A
自分のことは一切語らずに、次から次へとよく質問が続くものですねー。
他人のことが余程気になると見える。
って失礼、自分のことも言ってましたね、確か。
「私は200億円儲けた」って、そうですね。
>ぶっちゃけた話 価値さんもお金は本当はほしいのでは?本音でどうぞ。イエスかノーで。
さて、この質問ですが、これは例えるならば、パブロフの犬にベルの音が本当に欲しいか?本音でどうぞ。イエスかノーで。
と問うていることと同じです。パブロフの犬の本音の答えは、「僕の欲しいものはエサなんだよ」ということなのですが。
パブロフの犬を客観的に見ることが出来て、パブロフの犬の本当に欲しいものを知っている我々は、「パブロフの犬ー!ベルの音なんかに騙されるんじゃないぞー、本当に欲しいのはエサの方だろー」って声を掛けたくなりますよね。
であるのにですよ、あなたは、あなたの質問中にある「価値さん“も”」からという表現からも分かりますが、「本音でお金が欲しい」とおっしゃる。
そもそも、我らはパブロフの犬なんかじゃありません。人間です。ベルの音なんかに騙される訳がありません。
こんな簡単な証明問題の、答えを間違う筈が無いのです、ってか。
エッ、まだお分かりでない。
・・・分かりました。
言い方を工夫してみましょう。
こんなこと言ってくれる人、ホント居ませんよ。
言い方を変えたりするのには、膨大な時間が掛かるんですから。
こんなこと誰がしましょうや。
別に、他人を非難して生きてる人間なんて、放っとけばいいのでしょうけど。
人生とは、人それぞれ、人それぞれの考え方によって、人それぞれの人生が用意されるだけのことなのです。
でも、面倒くさくて、誰も表現しきれないからこそ、そして、そこら辺を表現するのが好きだからこそ、労苦をいとわずにこのように書くことが出来るのです。
いやいや、お代は要りません。批判するのを止めてさえくれれば、それだけで十分、それだけで大助かりです。
こんなに親身になって、何故他人を気にしてはいけないのかを、指し示してくれる人、今までのあなたの人生において、あなたの周囲において、ひとりでも居ましたでしょうか。
親が、友達が、学校の先生が、教えてくれたでしょうか。
いや、親や友達や学校の先生が教えられる訳が無い。
親や友達や学校の先生が、答えを知ってる訳が無いのです。
こんな数学の超難問を解ける人間は、そうそうには居ません。
だから、超難解な証明問題の答えが見られる、今回は滅多に無いチャンスなのです。あなたにとっては、違いますか?
それとも、こんなこと言ってる者は、やはり敵ですか。
と、思いっきりうぬぼれて、勘違いして、恩の押し売りなどもしておいて、また、反発をされるような書き方も敢えてし、己ひとりのみ大絶賛、拍手なし、そして次の展開です。
パブロフの犬の例えがダメなら、「5W1H」だー。
人生を構成する、いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)、という6つの要素だー。
我々は、「いつ何を」するのかが大事です。
「誰がどこで」するのかが大事です。
我々は、「何故どのように」するのかが大事なのです。
こんなところへ、お金を介在させますか。
あなたは、「いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように」、「お金を使って」した、という具合に、無理やりお金を介在させるような、野暮なことをするのですか。
ご覧頂いてますように、人生の大事なものリスト(5W1H)の中には、「お金」は存在いたしません。
それとも、「いつでも、どこでも、あなたは、お金が、欲しいから、稼ぐ」という風な、人生が大事だとでも言うおつもりなのでしょうか。
あーあー、「何を」のところへ、「お金」を入れちゃったよ。とうとう、やっちゃったよ。
ついでに言ってしまえば、高級外車なんかに乗って持ち金を誇示する行為、「捨てる程お金が有るんだから、何に乗ってもいいでしょ」ってな論法も勿論(もちろん)有りですが、車なんてものはやはり、パブロフの犬的に言ってしまえば、要するに「ベルの音」、そう、ただの「ベルの音」なんです。
「誰とどこへ行くか」は「エサ」ですが、単なる「車」は単なる「ベルの音」なんです。
「車種」はベルの音色や音量の違いのようなものに過ぎません。
ベンツを見せられて、よだれを垂らしたところで、まだどこにも行っていないのです。
誰かとどこかへ行って初めて、よだれものなのです。
「5W1H」的にもそうです。
私は、誰と、どこへ、ベンツで行った。
って、わざわざ「ベンツ」なんてことは、ここでは言わなくていいのです。
「私は、誰と、どこへ、行った」のかが大事なのです。
「でも、ベンツに乗って快適に行った」っていうのも大事でしょ。
って、ベンツに乗っても、どこへも行かなきゃ意味がありません。
ベンツに乗ってるだけじゃ意味が無いのです。
どこへも行くところが無く、好きなことひとつも無い人間は、「ベルの音」に快適性とか高級感とかを付け加え、究極までに進化させ、「エサ」へと近付けたのでしたが、でも所詮は「ベルの音」は「ベルの音」に過ぎず、いかにあがこうが、それはただの「ベルの音」なのです。
あっ、そうそう、話はガラッと変わりますが、北海道にね、同級生からいじめられていた様子を携帯電話のカメラで収め、自分のホームページに載せた高校1年生の男子生徒が居るんだって。
彼は、自分がいじめられているところを世間に訴えることによって、いじめていた中心人物を、まんまと停学処分にすることが出来たんだってサ。
小突かれていた証拠映像を抑えていたにも拘らず、たったの停学なの、っていう思いも有りですが。
小突かれたんだから、これはイジメなんてもんじゃないでしょ。これはサ暴力って言ってサ、犯罪でしょ、普通は、っていうところですが。
こんなことをする輩は、停学なんていう甘っちょろいもんじゃなくて、どんどん犯罪者扱いにすればいいんでしょ、普通は、っていうところですか。
いじめられた人は、追い込まれて自殺したりするのにサ、いじめる側って何の制裁も無く、何の責任も問われないんだよね。
道徳的、社会的、法的制裁を厳しく下さないとサ、奴らはますます調子に乗って、死ぬまでイジメ続けるんだよ、きっと。
さて、この話題の関係者達は、それぞれ自主退学したり転校したりしています。
良かった、この話題の結末に自殺者が居なくて。
北海道の高校1年生の男子生徒は、「このまま、いじめられた状態のまま放置されていたら、きっと己は殺されてしまうんだろう」っていう、予感のようなものがあったのでしょう、きっと。
ある意味、先読みの勝利ですネ。
イジメ殺されないために、いじめ対策用のホームページを普段から用意していたのですから。
なんか、いじめられていた男子生徒の用意周到さが光ってますよね。
いじめられた時用のホームページという表現は、ちょっと正確ではないかもしれませんが、我々個人が、なぜホームページを持つのかの答えを指し示しているかのような。
ちらっと話は変わって、そもそもです。新聞などのマスメディアは、なぜ言いた放題できるのだろうか?
彼らは、「報道の自由だ」、「国民は真実を知る権利があるんだ」などと主張して、どんどん個人名や顔を明かしては、世間に晒(さら)しものにします。
まったくもって、やりたい放題で、誰も止められません。
また、「報道の自由だ、国民は真実を知る権利があるんだ」の名の下では、いちいち、肖像権を犯されたとか、名誉毀損だ、なんて騒ぐ人もそうそうは出てきません。
それは何故でしょうか。
それは事実を言っているからだよ。
って、いうことになっているらしい。
ここから、ひとつヒントを得られます。
そう、我らも、ホームページという自分だけのマスメディアを持てば、いじめられた事実を名前や顔を明かして載せることが出来るんだということが分かるのです。
当然、責任も伴ってですが、殺されるぐらいなら、どうってことありませんよね。
また、個人のホームページなんてものは、そんなに力が無いように思いがちですが、皆さんの街中をよーく観察して頂ければ、それは違うという、またしてもヒントが得られます。
余程注意をしないと気付きませんが、どんな町にも大きな新聞社に隠れて、幾つかの小さな新聞社が存在するものなのです。
そして、どんなに小さくたって自由に振舞っているのです。
さて、それは何故でしょうか。
それはネ、先程も申しましたように、事実を書くからです。そして、それを他人が見ているからです。
マスメディアは事実を載せる限りは、名前だって写真だって平気で載せられます。
そして、それを他人が見る。
この世の中には、ご存知のとおり、イジメなんかが蔓延しています。
学校しかり、企業しかり、役所しかりです。いじめが無いところなんてありません。
だから、事実をありのまま書かれたら、学校、企業、役所はみんな困り顔です。
一方、地域のマスメディアを見ている人々は、裏ではイジメを行うくせして、表ではイジメはいけないと平気で非難する、謂わば普通の人々です。
そんな建前をかざす普通の人々が読者側に居るんだから、学校、企業、役所は、マスメディアが怖くて仕方がありません。
事実を暴(あば)かれないように、思わず新聞を購入しちゃって、強いものには巻かれたりするのです。権力には逆らわず、です。
そんなこんなで、地域の小さなマスメディアはおまんまが食べられるんですね。
世の中すべてそうですが、他人が見てるってことは、要するに数です、数。数の力が世界を支配してるのです。
政治の世界もそう、数は力です。数さえあれば、言いたいことが言え、やりたいことが出来るのです。役所や大企業も怖くない、国家だって怖くない。数さえあれば、誰の悪口だって書けるのです。いや、悪口じゃない、事実です、事実。
数は力。
当然ながら、この原則は学校でもバンバン適用されます。
実際、「数は力」の原則を生かして、大勢が弱いひとりをイジメたりして、自殺に追い込んだりしています。
おまけに、学校とは、ほとんど法律が適用されない無法地帯。小突いたりすることが犯罪にはならず、イジメという愛称で可愛く呼ばれたりするのです。
自殺に追い込んで殺した場合も、イジメと言われるんですから。
だから、法律の歯止めが無く、数を頼りにするしか能の無い、甘やかされたいじめっこ達は、相手が自殺するまでイジメ抜いたりするのですネ。
あっ、そうそう、なぜ我ら個人がホームページを持つかでしたね。
簡単に言ってしまえば、新聞などのマスメディアが、数を頼りにやりたい放題しているんだから、我らも自分だけのマスメディアを持てば、やりたい放題できるんじゃないだろうか、ということなんですよ。
自分のホームページを持つ。
↓
自分の好きなことを表現する。
↓
読者が増える。
↓
自信も付く。
↓
実社会でも、やりたいことが出来る、っていうことなんです。
おまけに、数を頼っていじめられたら、映像や音声を己のマスメディアであるホームページに載せれば、殺人者に対抗できるのですから、これって一石多鳥ですよね。
でも出発は、くれぐれも、「いじめ対策のためにホームページを持つ」であってはなりません。
だって、我々は、好きなことをしかたいがためにホームページを持つのであって、いじめ対策とは言え、好きでもないホームページを作ることは、やはり苦痛で不幸なことです。
順番は、ホームページを作ることが好きであるというのが、まず一番です。
そして、その中で好きなように振舞う、っていうころが出発点でなければなりません。
間違っても逆からアプローチしてはいけませんよ。
さてさて、ホームページの効用は他にもまだまだございます。
いじめられるというピンチを、「自分が一体何をやっているのだろうか」ということを知って貰うチャンスに変えることも出来ます。
そう、「自分は人を殺しかねないことをやっているんだろうか」ということを知って貰うチャンスにです。
要するに、相手に激烈な一撃を与えて、改心をするチャンスを与えるっていうことですね。
って、ちょっと言い過ぎか、でも、ピンチをチャンスにするのです。
また、いじめっ子という敵の映像や音声、または、敵との遣り取りの一部始終を自分のマスメディアに載せることによって、コンテンツにも利用できます。
って、これもちょっと言い過ぎか、でも、要するに、自分のホームページの飾りのひとつにしてしまうということです。
そう、敵を見方にする作戦です。
将棋で言ってしまえば、取った敵の駒を打ち込んで、自陣の守りとしてや敵への攻撃へと使うという訳ですね。
このように、いじめっ子という殺人者を相手にする場合は、殺されないために、少々頭を使わなければ。
1.ホームページを持つ。〔マイメディア(自分だけのメディア)を持つ。〕
2.ピンチをチャンスに変える。
3.敵を見方にする。
などなどで。
大人になると、さすがに群れを成していじめて来るなんて輩は、余り見掛けませんね。
数に頼らなくてもいじめる力があるからでしょうね、きっと。
また、社会人の場合のイジメは、学校なんかと違って、何の遠慮も無くどんどん法的措置に訴えられますもんね。
そう、何の遠慮も無くネ。
学校みたいに、遠慮なんかしていたら、甘えた連中のイジメなんかがはびこる羽目になってしまって、もう大変ですから。
数に頼らず、自分自身にも力が無い、という状況でも、昨今のネット上なんかは、匿名ということで、人間の汚い部分をもろに出して、いじめて来る輩が現れたりします。
・・・
ネット上のイジメ!?
どっかで聞いたことがあるような、無いような・・・
・・・
あっ、そうか、聞いたんじゃないんだ。
現に、今、ネット上でイジメに遭ってたんだ。
そうだ、いじめという犯罪に対処しなきゃ。
>「実は私も7千円台で株を買い 100億が200億になったのです。」これを読んだ人はきっと価値さんの書いた文章を読んだ人と同じ気持ちになるのだろうなー・・・
って、あなたに200億円儲けたと言われても、我は何も感じません。
何も嫉妬しないし、何も羨ましくない。そして、何も迷わされないし、何の動揺も無い。
また、あなたに関心が無いし、興味も湧いてきません。
「あなたは幸せなんだろう」と、ただそう思うだけで、あなたへ介入しようとか、あなたと拘(かかわ)ろうなんてことは、これっぽっちも思いません。
なのに何故あなたは、こんなにも当方へ干渉し、嫉妬し、腹を立てて来るのでしょうか。
「まあ書くのは自由か・・・」と言いながら、全然自由にさせてくれないのは如何なる了見なのでしょうか。
ホント不思議です。
話は変わりますが、今、ぜひとも挑戦してみたいことに、飲酒運転といじめの撲滅ってのがあります。
昨今の飲酒運転での殺人や、いじめでの殺人は、単純に許せないというのが動機です。
でも、ホームページ上に撲滅大キャンペーンを張ったところで、飲酒運転やいじめが無くなるわきゃ無いとも思うし、効果の面からも、飲酒運転やイジメをやる人がホームページなんか見るわきゃ無いと思ったりもするのです。
そんな人は、ホームページを見るような暇があったら、酒を飲んでるだろうし、イジメているんだろうと思えるからです。
でも、そんな人も普通に、ここのホームページを見ているということが、今分かりました。現に、あなたは見ています。
我々の過去2回の会話をご覧ください。
普通の人と普通の人が、普通に仲良くしているな、と見えたりしませんか。
でも真実は、いじめる側といじめられる側です。
人間は自由に生きられると言う普通の人が、自由に生きている普通の人の人生に介入して自由にさせてはいません。
イジメとは、普通の人々が普通の人々を、不自由にし抹殺する犯罪なのです。
いじめられる普通の人は、人間は自由に生きられる、だから私は自由に生きるんだ、他人も自由に生きられるし、だから私はそれを尊重し、決して介入なんかしないんだ、と考えます。
一方、いじめる側の普通の人は、人間は自由に生きられる、だけど、私は他人の人生に介入するんだ、人間は自由に生きられるけど、私は他人に質問攻めをするんだ、と考えます。
この光景を見た教師は、普通に仲良くしているとしか思えず、イジメを見過ごしてしまうという訳。
真実は、いじめられっ子は、「人間は自由に生きられるんだ」と言ういじめっ子から、人生に介入され、束縛され、質問攻めにされて苦しんでいるのです。
ひとつの質問に答えても無駄なこと。
決して自分のことを語らない、他人が気になって仕方が無い、他人が羨ましくて仕方が無い、他人に嫉妬してして仕方がないという普通の人間であるいじめっ子から、質問ミサイルを打ち込まれ、こちらが命を絶つまでは止めてくれないんじゃないかと思わされる程の勢いなんです。
さて、あなたは、誰が何を書くのも自由だっていうことを知ってますよね。
なのに、こちらが自由に書くことに介入して来ます。
先程、自由だって言ってたのにネ、可笑しいですね、あっそうか、口先だけで、誰かの受け売りだったのか。
自由だと言いながら、ぜんぜん自由にはさせてはくれない。
何の遠慮も無く、テポドン!?いや、質問ミサイルをどんどんと打ち込んで来る。
自由ってことは、まったく介入しないってことです。放ったらかしってことです。お分かりですか?
第三者からは、我らは仲良しに映るかも知れませんが、こちとらストレスが溜まって、いらいらし、憂鬱、恐怖心、猜疑心、でいっぱいいっぱい、まったくもって堪ったもんじゃありません。
これをいつ止めてくれるのでしょうか。
こちらが自殺をするまでは、終わらないのでしょうか。
何度も、何度も、人間は自由に何でも書いていいんだって言っているのに、あなたは、回答せよ、回答せよと攻め続けます。
世の中にいじめが無くならない訳ですか。
再びですが、そうですか、あなたは200億円稼いだんですか。
でも、それを聞いても何とも感じませんね。
なぜかって、それはね、それは飽く迄、それがあなたの人生だからです。
人の人生を羨んだり、人の人生に嫉妬したり、人の人生に打ちのめされたり、人の人生に嫌悪しても仕方がありません。まったくもって時間の無駄です。
>まあ書くのは自由か・・・。
って、あなた、今まで、書くのは自由であることを承知の上で、質問ミサイルをテポドンのように撃ちまくってたんですね。
人が悪いなー。
丁寧に返事をして損をしました。
でもって、あなたは一体何が目的ですか。
ストレートに嫌がらせですか。
嫌がらせなら、十分に効果はありましたよ。
いやがらせの才に長けてるって言ってもいいくらいです。
書くのは自由だってことを知ってながら、こんな嫌がらせをするんですから。
この世の中は、どのように生きたってまったくの自由っていうことを知ってながら、いじめというものが存在するのですから、まあこれも有りですか。
でも、答えを知ってるなら、もういいですね。
こんなちっぽけなホームページなんかは、放っておけばいいのです。
閑古鳥を鳴かせとけばいいのです。勝手に自由にさせとけばいいのです。
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