会社のために会社を潰す!自分のために身を滅ぼす!
報われる努力と報われない努力が存在し、努力には正解と不正解があった。会社のために会社を潰す人、自分のために身を滅ぼす人も居た。
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能力の差は努力の差 収入の差はシステムの差
あなたの会社のシステムを考えましょう。
そこでは、やってもやらなくても、収入はあまり違わないんじゃないでしょうか。
そう、そのとおりです。
そこは、能力をお金に換えるシステムではなくて、時間をお金に換えるシステムだから、あまり差が出ないのです。
そんな会社では、一生頑張ったって大金を掴むことは出来ないでしょう。だって、元々大勝ちが出来ないようなシステムになっているのだから。
でも、そこで得ることが出来ないような大金を、要は、システムを変えてしまえば現実にすることは可能なのです。
能力をお金に換えるシステムに変えるのです。そのシステム上で努力するのです。
知らないとは怖いもので、この世の中には、最初から報われる努力と報われない努力が存在していたのです。
驚くなかれ、努力には、正解と不正解があったのでした。
「えっ、今まで出世のために、さんざん努力してきたのに。」
「妻も子も捨てて頑張ってきたのに、すべては無駄だったっていうこと。」
「そんなひどいことって・・・」
では、立証してみましょう。
あなたの会社に、人事評価の確固たる基準はありますか?
「なぜ、あいつが課長になれるんだ」とか、「なぜ、私が出向しなければならないんだ」とか、「なぜ、私がリストラされなければならないんだ」なんてこと、ありませんか。
ありますか。そうですね、ありますね。
そう、人事は、あなたを測る確固たるモノサシなんて持ってはないのです。
時代時代で、その時々で、人事権を掌握した人間が、気まぐれや好き嫌いによって、人を動かしてきたのです。
でもそんなこと、薄々知ってたんじゃないですか。
そうじゃなきゃ、説明がつかない人事が多過ぎるじゃありませんか。
ねっ、バカらしいでしょ。人事なんてバカらしいものです。
このバカらしさは、一体誰が悪いからか。
時間をお金に換えるシステムを採用し、あやふやな人事システムしか持ち合わせていない会社が悪いのだろうか。
んっ、いやいや、それは違うな。
んっ、あっそうか、そういう会社に身を置いている自分が悪いのか。
チャンチャン!
だね。
社会的合理主義とは、年を取っても、今までの仕事の実績を評価する手法のことです。
企業的合理主義とは、年齢や過去の実績には関係なく、現在の実績を評価する方法です。
世の中のほとんどの企業は、社会的合理主義にウエイトをおいています。
基本給っていうやつです。実績を上げなくても幾らかは貰えるでしょ。
“幾らか”の中身には、「何年勤めているのか」とか「いかに会社に従順であるか」などを評価したものが入っているのです。
もちろん、ここでも、その評価する際に参考とする基準なんかは勿論持ち合わせていません。
そんなものです、世の中なんて。
大金を掴めないシステムなんて、そんな具合に、「やってもやっても理屈に合わない」そういう道理で運営されているのです。
一方、自己達成型人間はどうか?彼らが身を置いているところ、そこは完全な企業的合理主義の蔓延(はびこ)る世界なのだ。
彼らがやりたいことを実現するには、会社から押しつけられた嫌な仕事や、マイナス思考の上司や、同僚、部下、結果平等を導くシステムなどは邪魔なだけ。
お金を儲けることだけに価値を置く会社や、お金を貰うためだけに嫌いなことを我慢して働く人間などと、付き合っている暇なんていうのも無いのです。
「すべては他人事!」
そう、この世に有る「あらゆるもの」が、すべて自分の責任に帰するものでは無くて、他人事のように、そう生きてきたのです。
これをすれば会社に利益はあるだろうと思う時もある。
けれど、その日の気分によって生きているから、面倒くさいと思えば利益になることも止めてしまったり。
すべては自分の問題ではなくて、他人事なのです。
「会社人間というが、実は自己中心的。」
会社の汚職事件に絡んで、「会社のためにやった」というのは常套句(じょうとうく)です。
汚職を「会社のため」と称して、「仕方が無かった、自分には避けようが無かった」というようなニュアンスを伝えようとしてはいますが、その、「会社のため」という言い訳の名目自体も大変怪しいのです。
数年後、ことが明らかになったりしたら、「会社のため」のまったく逆の意味の、「多大な損害」を会社に与える結果になるのですから。
それじゃー、「会社に多大な損害を与えるためにやった」だろ、ってね。
結局、会社の威を借りたサラリーマンのすることなんてのは、会社のためではなくて、自分の保身のためだったのです。
しかし、それも後でばれて逮捕され、結局実は、自分の見も守っていない行為だったと分かるのです。
会社のためと称して会社を潰し、自分のためと称して身を滅ぼしたのです。
汚職事件は極端でしたか。
では身近な話として、会社に自分の人生のほとんどを費やして埋没している人間は、実は、会社人間なんかじゃ無いっていうことなのです。
会社に忠誠を尽くす会社人間が、会社べったりのその理由は、実は彼らは、そうしないと自分の存在を感じ得ないからに相違ありません。
ふと我に返り、「自分は何を、なぜ、誰の為に、こんな仕事をしているのだろう」と気が付いてしまうのが非常に怖いのです。
いや本当に怖い!それは自己矛盾!自己否定!まったくもって誤魔化さずにはいられない。
いや本当に怖い。こんなことに気付いてしまっては、生きてはいけません。
でもそんなに辛い仕事を、「歯車のひとつだけど、社会の役に立ちたい」とか、「社会に触れていたい」などという理由だけで、ただそんな理由だけで我慢できるもんかね?
いや本当に、あなたの人生は一体全体、営業の仕事をすることですかね?
事務の仕事をすることですかね?
何をすることですかね?
自分のモノサシ?
そうか、それを分かるということが、自分の物差しを持つっていうことなんですね。
何が好きなのか。
何をやりたいのか。
そういう自分を知ることなんですね。
それじゃー、モノサシを持たないと自分らしい人生は始まらないですね。
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