あなたは人間性善説派?それとも人間性悪説派?
日本では、詰め碁のように「愛してるかどうか」は詰問せず、詰め将棋のように「愛してるかどうか」をいちいちと問いただしたりはしない。
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あなたは人間性善説派ですか?それとも人間性悪説派?
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投稿意見一覧 |
銃による自衛が認められているアメリカでは、年間1万人が銃によって死亡しているんだって。
1万人と言えば、日本における交通事故死も1万人。
我らは、車に乗ったとき、「対向車が何の前触れも無く急にこちらに突っ込んでくるかもしれない」とか、「細い路地から子供が不意に飛び出して来るかもしれない」とか、「青信号であっても何が横切ってくるかもしれない」とか、「前を歩いてる子供がまったく後ろを振り返らずに急に前を横切るかもしれない」などという風に、「かもしれない運転」を心掛けます。
じゃー、アメリカではさしずめ、「普通に歩いていたらすれ違いざまに押さえ込まれて銃で脅され撃ち殺されるかもしれない」とか、「学校で勉強していたら不意に暴漢が乱入してきて銃で乱射されるかもしれない」とか、「コンビニで買い物をしていたら強盗が押し込んできて射殺されるかもしれない」とか、「家でくつろいでテレビを見ていてもさえ盗人に殺されるかもしれない」という風に、ありとあらゆる危険を察知したり予測する、「かもしれない生活」か。
でも何の因果か、訳も分からずに殺されてしまうんだから、注意のしようも無いといえば無いか。
じゃー、どうせ殺されるんなら、ということで、だから、銃で自衛するんだね、アメリカは。
そうか、それしか選択肢がないんだね。
「人を見れば盗人と思え」か。
じゃー、アメリカでは「人を見れば殺人鬼だと思え」だよね。
広い世の中だけど、殺人鬼を信用する人は居ないか。
それじゃー、ということで、「お互いに信用ならないんだったら、お互いに疑い合いましょう」っていう風に、「人間は本来悪である」という人間性悪説社会を築きあげてきたんだね、アメリカは。
だから、「そんな悪人と付き合うためにはサ、お互いに条件を突きつけ合ってサ、お互いを縛り合おうよ」、そして、「約束破棄の場合はサ、ケンカでけりをつけようじゃないの」というような、そんな訴訟社会を築きあげてきたんだね。
悪人はいつまで経っても悪人だろうから、「10年付き合ったんだから信用してあげましょう、そして、これからは条件なしで付き合ってあげましょう」なんてことにはならないよね。
以上は、会社同士の付き合いでも同じ。
長年取引してるんだから、お互いに信用し合ってるかと思えばさにあらず、なんだよね。
何年付き合ったって、油断がならない存在なんだ、お互いに。
普通の人間関係ならまだしも、結婚相手の場合も信用がおけないのかな。
今この瞬間は信用し合ってるから結婚するんだろうけど、人間は本来悪なんだから、未来に向かっての信用などはある筈がないってことか。
だから、離婚に至る条件や賠償金額なんかも、婚前にあらかじめ決めておく必要があるのか。
「愛してる」っていう気持ちも例外じゃないんだね。
未来永劫、愛してるかどうかなんて、何の保証も得られないものだから、毎日、口に出して愛してるかどうかを確認する必要があるんだね。
そうか、人間は本来、裏切る存在だから、そうなってるんだね。
今この瞬間においても裏切られるかもしれないのに、遠い未来において、裏切られないなんて訳がない、ってことなんだね。
その点、日本は人間性善説の国。
人間は本来善であるっていう国です。
アメリカでは、会社に10年勤めたって、20年勤めたって、今この瞬間に何ができるかで評価しようとするけれど、日本では、10年勤めたんなら、10年間の信頼が積み上げられ、そして、その実績で今後も雇ってやろうじゃないの、ってことになるんだね。
日本では、今、何ができるかじゃなくて、今まで何年勤めて来たかっていうことが、ものを言うんだね。
恋愛も同じか。
日本では、今、愛してるかどうかは言わなくても、10年間付き合ってきたという実績から気持ちを推測して汲み取ってちょうだいよ、っていう感じなんだね。
日本においては、人間は本来裏切らない存在なんだから、今日この瞬間において、愛してるかどうかを問う必要も無いんだ。
ちなみにサ、日本は労働生産性がアメリカよりも低いって言われるけど、この違いが影響して来たんじゃないかな、ってそう思う。
アメリカのように、「こいつはちゃんと今日も働いてるのか」って疑われてる方が、真剣に働くような気もするし。
日本みたいに、今までの実績の評価から、「取り敢えず雇ってあげましょう」的なことになるんなら、誰もが安心しきってダレまくり、決して全力なんかを出しっこない、ってことだよね。
結果、アメリカにおいては、今この瞬間に全精力を出し切ることを求め、日本においては、今この瞬間と申しますか、遠い未来までのと申しますか、結局は、どの瞬間においてもベストを尽くすことを求めないのです。
恋愛においても、アメリカは、この一瞬を愛し尽くすことを求め、それに対して、日本は、どの瞬間にも愛が存在しない、ことを求めていることになる。
さすがは、合理主義のアメリカ。
恋愛においても、最大で最高の出力を、その瞬間瞬間において求めるんだ。
決して、手抜きは許さないんだね。
合理的効率を求めない日本における、惰性で巡航中の恋愛。
こんなものは、手抜き工事の何者でもなく、不義不忠、裏切りに偽りに無礼、エエイ、一体何て表現したらよいのやら、まったくもって人をバカにしてるとしか思えない。
理不尽や不条理が跋扈(ばっこ=思うままに勢力を振るう)する日本においては、「まあまあ、そんなにいきり立ちなさんなって、角が立つからそこら辺で丸く治めませんか」的な恋愛が跳梁(ちょうりょう=我がもの顔に走り回る)するのです。
やがて、みんなは引き下がり、不満や不安を押し殺す。
日本では、詰め碁のように、「愛してるかどうか」は詰問せず、詰め将棋のように、「愛してるかどうか」をいちいちと問いただしたりはしない。
さて、あなたは人間性善説派、それとも人間性悪説派?一体どっち派ですか?
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