戦連勝だったのですよ、実は。
さてと、そもそもです。勉強を教えるのに、なぜ手を出すのですか?
そんな暴力教師は、またしてもアメリカへ追放ですかね。
と、さてここはアメリカです。
あなたは、ここでも日本と同じように生徒に手を出せますか?
出したりなんかすれば、その場合は、もしかすると、法律で裁かれるよりも前に、致命的な反撃を食らうかもしれませんよ。
そんな場合は、ご覚悟下さい。
どうです、分かって頂けましたでしょうか。
犯罪行為を法律で裁いて来なかったから、みんなが甘えてしまって、いじめとか体罰などという、甘ったるい可笑しなことを口走るようになってしまったんですよね。
要するに、みんなが甘やかせていたのです。
さてと、そんな税金の塊である学校という箱を無くしたとなれば、いじめられて無駄に命を落としていたところを、逆に、命を拾って生き生きと有意義に暮らせる、なんて方も出て来ようってなもんですよね。
ですから、もういい加減、自らを甘やかすのは止めませんか、みなさん。
とマア、ここまで事態が進んでも、「じゃー、お金の無い人達はどうするのよ」って言う人が現れたりするのですかね、きっと。「お金が無くちゃー、教育もできないでしょ」ってね。
だから、よーく考えて下さいってば。お金が無いからこそ、学校を無くそうって言ってるのですよ。お分かり下さい。
そもそも、1,000万円掛けて大学を出たとしても、高卒と大卒の生涯賃金の差は3,000万円しか無いっていうことぐらい、知ってるのかな?
おっと、高卒の場合は、大学生が遊んでる4年の間も働いてる訳だから、差はもっと縮まりますか。
じゃー、高卒と大卒の差は、1,000万円も無いっていうことになりませんかね。
所詮、お金の価値軸しか持ち合わせの無い我らのことです。このお金の差は大問題の筈です。
でも当然、ここら辺の計算は、とっくに出来た上でのことでしょうね。何たって、命よりも大事なお金ですもの。
だとしたら、高卒で働く理由は、お金のためだということで納得です。ろくに勉強もしない大学に、何千万円も掛けるより働いた方が得だからです。
でも、大学にまで行く理由は分かりません。
皆さん、命の懸かったお金の計算を間違っているのかな。
大学へ行くのは、より多くのお金を獲得することを目論んでのことでしょうが、的が外れているのです。
たぶん持っていないだろうと思ってましたが、さては、お金の価値軸以外に、別の何かが存在するのですかね。
それって知識欲?
知識欲を満たすだけなら、図書館でも、それこそ、いつでもどこでも、そう、ネット上でも可能です。
働きながらでも大丈夫、そう、大学にわざわざ通う必要はありません。
うん千万円もの自己資金を掛けて、その上さらに、うん千万円もの税金を投入して貰って大学に行く必要はないのです。
もう一度言いますよ、勉強はネット上でも出来ます。
まさか、うん千万円も掛けて、大学で躾でもして貰おうとでも言うおつもりですか?
何度でも言いますよ。
アメリカは、躾にはお金を掛けません。
さあ、どうしてですか?
高卒の生涯賃金は2.7億円です。大卒の生涯賃金は3億円です。
さあ、あなたは何千万円も掛けて、なぜ大学へ行くのですか?
遊ぶためですか。友達を作るためですか。
そんなことのために、あなたの親は何千万円ものお金をあなたに払っているのですか?
国家は、あなたの遊びのために何千万円も使って、そして自ら滅ぼうとしているのですか。
さあ、何故ですか?
学歴のためですか?
あなたの学歴のために、国は滅ぼうとしているのですか?
その前に、学歴って何ですか?
生涯賃金に反映もされない学歴って何よ?みんな、こんなもののために、すべてを犠牲にしているの?
こんなものが本当に、全てを滅ぼしてまでも欲しいものですか?
あなたは、お金の価値軸しか持ってないくせに、こんな簡単な計算も出来ないのですか?
もしかして、自分の学歴を他人に自慢したいだけのために、お金を捨てているのですか?
笑わさないで下さい。
大学なんて、みんな行ってるじゃないの。行ってる者同士が互いに誉め合い、いい気分になり合う、たったそんなことのために、国は滅ぼうとしているのですか?
「あなたは偉い。」
「ううん、あなたの方がもっと偉い。」
「ううん、ううん、あなたの方がもっともっと偉い。」
「あなたは偏差値が高い。」
「ううん、あなたの方がもっと高い。」
「ううん、ううん、あなたの方がもっともっと高い。」
「あなたの大学は一流だ。」
「ううん、あなたの方がもっと一流だ。」
「ううん、ううん、あなたの方がもっともっと一流だ。」
って、誰か、お前ら二人ともバカだっていう現実を、教えてやって下さいよ。
ここまで言えば、皆さんもうお分かりですね。
こんなことを言っているのは、世界中で当方たった一人かもしれませんが、学校なんてもう必要はないのです。
こんなことに同調してくれる人なんて、この世にはひとりも居ませんから、学校は絶対に無くならないし、従って、学校は絶対に焼け太って行くしかありません。
そして、国は潰れ、国民の財産は無くなります。
と、原稿を書き終えた2006年2月17日、滋賀県長浜市にて5才の園児2人が刺殺されたというニュースが飛び込んでまいりました。刺し傷は20箇所にも至るとか・・・
それよりも何よりも、な、な、何と、犯人は、園児の同級生の母親だとか・・・
登園している途中で、味方であるべき大人から攻撃されたのです。これはもう堪(たま)ったもんじゃない。この瞬間に、集団登園とか、親による付き添い登園というものが、無意味と化したのです。
そもそも、と申しますか、何度もアメリカのことを引き合いに出して申し訳ないのですが、どこの国に、我が子を他人に預ける親がおりますか?
どこの国に、我が子の学校の送り迎えをしない親がおりますか?
我が子の学校までの命の安全は、親が守るのです。いや、守ってやれるのは親しか居ないのです。
日本のように、子供をひとりぼっちで学校へ通わせる。
「どうぞ、さらって下さい。」
「どうぞ殺して下さい。」
なんて状況は絶対に作らないのです。アメリカでは、これが常識です。
我が子の送り迎えは、親が責任をもってする。これ常識です。
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