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いけない批判の垂れ流し!なぜ人を批判してはいけない?

いけない批判の垂れ流し!なぜ人を批判してはいけない?他人の価値軸を無断で拝借し、仮の自分軸に仕立て上げれば、次には正反対の論陣を張ることによって、さながら己固有の意見を持てたような、そんな気分にも浸れてしまうのです。

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いけない批判の垂れ流し!なぜ人を批判してはいけない?


人を批判してはいけない


Q


この掲示板において、このHPに関しての賛否両論はダメなんですね^^;

賛同文は良し、否定文は悪し。
過去の書き込みを見ていて、そう思ってしまいました。

(・ω・)2003/09/30(火) 05:16:10)




A


┏━━┓
┃質門┃:なぜ人を批判してはいけないのですか?
┗━━┛
┏━┓
┃答┃:人を批判することは、人の生き方に依存する愚行だからです。
┗━┛




以下のQ&A形式の遣り取りを通じて、みなさんが陥り易い思考の罠(トラップ)を知って貰い、今後の備(そな)えとして頂きたい。

穏(おだ)やかなQuestionに対して、熱筆(ねっぴつ)のふるわれたAnswerに、ついつい目を奪われそうになりますが、これは本音を熱意を込めて書くという『価値辞典』得意の手法ですので、「何が大切か」ということを、見失わないように十分に気を付けてお読みくださいね。




勢い込んで熱く語り、世間の耳目(じもく)を集める本当の狙いは、普遍的法則である「他人を決して批判してはいけない」ということを、しっかりと伝えたいがため、そして、それをマスターして頂き、身に携帯して貰わんがためなのです。

失礼な言い回しだと感じられる部分もありましょうが、敢えてそういう表現方法をチョイスして、最大の効果を追い求めてのことですので、そこんとこ、どうかご理解頂きまして、ご容赦下さいませ。




以前、ホームページ宛に次のようなご意見を頂いております。




--質問-------------------------------------------------

この掲示板において、このHPに関しての賛否両論はダメなんですね^^;

賛同文は良し、否定文は悪し。
過去の書き込みを見ていて、そう思ってしまいました。

(・ω・)2003/09/30(火) 05:16:10

-----------------------------------------------質問終--




これは、『価値辞典』のホームページに設置してある掲示板に、『価値辞典』への批判を誰かが書き込むと、すぐさま誰かが批判に対する批判をするという状況を受けてのご意見です。

賛同や賞賛の文章は大変結構なものでありまして、読者の方も、さすがに褒め言葉に対する批判は、し辛(づら)いものと見えます。




ですが、批判文となると話は違ってきまして、批判は読者の批判を呼び込み、当然、批判された当人の応戦も呼んで、そこは、「もう誰も黙っちゃいられない」的な、プチ修羅場さながら。

その理由は至極簡明。褒められるのは、される方も、する方も、見る方も気持ちが良いもので、逆に、批判は、される方も、する方も、見るのでさえも気持ちの良いものじゃないからです。




ですから、不意の批判に戸惑って、立ち直るのに少々時間を要する場合なんかもあるのですが、批判に対してはきっちりと応戦させて頂くのです。

という訳で、ウサギのようにちっぽけで可愛らしい批判に対しても、当方は、大人気ないライオンのように、全力を出し切り、次のような目一杯の応酬を繰り広げます。




次から次へと飛び出す、気まぐれなウサギの批判に、ヘナヘナになりながらも、ひとつひとつ丁寧に応(こた)えるライオンの姿を見て、ある意味、ウサギの方が暴力的であるという見方もちらほらですが。

そう、ライオンにとっては、暇潰しにされた戯れの批判も、かなりのダメージであって、ウサギには分からない、ライオンだけの悩み事。




--答---------------------------------------------------


普段陥りやすい思考の罠として、ついつい他人を批判してしまうというのがあります。

その一方には、最もして頂きたい大事な思考として、他人を決して批判しないという「鉄の法則」が存在致します。

他人の悪口や批判には、癖になる程の甘い蜜の香りがするもの。

そう、他人の意見の上にあぐらをかいて、批判のみをすること。これ程、容易(たやす)くて癖になるのは無いのです。




人間の生き様の体現である発言の上に乗っかって、批判を展開すること。これは本当に簡単なことなのですが、大変無責任な所業でもあるのです。

注目です!!自分の人生において、最初に成し遂げなければならないことは、まずは、自らの生き方を見付け出すということ。そういうことではないでしょうか。




他人というのは、ほとんどの場合、こちらの意に反して生きているものです。

そうであるならば、いや、これは絶対そうなのですが、他人が自分と違っているからといって、その相違点ばかりに異議を唱えんとすれば、それは即ち、自分以外のすべての人間に異議をたれ流す愚行となり得、また、その姿勢を取り続けることは、己の貴重な時間をどぶに捨てるような行為、と言い得てしまうのです。




人から発される言葉や文章は、その人の生き様の一断片。我々がそれらを五感で捉えるということは、その人の生き方を感じるということ。

ですから、みなさんが、当方の文章を読むということは、当方の生き様に触れているようなものなのです。

他人の生き方に乗っかれば、その生き様を追体験できてしまう。また、その価値軸を無断で拝借し、仮の自分軸に仕立て上げれば、次には、正反対の論陣を張ることによって、さながら己固有の意見を持てたような、そんな気分にも浸れてしまうのです。

まるで悪魔のお菓子のような!




だいたい、他人を批判する人は、自分の生き方を築けていないのですから、批判する時間が有り余っている訳で、それとは対照的に、批判される側は生き方を見付け、只今実行中という、大変時間が無い状態と来てるのです。

乾き切った人間関係とは、皮肉なものです。

彼らは、自分の生き方の軸が無いことを、これ幸いに、あらゆる他人軸に介入して来て、柔軟に対応し歩調を合わせ、そして、その軸自体にアタックを掛けて来ます。

時には、「ひとつの価値に決め付けるのは、如何なものだろうか!」などと、とぼけても来ます。




自分の生き方を築くとは、最低限、ひとつは自分に合った価値を見付け出さなければなりません。

大変な努力をして、やっと見付け出したそんな価値軸に対して、「それはどうだろうか、自分の価値なんて、ひとつには決められないんじゃないかな」などと、やられてしまっては、批判される方は堪ったもんじゃありません。

自分の生き方も無いのに、平気で他人を批判するのです。
他人の生き方に寄生して、ドボドボと批判を垂れ流すのです。

ずるいやり方です。




批判する方の時間は、その人自身の時間なのだから、勝手に無駄使いしてくださって結構というものなのですが、批判に晒(さら)される方は、いい迷惑です。

そんなことを続けていたら、時間泥棒とか夢泥棒と誹(そし)られても知らないぞ!




さてさて、これだけは押さえておきたいのもです。
本当に自分の為すべきは、自分の生き方を確立することである。

他人の生き方に依存して、生きているような積りになることではない。
他人が苦労をして築いた生き方を、批判することではない。

出るままにまかせ、批判を垂れ流すことではない、と。




もし自分が、他人の批判をしているなと気付いてしまったら、ぜひ自分を疑ってみることです。

自分の生き方を、確立できていないから、批判しているんじゃなかろうかと?

ここんところを、押さえることさえ出来れば、他人を批判する時間など無いことが分かるのです。




我々は、精神的には、この世への登場と同時に、親へと、少し成長して学校へと、りっぱな大人となって会社へと、子供が出来たのなら子供へと、それこそ次から次へと、依存先を巧(たくみ)に変えながら、何としてでも一人ぼっちにならないように何かに寄生して、いや、しがみついて、いや、寄り添って生きて来ました。




光の方向に進路を取る線虫のように、お金の臭いを嗅ぎ付けて進む「金銭動物」は、物理的には、お金に依存して来ました。

また、「宗教」と呼ばれるものや・・・いや、別に依存することは自由ですが、思考的には、他人の考え方に依存して来たのです。

・精神的依存 → 親・学校・会社・子供
・物理的依存 → お金
・思考的依存 → 他人の考え方




日本はやはり、資源(思想)の無い国か、原料(他人の考え方)を仕入れ(拝借し)加工(逆さに)して、製品(批判)を輸出(口にする)するしかない加工貿易立国(他人の思考に依存する動物)だったのです。

この国では、資源(考え方)を持たないのが当たり前、稀少ながら、自分の考え方を持ち主張する者は、忽ちの内に攻撃の対象となって来ました。

でも、そんな気の毒な人も、資源のたくさんある外国へ行けば、自分の価値観を確立し、自分の意見を主張することこそ、普通なのだと悟るのです。

「私は少しもおかしくないんだ、普通の人間だったんだ」と、分かるのです。




物理的空間を日本から外国へ移動させること、即ち、外国へ行くことですが、そうすることで、己の喫緊(きっきん)の課題は、価値軸を確立させることに有ると分かります。

でも、外国へ行くなんてこと、そうそう出来るもんじゃありません。忙しい現代人は、そんな名案は無き者とし、自分の課題を掘り下げること自体を先送り、現実逃避を決め込みます。

じゃー、もっと名案をひとつ。資源の無い日本に居ながら、外国で得られるような刺激を得る方法。それは結局、『価値辞典』が提供するような、熱意とインパクトのこもった文章を、目にすることではないでしょうか。




もちろん、「この鼻につく自信はどこから来るんだ、失礼極まりない、何様の積りだ」と吐き捨て、気分を悪くされるのも自由ですが、ここは冷静にお考え頂きたい。

『価値辞典』に出会ったということは、ある種、チャンスであり、ラッキーなことではないかと。

ここまで言っても、なお、今まで通り生きて行きたいと言うのであれば、今まで通り、脳への刺激が少ないものを、熱意や意気込みが少しも感じられないものを、摂取し続けることです。

積極的にそうしようと思わなくたって、別に放っておいたって、偽りや建前しか手に入らない世の中ですから、簡単なことですが。




と書きましたが、これではまるで脅しですかね。

「鉄の法則」という利益を得たいのなら、過激な表現も受け入れろ、とも受け取れます。

うーん、どこかで聞いたような台詞(せりふ)。

あっ、そうか、ほら、丁度あそこでも、上司が部下に言ってます。
「お金が欲しいなら、嫌いな仕事も黙って我慢してやれ。」




ですから、これは、無理なく読めるならの話なのです。
「利益が欲しければ、無理なく読め」って感じでね。

んっ、流用すれば、「お金が欲しけりゃ、無理なく働け」ってことも言えてしまうのか。うん、なんか言葉に重みと深みが出て来たな。

これはいいですね。気に入りました。今ここに、格好のいい格言が出来上がりました。ちょっとこれを押すことにしましょう。

「お金が欲しけりゃ、無理なく働け」

・・・

これは、「無理なく働き、お金を得よう」ということを言ってるのですよ。

-------------------------------------------------答終--

























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