リスク回避型?情報通物知り型?信念哲学型?
進化論的に言えば、「何の刺激もない環境では誰も進化はしない」、「安全を志向するリスク回避型人間に囲まれた環境からは、自己達成を志向する信念哲学型人間は絶対に現れない」となるのです。
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日本の価値観は、良い小学校、良い中学校、良い高校、良い大学、良い企業に行くのが良い人生と非常に画一化されています。
転々と職を変えている人より、同じ会社に長く勤めているのが良い人生と思われているのです。
制度も企業も社会全体も、そうなのです。
今まで、人よりは良い偏差値を取って、少しでも良い企業に勤めようと努力していたのに、一旦就職したとなれば、次のステップを踏もうとしないのです。
更に良い会社に転職したり、会社を起こしたりはしないです。
なぜでしょうか。
これは簡単な話。みんなが、そうしないからに他ありません。
他人から与えられた未来予定図は、良い企業に就職するところで終ってしまってます。
それならば、それ以降は自分で決断するしかない。
でも、そんな決断力なんてない。
それはどうしてでしょう。
「そんな決断力なんて、学校では習ってません。」
そう、そのとおり。学校の教育が原因だったのです。
学校で教えられることなんて、みんなと協調すること、みんなと同じ意見を持つこと、テストで良い成績を取る人間が優秀であること、みんな平等であること・・・などなど
最後に、みんなと同じ目標である、良い大学へ行き、良い企業へ行くことを植え付けられるのです。
就職してからは、結婚して子供を作り、家を建て、老後は年金生活・・・と、死ぬまでの線路が引かれているのです。
就職するとよく分かります。テストで良い成績を取った人間が、仕事の出来る人間ではないことが。
でも、こういうことも分かります。同じ会社の出来る人間と出来ない人間の収入の差があまりないことが。
何が言いたいかと言えば、結局のところ、なんだかんだいっても結果が平等なのです。
「結果が平等なのよりも、機会が平等なのが欲しい。」
起業すること、それは確かに誰でも出来ますが、社会の思想はそうはさせてはくれません。
ひとりで会社を起こそうとする人間に、信用を重視する銀行はお金を貸さないのです。
あなたの子供の結婚相手として、2〜3人の会社経営者と大企業のサラリーマンと、どちらを選ばれるでしょうか。
信用とかイメージとか、そんな社会の思想は機会を平等には与えないのです。
本当の意味での機会平等は、まだまだ遠いということか。
でも、自己実現しようと思っている人間にとっては、そんなことは何の障害にもならないようです。
今のままでも十分、機会が平等だと思っているからです。銀行が貸さなければ、資金の少ない方法を考えれば良いだけだし、他人がどう思うかなんてことは関係がないことだからです。
因みにアメリカの小学校では、日本の道徳の授業の代わりと言っちゃー何ですが、成功する為の哲学のようなものを教えているとか。
誰にでも等しく才能はあり、努力すれば報われ、自分の基準を持ち、それに基づいた目標を持て、と教えられるのです。
自分を持てば、個性的であり、独創的であり、むしろ人と同じことを嫌がる程です。
人間のタイプは、大まかに3つに分類できるでしょうか。
リスク回避型
リスク回避型の人間は、自分自身で決断することが出来なくて、とにかく動かないこと山の如し。
安全であること、安定していること、何も変化しないことが、唯一の価値美徳といえましょう。
自己中心的な考え方で、その日1日が楽しければよいとの考え方の持ち主であり、指示待ち安全志向型ともいえるでしょう。
全体の7割がこのタイプだろうか。
彼等に共通していることは、とにかくリスク回避の姿勢にあります。
目標なんていうのは、当然のこととして持ってはいません。
物事を判断する基準なんてものは、とうの昔に他人に預けてしまって喪失済みです。
肌を黒くして厚底のブーツを履き、個性を出しているつもりのコギャル達にしても、実のところは他人の真似をしているだけの個性無しっ子に過ぎないのです。
他人が何を着ているか、他人にどう思われたいかという、その点だけに照準を当てて来たのです。
「サラリーマンのほとんどはこのタイプだろうか」というのは、言い過ぎで失言でしょうか。
確かにサラリーマンの中にも、バリバリやって出世を目指す人もいるでしょうが、でもそれって、真面目に一所懸命与えられた仕事を与えられた期限までにこなしているだけじゃないの。これって即ちリスク回避ではありませんか。
そこには、指示に対しての反応の違いがあるだけであって、そういう狭いテリトリーで競っているだけじゃないの。
職場で言われたことだけをやっていれば、給料は貰えるのだから、本気になったり、躍起になって生きる必要はないのです。
自己実現なんて言葉は、一部の才能のある人間の特許事項であって、自分には関係がないと決め込んでいるのです。
例えれば、森に迷い込んでしまったみたいなもの。
迷った先々で、「さー困ったどうしよう」とか「部長、こちらの道が安全みたいです」などと、ただ何の根拠も無く反応しているだけに過ぎません。
一方、信念と哲学の持ち主は、出口の見えている森を、よそ見をせずに、ただひたすらにまっすぐと歩いているようなものです。
この両者の違いが、お分かりになれましょうや。
情報通物知り型
いわゆる情報通や物知りのことです。
こちらが何か言うと、たちまち反応して「それ3年前から知ってます」とか「その情報は2世代古いな」などと、平気で吐(ぬ)かします。
とにかく、本をよく読んだりして情報に敏感な人のこと。
自分の基準を持つ前の、何が基準なのかを探して、右往左往している段階の人かな。
基準がないから、あらゆる分野の情報を集めますので、いざ自分の価値観が見付かったとなれば、それらの掻き集めた情報は一本にまとまる可能性が大有りなのです。
恐らく、全体の2割がこのタイプに当たるんじゃないだろうか。
しかし、知識だけ有っても何にもなりません。
知識を追い続けて、一体いつまで勉強するつもりなのでしょうか。
死ぬまでなのでしょうか。
漠然と何かの役に立つだろう、という了見で勉強しているのでしょうか。
自己満足のためでしょうか。
暇潰しのためなのでしょうか。
今、手持ちの知識を生かして行動すること無しに、いつ結果を出すと言うのでしょうか。
勉強するのは、もういい加減終りにしたら良いのです。どうです?
信念哲学型
このタイプは全体の1割居るかどうか。
一代で会社を興して成長させた、オーナー社長などに多く見られるでしょう。
自分の信念と哲学はしっかりと持っているので、一旦、自分が理解できたり納得できたりしたら、とことんまで突き進んでしまうタイプでしょう。
「違う職種の人間と付き合う方が、自分の人生にとっては良いぞ」などと、よく言われますが、これを正確に表してしまえば、例え違う職種の相手であっても、その人間が信念哲学型でないならば、「何も得られるものはないでしょう」となるのです。
進化論的に言えば、「何の刺激もない環境では誰も進化はしない」、「安全を志向するリスク回避型人間に囲まれた環境からは、自己達成を志向する信念哲学型人間は絶対に現れない」となるのです。
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