自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

怠惰な多忙な人生を人はなぜ生きる

毎日、毎日、自分は食べるために存在しているようなものだ。

我らは食べるために生き、食べるために働くしかない。

題名 - 怠惰な多忙な人生を人はなぜ生きる
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人はなぜ生きるのか?怠惰な多忙な人生を人はなぜ生きる?


人はなぜ生きるのか



人は寂しさゆえに怠惰な多忙で人生を埋め尽くす。

埋め尽くせば、怠惰ではあるが忙しくいられて余計なことを考えなくてすむ。



そう、人はなぜ生きるのかなんてバカなことを考えなくてすむのだ。

だから無意味な多忙で埋め尽くすのである。



ただでさえ、日常に忙殺されて問題の所在が分からなくなってるのに、

そのうえ嫌々何かをやったとしても、事態が好転する訳がない。



何の因果か、我らはこの世に生まれてきたのは確かだ。

人はなぜ生きるのか?という問いはさて置いて。



とりあえず生きてみることにする。

そうしているうちに、次第に生きることが当たり前のこととなり、とにかく生き続けることが人生となってくる。



最後に、自分のために人生が存在するんじゃなくて、人生のために自分が存在するような感覚に陥る。

いや、それは錯覚じゃなくて、本当にそうなんだ。



人生を操るのは自分じゃなくて、自分が人生に操られているんだということだ。

人はなぜ生きているのだろうか?



人生とは、なんぞや。

と、ストレートに聞かれても、よくは分からないけど、最低、自分の好きなことはしたいよね。



それから、自分の個性や能力が人生に生かされたら、そりゃ単純にうれしいよね。

だったら、人生とは、我らの個性が生かされて、好きなことができないと意味がない、としませんか。



と、そう思うのだが如何だろうか。


題名 - 怠惰な多忙な人生を人はなぜ生きる
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人はなぜ生きるのか?

とにかく、人生をスタートしてみても、そうやすやすと好きなことなんて見つかろう訳がない。



世の中には、人生のゴール近くにいるのに、好きなことひとつ見つけられない人でいっぱいなんだ。

好きなことが見つからなければ、とりあえず食べるために生きるしかない。



人はなぜ生きるのか?食べるためなのか?

題名 - 怠惰な多忙な人生を人はなぜ生きる
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毎日、毎日、自分は食べるために存在しているようなものだ。

我らは食べるために生き、食べるために働くしかない。



最後の方には、我らの人生とは食べることである、となるのだ。

さて、人はなぜ生きるのか?



そんなの食べるためだよ。

人はなぜ生きるのか?って当たり前だろ、そんなこと。

とお叱りを受けるだろうか。

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