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真面目に働くこと!そこにはきっと何か良いことが! - 価値辞典 |
真面目に働く
とっかかり
真面目に働けば、きっと何か良いことがある。
誰もが何故か、漠然とそう思っています。
「本当にそうでしょうか」
単純にそう思います。
遥か昔の勧善懲悪の時代のずっと以前から、ずるい人は裁かれ、それとは逆に、十分な対価無しに真面目に働いて来た日陰の存在には、日が当てられるものと決まっているのです。
少なくとも、表面的にはそう見えるのです。
コツコツと歩んだ亀は、油断をしたずるいウサギに勝ち、暑い真夏も休まずに働いたアリは、怠け者のキリギリスに勝つ。
これらは、洋の東西を問わず、真面目な者が、最終的には勝者になれることを、教訓としています。
これらを一見すれば、真面目に働けば何か良いことがありそうな、そういう感じを多分にさせています。
国の統治上、民衆に真面目にせっせと働いてもらわなければ困るから、だから「洗脳する」、とは表現が少々穏やかではありませんが、そのようにする必要が少なからず有ったのでは、と疑いたくなるのですが、まあ、昔話はどうでもよいことにして置きましょう。
今現在、生きている人間を観察すれば、今現在の答えが得られる筈ですから。
法律違反をしてまで私腹を肥やそうとするずるい人々も、狡猾と言われるほど頭が良いとか、要領が良いなどと評されることが、有るには有るのですが、それらは、すべてバレさえしなければ、彼らも滅私奉公の善良な人に見られ、真面目な働き手で居続けられることを、私達は悲しいかな、そういう裏表の使い分けを、知ってしまっています。
地域のためにせっせとお金を運んで来る、お札に目と鼻と口を書いたような顔にしか見えないような政治家も、おらが地域の発展のために身を投じた真面目な憂国の士であり、本音と建前の使い分けに辟易とし、胡散臭さでプンプンとしてはいても、バレなければ、人々から信頼と名声を得られる、天下国家の語り手で居られます。
会社の命令ではなく、食肉偽装を自らの判断で行ったという嘘っぽい言葉を吐いた人間も、仲間からすれば、我が社を潰そうとする憎き国家権力から、自らを犠牲にしてまでも守った、真面目で勇敢な、救国の士に映ります。
会社の利益を、本当に真面目に追求すれば、生産工場をすべて中国に移さなければならず、そうすれば結果、国内の空洞化、技術の移転、競争力の低下、そして逆転といった現象を招き入れてしまう。
そして、そもそも真面目に働いた理由は、会社及びそこに働く者やその家族の幸せのためだった筈なのに、結局、会社を潰してしまう羽目になる。
言い換えれば、会社を思う真面目な働きが、数々の不幸を引き起こした、となります。
どうやら世間では、ずるい人もバレなければ、そして例え、自分を含め周りを不幸にしたとしても、真面目に見られるようです。
また、地域にお金を持って来るとか、会社を守るなどの、周囲の人間の期待に答えた人間が、真面目と言われているようです。
昔話とは、えらい違いです。
そして、その人の招いた「結果」は、法律を守ったか、道徳や倫理に従ったかなどには縛られることは無く、また、全体を見回した、本当の意味での「深遠なる考慮の結果」に対しても、最終的に本当に地域や会社のためになったのかどうか、などは問われないのです。
問われないと言うか、そんな先のこと、遠すぎて見えないのでしょう。
近視眼的に、損得勘定に縛られるのでしょうか。
要領が悪く、真面目だけが取り柄のような人間は、ずるをしている人に比べて損をしているのでは、との素朴な疑問も、どうも、得をしているのか損をしているのかよく分からないので、答えを見つ出すことが出来ません。
真面目に働く前提には、最低「真面目に働く人は、ずるい人に必ず勝つ」というのがなければ、やってられないのですが、これもまた、勝つのか負けるのかよく分からないので、真面目に働く理由が見えて来ません。
何が何やら、さっぱり分かりません。
そもそも、真面目に働くとはどういうことなのでしょう。
言葉の意味は、誠実で一生懸命に仕事をする、でよいとは思うのですが、それをすれば、人生に一体どのような効用をもたらすと言うのでしょうか。
ずるをしても、ばれてしまえば地獄であり、かと言って、真面目にして居ても、不幸を招いてしまうことから考えると、どのように働いても何も違いが無いことが分かります。
それならば、ずるをして楽をしようと考えるのも無理はありません。
いやいや、良心に恥じないように真面目に働こうとする人も、もちろん居ることでしょう。
もはや、性格や個性、好みの問題となってしまったのでしょうか。
良い悪いの結果が、真面目に働くことや、ずるをすることには、何ら関係が無いのなら、ここはいっその事、最低限好きな仕事だけでも、選択してみることにしては如何でしょう。
何も違いが無いのなら、好きな仕事の方が良いと思います。
嫌いな仕事を真面目にして、一体その先に何が有ると言うのでしょう。
有るのは、涙ほどの退職金と、よくやったという言葉だけのように思うのですが。
意に反する仕事であっても、何十年と続ければ、それはそれで、ひとつのりっぱな仕事であり、人生であり、生き様である、との見方も世間にはありますが、嫌いな仕事の土台の上に、何十年と真面目を積み重ねることが、何故納得できるのでしょう。
不作為の罪と、何も決断せず選択しなかった人生を、後から自己完結させるだけの、自称、地位も責任もある社会人一流のやり口じゃないでしょうか。
それよりは、好きな仕事の土台の上に、真面目を何十年と築く方が、余程マシではないでしょうか。
違っていますか。
「30年間趣味は無し、強いて言えば仕事です」、と答えてきた、真面目な定年退職サラリーマンは、果たして、残りの20年間をどのように生きて行くのでしょう。
30年間、我慢に我慢を重ね、米搗(こめつ)きばったのように、人に「こびへつらい」、頭を下げてきた結果に、ようやく得たものと言えば、仕事は無く、趣味も無い、家族はバラバラ、会社以外で付き合いも無い、従って退職してしまえば友達も居ない、要するに、やることが何も無い20年間という時間です。
やることを与えてくれる人も無く、性も根も会社に注ぎ込んでしまった今となっては、ひたすら我慢するのは、ちょいと長くて厳し過ぎます。
意見
差出人:YOU
送信日時:2005/04/15(金) 21:47:07
意見
差出人:Olive
送信日時:2004/09/20(月) 22:46:25
働き方の初期設定だと思います。
とりあえずこれで行って、自分の考えがあれば随時設定変更を試してみるといいです。 |
意見
差出人:wakaba
送信日時:2004/03/11(木) 23:44:36
まじめか どうかは じぶんが
きめる
おまえは ふまじめだと かみが いって
ばつを あたえたもうても じぶんが
きめる
だから おまえは ふまじめ なんだと
おもわれる だろうが おれが
きめた
意見
差出人:かたぎり
送信日時:2003/08/05(火) 18:16:48
マジメに働くより「楽しく」働いたらよいのでわないかと思われ「労働」の概念を変えるべし
【真面目に働くページ関連】
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