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価値観はそれぞれ!皆土に還る運命なら人生楽しんだ者勝ち!
価値観はそれぞれ!
人生楽しんだ者勝ち!
とっかかり
差出人:酒バラ
送信日時:2005/01/30(日) 16:53:27
はじめまして、 初めて投稿いたします。
ここで議論されている内容は、確かに興味深いものですね、価値観と言うものは、人それぞれ異なる事は確かです。
では、果たして価値を見出したその先には、何があると思いますか?
それは「幸福」ですか?それとも「成功」なのでしょうか?
私は十代の頃かもっと以前から、価値や意味といった類のモノの答えを考えてきました、多くの人と接し寝食を共にし、多くの本をよみました、啓発的なものから、経済、時には聖書などにも手を出した記憶があります。
確かに人生観も環境も人と変わっていたかもしれません。
さんざんあれこれその節目節目に答えを出してきたつもりでいましたが、その本質には出会えませんでした。むしろそれ自体に何の意味があるのか?と最近は考えるようになったのです。
所詮皆土に還る運命なら、人生楽しんだ者勝ちです。そう思いませんか?
成功も老後の蓄えも、地位とか権力も確かに手に入れたいものですが、死ぬ瞬間にはどれも、必要ないものばかりだと思いませんか?
私にとってその瞬間に大切なものは、人生がどれだけ充実していたか?ただそれだけです。
いやもっと言えばそれがどうしても必要です。
皆さんは、どう思いますか?
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意見
投稿者:22歳
投稿日:2005/10/23(Sun) 08:54
題名:無題
「楽しい」人生を送ることと「充実した」人生を送ることは少し違うような気がします。
確かに死ぬときに「人生楽しめたなー」と思えればそれ以上のことはないと思いますが、自分は何かに貢献できた、あるいは何かを残せた、何かを変えることができた、必ずしも楽しくはないけれどただ楽しく暮らしているよりもそういうことに人生の意味を見出す人もいます。
生きている限り死は必ずやってくるものですから僕が思うのはやはり死ぬときに何を思って死にたいかだと思いますね。
あとひとつ付け加えたいことが、日本の場合人が死んでも土には還らないということです。
誰もが知るように、日本の場合火葬して灰にした後、コンクリートの墓に安置されます。ここから先は本当に話が変わるので別の掲示板をたてたいと思います。
意見
投稿者:そうだ
投稿日:2005/06/18(Sat) 14:48
題名:無題
人生がどれだけ充実していたかだって、土に還ればみな同じだ。
価値なんか求めないで自分が何をしたいか、でいいのでは?
生きたいか死にたいか?→生きたい。
じゃあ生きよう。
何かしたいことがあるか?○○がしたい。
じゃあそれをしよう。てな具合だ。
ところで、「何かしたい」と思うのは何者なんだろう。
それが「土に還る自分」じゃあ矛盾していると思わないか?
土に還らない自分が居ると思った方が余裕をもって人生がおくれるぞ。
意見
差出人:へぇー
送信日時:2005/02/01(火) 21:54:55
>価値観を見出した先
そんなに真剣に考えてよい事ってあるでしょうかねぇ。
所詮"自分の価値観云々…"なんて物は自分の感情の正当化ですし,追求しすぎても自分の選択の方向性を誰にでも分かるようにまとめただけにしかならないのでは?
当然、自分の感情を客観視する事で、自分の成したい事をより効率よく確実に実行するのには役に立つので、大切な事ではありますが。
計画だけ立てて実際に行動する機会を失う事も…。
そんな事よりも、実際に行動を起こす(選択をする)事を進めた方がいいと私は考えますね。
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意見
差出人:フーン
送信日時:2005/01/31(月) 11:30:33
まあ、そのとおりだと私も思うが、補足的に言うと、ある人が言っていた。
「内省的な人は、自分が思ったり感じたりすること自体にも疑問を持つ。
自分がそう思うのは何故か?自分がそう感じるのは何故か?そういうふうに、自らの価値観の由来を問うてはじめて客観的・相対的に物事を見られ、多様な価値観の存在も許せるのだ」と。
最後の「多様な価値観の存在も許せる」という結論はともかく、方法論的には、なるほどと思った。
ところが、昨今の傾向としては、価値観の多様化を自己中の言い訳にしているみたいだ。
「自分的にはよ、〜なわけ」と他者には関心がないので自分がどう考えようと干渉してくれるな言う。
こういうところでは、「うんうん、わかるー」と言ってくれる気の合う同士のグループは作れても、そうでない者との対話など出来るはずもない。
こういう者達が集まって幾ら延々と対話をしても、それぞれ自分の考えを勝手にしゃべるだけで、いつまで経っても結論は得られない。
自民党と共産党の国会論戦と同じく、時間の無駄だ。
もっとも、死活に直結する重要な問題でなければ、それもまた楽しいものだ。
特に、このHPの存在意義もそこらにあるのだろう。
そもそも、その人の考え方とか感じ方とかは、育った時代や環境の制約を受けるもの。
ある価値観を持ったとしても、そこで満足するか、満足せず、その限界を超えて普遍的な認識に至ることを目指すか?
それが価値を見出した後のその人の身の処し方というものだろう。
ま、酒バラさんでないが、酒とバラの日々、酒鬼薔薇、血と薔薇、空から赤い薔薇・・・人生いろいろだな
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