A
人は、それぞれの考え方を基にして生きているのですから、他人の考え方が自分のとは違っていても、それはむしろ当たり前のことです。
他人が自分と違った意見を語ったところで、そのことで、気分を害するなんてことは有り得ません。
当方の答えは、遠慮なくここに載せますが、逆にお怒りになりませんように。
応援頂いている事に対しましては、心から感謝申し上げる次第ですが、質問に対しましては、本音で答えさせて頂きますし、また、それが礼儀だろうと承知しているものですから。
基本的には、それぞれがそれぞれの好きなことをすれば良い、というのが大原則でして、当方がここで何をほざこうが、好きなことならば、それぞれがそれぞれに遣りたいことをすれば良いだけなのです。
さて、逆にお尋ね致しましょう。
あなたは、何のために競争をなさっているのですか?
お返事を待つ時間を省いて答えてしまえば、「幸せになるために競争しているのだ」と、たぶん突き詰めればそうなるのでしょう。
「そう、そのとおりです。」
「幸せのために」です。
我々は、幸せになるために競争しているのであって、競争に勝つために競争しているのではないのです。
後日の競争に勝つために、今日という日を練習に励んで捨てるというところには、自分は明日も確実に生きているのだという不見当が存在し、そしてそのことは、とても傲慢で愚かなことであって、とても贅沢な時間の使い方だと言うしかありません。
明日のために、今日1日を捨ててしまうのですから、贅沢と言えば贅沢なのです。
死の宣告をされた明日無き人にとっては、考えられないことなのです。
我々は決して、後日の競争のために、今を捨てて生きる訳ではありません。
今を捨てるなんて、とんでもない。
我々は、飽く迄も、今現在を何よりも最優先で生きているのです。
人間は明日、死ぬかもしれません。当然です。
だから、今を幸せに生きようとしているのです。
そんな切羽詰った状況に、嫌いなことをする時間なんて、一瞬たりとも有り得ません。
人間は明日、病気や怪我をするかもしれません。当然です。
競争することに価値を見出していては、いざ病気や怪我をした場合、精神的に耐え切れません。
競争で勝つことに価値を見出していた人間は、病気や怪我をした場合、恐らく精神的に壊れてしまうことでしょう。
そうならないためには、早急に競争以外の価値を探し出さなければなりません。
病気や怪我をすることが、許されないような生き方をしていては、それこそ怪我の元なのです。
人間はいつ、頭脳や身体、または精神に、障害を受けるかも分かりません。当然です。
また仮に、障害を受け競争できなくなったからといって、幸せを追求出来ない訳でもありません。
人間は、年老いても、幸せを追い求められます。当然です。
65歳や70歳で、人生を捨てる訳にはいきません。
体は、若い時のように競争向きではありませんが、若い頃と同じように幸せを追い求められることは出来るのです。
人間として未熟な学生は、立派な社会人になるために、今を犠牲にしても良いのでしょうか。
今を捨てて、面白くも無い勉強をしていても良いのでしょうか。
いや、学生だからといって、そんな余裕は無い筈です。
学生もまた、いつ死ぬか分かりません。当然です。
学生も、今を幸せに生きている筈なのです。
>「人間は競争することによって、よりすばらしい技術・思考などが生まれ成長していくのです。」
>「競争するからには、やはりナンバーワンを目指すことは大事だと思います。」
と、あなたは、そうおっしゃいますが、果たしてそうでしょうか。
さももっともらしく語られるこの価値も、本を正せば、誰かから与えられたものに過ぎません。
考えても見て下さい。
すばらしい技術や思考が、実際に幸せをもたらしているのでしょうか。
技術や思考が遥かに劣っていた遥か古にも、幸せはあった筈です。
技術や思考が遥かに劣っている開発途上国にも、幸せは厳然としてあります。
そして、100年間時が止まったかのような、技術や思考の進歩さえも止まったかのような離れ小島にも、幸せはあるのです。
赤ちゃんをご覧下さい。
技術や思考に関係無く、赤ちゃんは、幸せそうです。
技術や思考に無関係に、好きなことだけを遣っています。
『確実に不幸になる法則』である、競争の価値観や嫌いなことを我慢して行うことを、誰かが教えない限り、赤ちゃんは、好きなことをし続ける人間として成長する筈なのです。
頼みもしないのに、余計なことをするものです。
原始狩猟期にも、獲物争奪に於いて、競争のようなものはあったかと思いますが、その競争で一番になるなんて必要は無かったのです。
人間は、食物を獲得出来さえすれば幸せなのだから、競争する必要なんて端(はな)から無いのです。
人間を殺して獲物を奪う。
この競争に意味が有りましょうや?
幸せであれば良いのです。
獲物が獲得出来れば良いのです。
人に勝って、獲物を獲得する意味などは無いのです。
一匹の獲物を競い合って負けたとしても、その時は、別の獲物を探せば良いでは無いですか。
当方を傷付けてまでも獲物を獲得して行った人間に、幸せが訪れるかどうかは知りませんが、当方は、別の獲物を獲得できさえすれば幸せなのです。
競争することに、何の意味が有りましょう。
獲物(幸せ)獲得に於いて、人と競い合う必要があるのでしょうか。
獲物(幸せ)獲得競争に於いて、1番とは何でしょう。
然(しか)るに、我々は、学校や会社に於いて、競争で一番になることを教え込まれて来ています。
「一番は良い」と。
「一番こそ生きる目的だ」と。
「一番には価値が有るのだ」と。
「一番は優(すぐ)れているのだ」と。
親や、教師や、上司や、同僚や、社会等から。
しかるに実際、学校で一番になったとして、何がどうなったのでしょうか。
自分に負けて行ったクラスの連中は今、不幸せなのでしょうか。
一番の大学へ行けなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
ここでの“一番”に、何の意味があるのでしょうか。
青春を捨て、血反吐(ちへど)を吐いて勉強して、そうまでして一番になった翌日に仮に、死ぬようなことにでもなったとしたら・・・
一番と幸せと、何の関係があるのでしょうか。
会社でも同じこと、一番になったところで、幸せと何の関係がありましょう。
一番の会社へ行けなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
出世で一番にならなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
恋人を捨て、妻を捨て、子供を捨てて、家庭を捨て、そして一番になった翌日に過労死でもしたとしたら、それの何処に幸せがあるのでしょうか。
それとも、翌日、死にさえしなければ幸せだ、とおっしゃるのでしょうか。
死ななければ幸せだと、おっしゃっていることになりますが、それで宜しいのでしょうか。
そうでなければ、人は一体いつ死ねば幸せであって、いつ死ねば不幸なのでしょうか、お教え頂きたいものです。
まるで、人は人より長く生きることが出来れば幸せであると、そう言ってるかのように見えますが、それで宜しいのでしょうか。
出世レース後は、長生きレースをするという訳ですか。
同級生の中で、一番最後に死ぬことを競争するのですか。
長生きレースで、一番を取ることを目指すのですか。
レースの競争相手は一体、誰になるのでしょうか。
同級生なのでしょうか。
何歳までの年下までが、競争相手となるのでしょうか。
長生きレースで一番になれなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
長生きレースに破れた、あなたの周りの若くして死んでいった友達は、不幸だった訳ですね。
それとも、我々は早く死ぬ競争をしているのでしょうか。
早死にレースで一番になれなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
それとも、派手な死に様の競争をしているのでしょうか。
派手な死に様レースで一番になれなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
いや、我々は、決して死ぬ時期や死に様を競争している訳ではありませんね。
では、派手な『生き様』の競争をしているのでしょうか。
派手な生き様レースで一番になれなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
それとも、『幸せ』な、生き様の競争をしているのでしょうか。
幸せな生き様レースで一番になれなかった連中は今、不幸せなのでしょうか。
どうやら、死に方と同じように、生き方も競争するものではないようですね。
生き様を他人と比較すれば、これ、すなわち『競争』となります。
生き様に順列を付すれば、これ、すなわち『競争』となります。
「生き方に順列を付けて、何とする。」
「それで、幸せや不幸せが決まるとでも言うのか。」
ご覧頂いたとおり、誰かが、学校や会社で一番になることが価値有るのだと、そう教え込まない限りは、競争にはまったく価値は無かった訳です。
友達でなくても、身近で亡くなった人を、誰でもいいから思い出してみて下さい。
彼や彼女の人生に於いて、競争に勝つことは意味があったでしょうか。
今は、死んでいるのです。
一度しかない人生を、終らせているのです。
彼や彼女の人生にとって、競争なんてものは、どうでも良かったんじゃないでしょうか。
そう思いませんか。
むしろ、競争なんかに、左右されない人生を歩んだかどうか。
好きなことを遣って来たかかどうか。
そして、幸せであったかどうか。
そういうことに、気が行きます。
正直なところ、本当に価値有るものは、そんなものじゃないでしょうかね。
自分は、嫌いなことを遣って、生きて来たんじゃないだろうか。
こんなことに、気付いてしまったらもう大変です。
自分は、今現在以降、確実に死ぬのです。
それならば、今の瞬間以降は、好きなことを遣るしかないのです。
好きなことが、競争であったとしても、それはそれで良いのです。
それとは逆に、好きなことが競争でなくったって、それはそれで一向に良いのです。
競争の何処に幸せがあるのだ、と思えればそう口にしたって良い訳だし、競争こそ自分の幸せだ、と言っても一向に構わないのです。
競争に拘(こだわ)らず、今現在、好きなことをするまでです。
|