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あなたは人殺し側の人間ですか?それとも人助け側の人間ですか?

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あなたは、人殺し側の人間ですか?

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人間には2種類有る。 

人殺し側の人間と、人助け側の人間と。 

人間は必ず2種類に分かれる。 

人殺し側の人間と、人助け側の人間とに。





いじめたり、傷つけたり、何の配慮も無い言葉を投げ掛けたり、人なんか死んでも知るもんかという具合に飲酒運転をしてみたり、そんなことで死ぬような弱い人間は、いっそのこと死んでしまえと言わんばかりに謗(そし)ってみたり。 

そのように、人を殺そうとして、いやそんなに積極的でなくても、死んでも構わないという位に消極的に行動をする人間が居るのです。 

その対岸には、人間を出来るだけ傷付けまいと、いやそんな消極的でなく、人を救おうと積極的に行動をする人間も居たりします。





2005年9月、北海道滝川市の小学校で6年生の女児が、教室で首をつって自殺しました。 

「いじめ」を訴えていた遺書があったにも拘らず、市の教育委員会は、いじめに関する記述を隠して発表していたことも明らかになりました。





2006年10月、岐阜県瑞浪市の中学校2年生の女子生徒が、自宅で首をつって自殺しました。 

母親へは、学校で“うざい”と言われたり、いじわるをされたと漏らしていたとか。

自殺する前、母親は学校へ、「学校の人間関係で悩んでいる。気を配ってほしい。」と相談していたとか何とか。

校長は記者会見で、「今のところ、はっきりといじめがあったとまでは確認できていない。ただ、生徒が自殺するまで苦しんでいたという心を汲み取れなかったことを申し訳なく思う。」と謝罪したとか何とか。





同じく2006年10月、福岡県筑前町の中学校で、中2の男子生徒がいじめを訴える遺書を残して自殺しました。

両親は学校側へ、1年時の担任教諭がいじめていたのではないかと訴え、それに対し学校側は、10月15日、一旦はそれを認めるような発言をしたものの、翌16日には、「因果関係は無かった。自殺をした生徒の方にも問題があったのでは」との、ずる賢い大人のすり替えの論理を展開しました。





これらはすべて、要するには、上ばかりを見て横も下も見ずに、ただ己の保身を図ったからに他ならず。 

端(はな)から、人を助けてやろうとなどという気持ちの良さは、これっぽっちも持っていなかったのです。 

己の身を守る。その犠牲として他人が死んでも、それは構わないという思考が人間を占拠したのです。





いじめがあったって、そんなことぐらいでいちいち死ぬんじゃないと言わんばかりの、世知辛(せちがら)い世の中のこと。 

死んだ人間がいじめだと言っても、そんなの死んだ人間が言っているだけであって、実際にいじめがあったかどうかなんてことは、学校や教育委員会に分かる訳が無いだろう、と生き残った者に屁理屈をこねられれば、確かに死人に理屈なし。





仮にいじめがあったことを認められたところで、死者が蘇(よみがえ)ってくる訳もなく、いじめた人間が殺人罪に問われる訳もなく、いじめを止められなかった学校や教育委員会が裁かれる訳でも無いのです。

以後気を付けますとの言葉は、再度いじめが勃興するホイッスルか。





なぜいじめは無くならないの? 

という、その答えを探しても、行き着く先は、「人間が生きる以上はいじめは無くならず」なのか。 

ましてや、教諭が生徒をいじめて殺すなんてこと、事ここに至っては、学校とは教育の場でなく殺人の場所なのです。





いやでも、これが正常なのか。

いじめて人を殺そうとする人間が、そこかしこに、ごろごろとしているのが世の中なのだから、こんなこと普通のことなんだ。

我らは、それを遅まきながらに認識しなければならないんですね。






普通の人々が人殺しをするなら、毎日毎日殺されないようにする必要ありってことです。 

要するに、群れたがっている人間の中には入らないのが一番ってことです。 

生徒も人殺しなら、先生も人殺しなんですから。

何の反省も存在しませんが、群れ成す人には近寄るなってことです。





ですから、「我が校にはいじめがありました」なんてことを認めて貰っても、今更意味を成しません。 

だって、だってですよ、社会でも、会社でも、学校でも、いじめて殺そうとする人間がごろごろとしているのが普通なんでしょ。





それなのに、我らは何をとぼけて、いじめがあることを認めろ、なんて圧力を掛けているんでしょ。 

建前に建前で返しても、偽りばかりで虚(むな)しいだけなのにね。





いじめが普通にあるのを知っているなら、いじめがあったかどうかなんてことを聞く必要はありませんよね。 

いじめが普通にあるのを知っているなら、いじめがありましたなんてことを認める必要も無いですよね。





という具合に、イジメなんていう可愛らしい言葉がいけません。

可愛らし過ぎて、普通のことになっちゃってますものね。

要するに、「イジメ」なんてものは、「いじめ」なんてものじゃないんです。 

いじめなんかじゃなくて、殺人なんですよ、殺人。





要するには、いじめる側は人殺し側の人間だったのです。 

そんなんじゃなくて、その人の個性を認めて、「好きに、自由に生きろ」と元気付かせてあげる人は、要するに、人助け側の人間だったのです。





このホームページをよーくご覧頂きたい。 

ここでは皆さまに、「人の言うことなんか聞くな。好きに生きろ。」と言ってます。 

殺されそうになったら逃げろとも言ってます。





人殺し側、人助け側の2種類に分かれるならば、このホームページは明らかに人助け側ですよね。と、強引に引きずり込んで、他方、そういうホームページに攻撃を加えて来る人間も居たりなんかして。

人が好きなことをしていても放ってはおけない、「直(ただ)ちにけちを付けてやっつけてやる」という人間が居たりするのです。





考え方や価値観が違ったら、「違うんだよ」とわざわざ伝えに来る人間が居たりするのです。 

人はそれぞれ違うのが当たり前なのに、違うことを「違う」とわざわざ言いに来るのです。 

彼らは、敢えて言い、相手をへこませ、自殺にまで追い込み、そして、それぐらいで死ぬ人間の方が悪いんだと言う人間です。 

彼らは、明らかに人殺し側の人間です。





世の中は、そんな人間でいっぱいです。 

だから遠慮なんかせずに、そんな人間は、人殺し扱いをしてあげましょう。 

自分では、一体何をしているのか、まったく分かっていないようですから。





さあ、「あなたは、人殺し側の人間ですよ」と教えてあげましょう。 

「あなたの思考は、人殺しの思考なんだよ」って教えてあげましょう。 

そして、実際いじめて人殺しをした人には、人殺しの罰を与えましょう。 






と、過激にそう思う。けど、これって過激ですか?

ここまで鋭く人間を分類した過激な人間がかつて居ただろうか、と己の見えていない我は思うけど、「いじめ」などとかわいく称して人殺しをする方がもっと過激なんですよ。

 

 

 

 

 


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