自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

男の愛情が冷め倦怠期の別れがくる

あなたなら、いっぱいお金が欲しいと、

間違いなく欲をかくんじゃないだろうか。

題名 - 男の愛情が冷め倦怠期の別れがくる
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倦怠期の別れ!男の愛情が冷め倦怠期の別れがやってくる!


倦怠期の別れ



男の愛情が冷め倦怠期の別れが匂いだしたら、これを止める手立てはない。

キスはない。



キス以上のこともない、まさに倦怠期の別れ時。

そうなればもう十分、男の愛情は冷めている、そう、間違いなく倦怠期である。



あっそうそう、もちろん手もつながない。

その後は惰性だろう。



本当のことだから仕方がない。

で、ここで倦怠期の別れ時を堪えてみる。



もしかすると、ここからの付き合いを本当の愛情というのかもしれない・・・



愛情も冷め、夢から覚め、倦怠期の別れがちらつき出したら、

幸せをいっぱい望むなんて所業は、贅沢で身のほど知らずの罰当たりものだと分かる。



幸せなんてものは、ひとつあれば、それだけで十分ありがたいもんだ。

と、数えられないものを、いっぱいとは逆の、あえて、ひとつと数えてみる。



でも、今生は、幸せひとつじゃ物足りない。

やはりここは、倦怠期の別れのような無粋は避けて、いっぱい幸せくださいなと、欲張ってみたい。



と、行きたいところだけど、世の中には、できれば幸せになりたいという、他力本願的な人が大勢を占めるのだ。

絶対に幸せになりたいという、強靱な精神力の持ち主は少数でしかない。



さて、新婚さんの純粋な愛情からの願いを、無粋ながらも倦怠期の別れ際にある我らが、冷徹に分析してみれば、実はこうなる。

一日たりともお金のない日は嫌だ。



一瞬の金欠も嫌だ、と。

新婚さんの願い通りだと、「幸せになりたいか」は「お金が欲しいか」と同義語となる。



だから、「どのくらい幸せになりたいか」などは、「どのくらいお金が欲しいか」との問いかけとなんだ。

で、ここで「どのくらいお金が欲しいか」の、「どのくらい」を「いくら」に置き換えてみよう。



じゃー、いくら欲しいのよ。

って聞かれてみて、お金なんて必要ないとは、厭世派のお言葉。

「できればお金が欲しい」とは、いかにも消極的だ。


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中には、倦怠期の別れを吹っ飛ばす、お金は少しでいいとの、注目すべき回答もある。

少しでいいとは、この控え目がまた素晴らしい。



どう素晴らしいかって。

試しに、ご自分で答を出してみればいい。



って、すまん、倦怠期の別れ話中なのだ。

という具合に、たぶん、あなたなら、少しでいいとは答えないんじゃないだろうか。

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どう?

あなたなら、いっぱいお金が欲しいと、間違いなく欲をかくんじゃないだろうか。



あなたが、いっぱい欲しいと答えたところを、少しでいいと言ってしまえる、その余裕。

その余裕が、まぶしくてたらない。



倦怠期の別れを迎えている我らにはまぶしくて仕方がない。

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